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本のなかに流れる時間 東京大学出版会・神部政文(編集者リレーエッセイ第20回)

記事:じんぶん堂企画室

『建築のラグジュアリー』の装丁は、著者とデザイナーの松田行正さんと三人で大学キャンパスを散策してスマホで撮影した写真を使用。ある意味で大学出版ならではのデザイン
『建築のラグジュアリー』の装丁は、著者とデザイナーの松田行正さんと三人で大学キャンパスを散策してスマホで撮影した写真を使用。ある意味で大学出版ならではのデザイン

 本連載のバトンをわたしてくれた高松夕佳さんは、頼れる仕事仲間である。高松さんは、十年前に自ら出版社を設立したかと思えば、いまや著者や翻訳者でもあり、編集者という境界さえ越えていかれる。その軽やかさと行動力には、いつも新鮮な刺激を受けている。

 かたや私はというと、よく知られた大学名を冠した今年創立75周年にもなる組織の一員である。外からは見るからに重たそうな印象があるかもしれない。けれども、この「重たさ」や「積み重なる時間」もまた、私が編集者として日々向き合っている本質的な魅力でもあると思っている。今回はあえて、編集者の個性はわきに置いて、本や本をつくりだす場に流れる時間という視点から、私なりに本づくりへの思いを書いてみたい。

目から鱗が落ちるような衝撃

 このことを私に強く実感させてくれたのが、西洋建築史を研究する加藤耕一先生との出会いだった。加藤先生の『時がつくる建築:リノベーションの西洋建築史』(2017年)は、私が現在の会社で最初期に企画した一点であった。

 昨今、「リノベーション」という言葉を耳にすることが多くなった。日本国内では本格的な人口減少社会に転じ、拡大と消費を前提とした従来の考え方から、いまある資源や建造物をいかに受け継ぎ、再活用していくかという新たな社会モデルを描かなければならない。本書は、そうした現代的な課題意識に対して、西洋建築史という広大な時間軸から豊かな洞察をもたらしてくれる内容である。建築とは、更地にゼロから建てたら終わりなのではなく、その後を生きる人々によって改修されたり、用途を変えたり、時間をかけて使い継がれることで完成していく——そうした時間の重なりこそ建築の本質であるという視点は、目から鱗が落ちるような衝撃だった。

 幸いにも本書は、刊行後にサントリー学芸賞、日本建築学会賞、建築史学会賞を受賞し、いまも増刷を重ねて読者を広げている。そして私自身にも、その後の編集活動や「本」という存在そのものの捉え方に、たいへん大きな影響を与えてくれた一冊だった。

『時がつくる建築』(2017年)と『建築のラグジュアリー』(2025年)
『時がつくる建築』(2017年)と『建築のラグジュアリー』(2025年)

建築のように立ち現れる本たち

 東京大学出版会は、日本国内26の大学出版部が加盟する(2026年現在)大学出版部協会の一員として活動している。全国各地の大学を母体とした同じ理念をもつ仲間の集まりである。ここは各出版部が抱える課題や取り組みについて情報交換を行い、お互いの経験や知見を共有する貴重な場となっている。同協会では、1985年から『大学出版』(現在、春・夏・秋・冬号の季刊)を発行しており、私自身も過去に3号の編集を担当した。

 『大学出版』132号(2022年秋号)では、「学術書を読み継ぐ:オンデマンド出版・デジタル送信・古書」という特集を企画した。刊行された書籍が「新刊」ではなくなった後も、古書として次の読者へ手渡されたり、オンデマンド出版や電子化といった新しい技術によって、形を変えながら読者のもとへ届けられたりする。一冊の本が読み継がれることは、社会の中でゆっくりと「ひとつの建築」のように立ち現れていく。

 『大学出版』は、全国の主要書店や大学図書館などに配布されているほか、大学出版部協会のウェブサイトではバックナンバーのPDFも公開している。大学出版部の活動はもとより、大学出版や学術書にまつわる諸テーマに関心のある方には、ぜひ手に取っていただきたい。

■大学出版部協会ウェブサイト

https://www.ajup-net.com/

『大学出版』編集担当号。左より136号(2023年秋号)「特集 「本のある場所」をつくる人たち」、132号(2022年秋号)「特集 学術書を読み継ぐ:オンデマンド出版・デジタル送信・古書」、128号(2021年秋号)「特集 アカデミアの多様なかたち」
『大学出版』編集担当号。左より136号(2023年秋号)「特集 「本のある場所」をつくる人たち」、132号(2022年秋号)「特集 学術書を読み継ぐ:オンデマンド出版・デジタル送信・古書」、128号(2021年秋号)「特集 アカデミアの多様なかたち」

次世代の「知の担い手」はどこに?

 大学出版には、研究者による専門書の刊行のみならず、大学という教育・研究の場と連携した多様な仕事がある。大学の知の成果を世に発信するとともに、次世代の「知の担い手」となる著者や読者を育てる現場でもある。

 東京大学出版会では、例年9月に東京大学の「体験活動プログラム」の1つとして、学部生・大学院生数名を受け入れている。参加する学生たちはおよそ十日間、編集部に所属し、編集だけでなく営業部、製作部、さらには印刷・製本所の現場訪問やデザイナーとの打ち合わせにも同席する。本づくりのすべての工程に直接ふれてもらうことになる。

 参加者には、それらの体験をふまえて、自身の関心に基づいた書籍企画を立て、最終日には編集会議の場で発表してもらう。彼ら・彼女らはもともと優れた読者であり、鋭い感性の持ち主なのだが、プログラムを通して、一冊の本が形になるまでにどれほど多くの人々の手と時間、そして試行錯誤が費やされているかを肌で知ることで、本に対するまなざしが劇的に変わっていく。ひとりの読者から、本というメディアが持つ社会的・歴史的意味を深く理解する主体へと変化していく様子は、身近で接するたびに感動をおぼえる。

 このようにして書籍の本質的な価値を身体感覚として理解した人たちが、将来、研究者として、あるいは社会のまったく別のどこかで活躍してくれることは、出版に携わる私にとって大きな希望である。

 それから、本連載第11回の有斐閣・松井智恵子さんも書かれていることだが、大学の教科書の刊行は大学出版部にとって大切な仕事の1つである。

 先月(2026年9月)に刊行した、『イメージの歴史をつむぐ 1中世〜近代のフランス美術』は、東京大学教養学部の美術論という講義の教科書である。著者の松井裕美先生は、前任者である三浦篤先生からこの講義を引き継ぎ、2023年から担当している。本書のあとがきには、松井先生がかつて三浦篤先生による講義の熱心な受講者だったこと、そして三浦先生による教科書『まなざしのレッスン 1西洋伝統絵画』(2001年)をボロボロになるまで読み込んだことが記されている。こうしてひとつの講義と一冊の本が、世代を越えて受け渡されていく。次にこのバトンを受けとる人はどこにいるだろうか。

三浦篤『まなざしのレッスン 1 西洋伝統絵画』(2001年)と松井裕美『イメージの歴史をつむぐ 1 中世〜近代のフランス美術』(2026年)。『まなざしのレッスン』は同僚の先輩編集者が担当したロングセラー教科書
三浦篤『まなざしのレッスン 1 西洋伝統絵画』(2001年)と松井裕美『イメージの歴史をつむぐ 1 中世〜近代のフランス美術』(2026年)。『まなざしのレッスン』は同僚の先輩編集者が担当したロングセラー教科書

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 最後に、ふたたび加藤先生との仕事に戻りたい。去年の秋、前著の研究をさらに推し進めた『建築のラグジュアリー:物質と構築がつむぐ建築史』(2025年)を刊行した。現代において「ラグジュアリー」といえば、しばしば高価なブランド品や消費的な贅沢を連想させる。しかし、本書のラグジュアリーとは、安易な消費ではなく、膨大な時間と手仕事、そして物に対する深い敬意が積み重なった結果生まれる価値のことだという。本書のブックイベントに登壇した際、加藤先生は「ラグジュアリー」という言葉を書名に入れることは挑戦だった、と語られた。

 それを聞いていて、ふと十年前の本づくりの記憶がよみがえってきた。『時がつくる建築』の書名を決めるとき、副題に「リノベーション」という言葉を入れるべきかどうか、上司とのあいだで議論があった。当時、一般にはまだなじみの薄い言葉だったからだ。それがいまはどうだろうか。この仕事において、十年という時間は特別に長いとはいえないが、ここにも静かに時間が積み重なっていることを実感した。

次の編集者は

 次にバトンをつなぐのは、大学出版部協会の尊敬する仲間の一人、法政大学出版局編集部の赤羽健さん。話題書の手塚治虫『ながい窖』(法政大学出版局、2026年)を手がける、フレッシュな人文書の編集者だ。同じ大学出版といえども、多彩な出版活動が展開されている。赤羽さんの声に耳を傾けてみたい。

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