「あったことを、なかったことにしてはいけない」韓国市民をデモへと駆り立てる、記憶をめぐる闘い――『韓国について知っておきたい30のこと』(前編)
記事:平凡社
記事:平凡社
2024年12月3日、韓国で尹錫悦前大統領による非常戒厳令が宣布された夜に、私はフェイスブックを眺めていました。ほぼリアルタイムで流れてくる知人からの半信半疑の書き込み、つづいて続々とシェアされる速報記事を読みながら「噓でしょう?」と思いました。もたらされる情報に接するうち、やがて目の前が真っ暗になっていくのを感じます。研究を通して知り合った活動家や表現者たち、民主化運動の犠牲者の遺族の方々の顔が、つぎつぎと思い浮かびました。これから彼らはどうなるのだろう? 私も二度と韓国に入国できないかもしれない。
1980年代末から90年代初めにかけて私は軍事政権下の韓国で生活しましたが、戒厳令は経験していません。韓国で最後に非常戒厳令が出されたのは、それより前の、1980年5月17日のことです。このとき「新軍部」を名乗る全斗煥らが起こしたクーデターが、いわば韓国現代史における「最後のクーデター」です。それから40年以上の時を隔てて突如、非常戒厳令が出されたということになります。
この夜、韓国で暮らす人びとがそれぞれに何を感じていたのか? それを容易に想像することはできません。けれども過去に経験した激しい悲しみや痛みが「トラウマ」としてよみがえり、深い怒りをおぼえ、それが瞬発的な行動につながっていったことは間違いありません。なかでも韓国における民主化運動の淵源となり、今も人びとの記憶の要となっているのが、1980年5月の光州事件(韓国での正式名称は「光州民主化運動」ですが、それが勃発した日にちなみ「5・18」とも呼びます)、まさに40年以上前に出された最後の非常戒厳令のときに起きた悲劇です。
非常戒厳令を解除するためには、国会議員の過半数で決議を行う必要があります。ニュースが駆けめぐると同時に、「国会をめざさなければならない」「国会を守れ」と瞬時に判断して行動を起こした国会議員や市民のなかには、かつての民主化運動を経験していた世代が少なくありません。こうした経験にもとづいた行動力を「5・18学習効果」と表現した歴史学者もいました。そこには2023年に公開されて大ヒットした『ソウルの春』をはじめ『タクシー運転手 約束は海を越えて(原題は『タクシー運転手』)』や『1987、ある闘いの真実(原題は『1987』)』など映画作品による「学習効果」もあったと感じます。
国会議事堂の上を旋回する戒厳軍のヘリコプターの轟音を聞きながら、彼らには光州の記憶がフラッシュバックしていたと思います。あのとき光州に動員された戒厳軍、そして空挺部隊に抵抗し、銃をとり市民軍を結成した人たちは、1980年5月27日未明の空挺部隊による機銃掃射で制圧され、壊滅させられました。
同じように2024年の「12・3非常戒厳」が大統領の思惑どおりに進んでいたとしたら、どんな結末になっていたのでしょう? そのように考えてみる必要があります。そうすることによって、国会議事堂前を埋め尽くした人びとにとって、それがどれほどの恐怖であったかについても想像できるかもしれません。
光州には今、2012年に開所した「光州トラウマセンター(現・国立トラウマ治癒センター)」という医療機関があります。ここで支援を受けているのは光州事件の被害者、遺族、目撃者だけでなく、その後もつづいた激しい弾圧によって捕えられて拷問を受けるなど、国家による暴力を受けたさまざまな被害者です。その多くが深刻な後遺症で苦しんでおり、とりわけ女性は性暴力被害によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に今も苦しんでいることが多いのです。そしてあの夜以来、光州事件の記憶のフラッシュバックに苦しみ、光州トラウマセンターを訪れた相談者は134名、相談件数264件におよんだといいます。
韓国で光州事件を語ることは、長きにわたりタブーでした。だから多くの人びとが民主化運動に身を投じた大きな理由のひとつは「光州の真実を語ること」でした。1987年に勝ち取られた「民主化宣言(6・29宣言)」後も、光州事件に対する「パルゲンイ(アカ=共産主義者)の仕業」「北朝鮮の介入があった」といったレッテル貼りの効果は根強く、民主化運動はそれに抗し、光州で起きた出来事の真相究明、死者や被害者に対する名誉回復としかるべき補償、そして責任者の処罰を求める運動とセットとなり闘われてきたのです。
そのため80年代以降の民主化運動では5月になると抗議の自殺が多発し、イギリスの詩人エリオットが長編詩『荒地』で詠んだ「4月は残忍な月」(日本語訳では「残酷な月」とされることが多い)になぞらえて、「5月は残忍な月」と呼ばれました。それは、まさに「あったことを、なかったことにしてはいけない」という記憶をめぐる闘いでした。
非常戒厳が宣布された夜の国会では、集まった議員や市民が軍人ともみ合いました。緊迫した映像のなかには、兵士から銃をつかみとろうとした女性や、「光州のように市民を殺すことはできない!」と叫ぶ人も映っています。そこには、1980年代を経験したわけではない若い世代も多く含まれています。
2024年、非常戒厳の夜によみがえったトラウマとは、光州とそれにつづく民主化運動を体験した人びとの記憶だけではありません。世代や場所を超えて人びとが守り、受け継ぎ、共有されてきた韓国の人びとの悲しみであり、痛みでもあったのです。光州民主化運動46周年の記念式典で、李在明大統領は、「5・18精神」を憲法前文に明記する改憲への意欲を述べました。尹錫悦が起こした戒厳事態が5・18の記憶を人びとに呼び起こしたことの延長線上に李在明政権は生まれました。李在明大統領のこの言葉は「K民主主義」と呼ばれる韓国の民主主義が「12・3非常戒厳」を機に、新たな局面に入ったという歴史認識を示すものでしょう。
《後編に続く》
*WEB掲載にあたり一部編集を行いました。