①再び民主主義が奪われないために――『光州5・18民主化運動を学ぶ:韓国における歴史教育の実践』武井一(訳者)評 記事:明石書店
まず、「光州5・18民主化運動」(いわゆる「光州事件」)を学ぶためにつくられた韓国の高校生向け教科書を紹介します。「韓国最大の悲劇」とも称される「光州事件」は1980年5月18日、韓国南西部・光州(クヮンジュ)市で起きました。戒厳令の解除を求めて始まった、学生・市民による大規模な反政府・民主化要求行動に対し、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)率いる戒厳軍が武力で鎮圧し、おびただしい数の死傷者を出したのです。
この本では、事件の背景から経過までを丁寧に解説しながら、韓国の民主主義がいかに培われてきたかが平易かつ克明にわかるようになっています。読み進めていくと、韓国が(日本とは異なり)、市民たちの自力によって民主主義を勝ち取ってきたことを痛感します。
ところで、訳者の武井一さんは、その光州市に滞在中、思わぬ事態に遭遇しました。
訳者が本書に接したのは2024年8月である。読後感として、本書が韓国の民主化の脆弱な側面についても言及している点が強く印象に残った。本書は、5・18を契機として獲得された民主主義をいかに守るかを強調している。民主主義を守るためには、運動の記憶と精神を継承していくことが不可欠であり、それが失われれば民主主義が再び奪われる可能性があるとの含意が読み取れる。本文では、新軍部の系譜を継ぐ人物やその思考様式が現在もなお残存していることが指摘されており、この点もその理解を裏付けている。
そうしたことを考えていた矢先に、その懸念が現実のものとなった。たまたま筆者がツアーで韓国に滞在していた2024年12月3日、当時の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が突然、戒厳令を布告したのである。奇しくも、この日の昼には光州を訪れるツアーで、筆者自身がガイドとして民主化運動の経緯とその脆弱性について説明していた。その晩に起きた出来事であった。元大統領の言動は、かつて全斗煥が語っていた内容と驚くほど類似していた。
結果として戒厳令は国会によって阻止されたものの、状況によっては「第二の光州事件」が起こり得るのではないかと危惧した。多くの韓国市民も、5・18を想起したという。ましてや、前年に公開された映画『ソウルの春』が同年の観客動員数第1位を記録する大ヒットとなっていたこともあり、映画で描かれた世界が現実化したかのような印象を受けたのである。
日本の民主化は、戦争に敗れた結果として外部からもたらされたものであり、自ら勝ち取ったものではない。他方、韓国の民主化は市民が主体となって勝ち取ったものであり、ゆえに奪われる可能性も常に存在する。実際、訳者が経験したように、一時的に奪われてしまう事態も起こり得る。だからこそ、韓国の人々にとって民主主義は意識的に守らなければならないものなのである。この感覚は、日本で生活している者には容易には理解しがたい。本書は、その感覚を端的に伝えてくれる存在でもある。(『光州5・18民主化運動を学ぶ:韓国における歴史教育の実践』訳者評より)
まさに、「民主主義が奪われる可能性」が、あの夜、45年ぶりの「戒厳令布告」で起きました。韓国内では激震が走りました。深夜、国会議員やメディア関係者、そして市民たちが跳び起き、国会議事堂に駆けつけ、阻止へと奔走しました。その姿が、世界じゅうに中継配信されたことは、記憶に新しいかぎりです。
つい最近には、こんなニュースもありました。韓国のスターバックスが「民主化運動をおとしめた」として猛批判を浴び、不買運動が起きているという「事件」です。販促イベントで「タンクデー」という言葉が使われたのが、ちょうど「光州事件」が起きた日と同じ5月18日。これに対し「軍による戦車(タンク)での鎮圧を想起させる」との激怒の声が相次いだのです。李在明(イ・ジェミョン)大統領も「市民の血が流れた闘争を冒瀆(ぼうとく)している」と猛批判。会長が謝罪しましたが、ぜんぜん収まっていません。
民主主義を守り抜くため、声を上げ、意志を貫く。そんな韓国の市民たち。そして今、彼らは日本各地で声を上げる人々に対し、連帯を示すメッセージを数々、発信してくれています。民主主義を守るバトンは今、海を越えたこの島に託されているのかも知れません。
②グレーバーは民主主義をどう考えたか――デヴィッド・グレーバー『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』「訳者あとがき」より 記事:平凡社
2020年に59歳の若さで急逝した人類学者デヴィッド・グレーバー。「古代ギリシアにはじまり、近代西洋から世界中にひろがっていった」という「民主主義の常識」を根本から問い直す本を遺しました。この記事では、訳者の片岡大右さんによる「訳者あとがき」を抜粋し、改稿・公開しています。
グレーバーは、そもそも「西洋など存在したためしはない」と断言しています。日本の学校教育を受けてきた私たちにとって、まったくもって斬新な見解です。曰く、「古代アテネの政治制度は、たしかに民主主義と実践の顕著な達成であることは事実だとしても、世界各地にそれ以前から存在してきた様々な実践の一例でしかない。しかも、アテネの民主主義は、古代ギリシアの哲学者たちはもとより、のちの「西洋」世界でも、体系的な呪詛の対象となってきた」。片岡さんはグレーバーの言葉を紐解きながら、そう綴ります。
「民主主義」はどこから生まれるか?
グレーバーはこうして、アテネとそれを引き継ぐと称する西洋の立場を顕著に相対化する。しかし、民主主義を非西洋化しようとするこの努力は、反西洋の企てとして遂行されるのではない。民主主義はアテネ起源ではなく、西洋がそれを特権的に受け継ぎ実現してきたわけでもないにしても、他の文明地域がそれをいっそう見事に実現してきたと言うこともできない。反西洋を掲げ、固有の伝統に沈潜すればよいというものでもない。民主主義はある文明と他の文明、ある共同体と他の共同体が出会う時、そのあいだに開かれる空間においてこそ成立するのだとグレーバーは言う。
例えば北米の入植者たちは、西洋の書物の伝統のみならず、彼らが結局は大部分を殺戮することになった先住民との交わりにも触発されながら合衆国の国制を打ち立てたのだった。現代における実例として彼が重視するのがサパティスタの運動だ。メキシコ南部の最貧困地域、チアパスの密林における先住民たちの蜂起(1994年1月1日、北米自由貿易協定の発効の日に)とそれに引き続く自治コミュニティの構築は、中南米のある種の先住民運動と異なり、あえて征服者の言語に属する「民主主義」を掲げながらなされた。彼らはそのことを通し、民主主義の西洋起源という通念を退けて、それが本来持つ折衷的性格を回復させたのだとグレーバーは説く。より近年の例としては、彼がやはり強い関心を寄せるロジャヴァの実験を挙げることもできるだろう。2013年以降、とりわけイスラム国と戦いながらシリア北部と北東部に事実上の自治地域を確立してきた革命家たちは、中東世界の「後進的」とみなしうる側面と、ジェンダー平等を含む民主主義的発展を矛盾のないものとみなす理論に支えられている。
とはいえ、グレーバーの民主主義をめぐる考察は、こうした「周辺的」諸地域における革命的実践の普遍的な意義の理解に役立つばかりではない。じっさいそれは、「出羽守」の嘆きと「日本スゴイ」の大合唱が不毛な対立を繰り広げているように見える私たちの列島の現在においても、決して他人事ではない着想に満ちているはずだ。(デヴィッド・グレーバー『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』「訳者あとがき」より)
この本は言わば、国家の「外」に広がっている空間にこそ民主主義の芽を見いだし、多種多様な人々の衝突、そして対話から立ち上がった、もうひとつの世界史を描き出しているのではないでしょうか。こうした視座は、私たちにとっても決して「海の向こうの遠いお話」ではないのかも知れません。
③高市早苗政権下の日本で、本を読んで考えること――斎藤美奈子×紙屋高雪対談 記事:筑摩書房
難しい記事が続いたので、ここで気分転換を。この記事は2025年11月14日、「東京堂書店・神田神保町店」で開催された、文芸評論家・斎藤美奈子さんとブロガー・紙屋高雪さんのトークイベント「現場は本の中にある!」の内容を「じんぶん堂」用に抜粋したものです。斎藤さんの著書『絶望はしてません』(筑摩書房)は、同時代批評の本。2020年代前半、いったい何が起こっていたのか? コロナ禍、安倍元首相銃撃事件から露呈した社会の歪みとは? いっぽう、紙屋さんの著書『正典(カノン)で殴る読書術』(かもがわ出版)は、日本共産党の文献を「今」とつなげつつ読んでいく本。互いの本を読み、考えた質問を約2時間、熱くぶつけ合いました。
まず、斎藤さんから紙屋さんへの質問、「左翼アイデンティティの形成過程と、現在の日本共産党について」。1970年生まれ、左翼が時代遅れ(?)となって久しい(?)頃に育った紙屋さんが、どうやって「左翼アイデンティティ」をはぐくんでいったのか、から始まります(紙屋さんは日本共産党に入党し、のちに除籍されたという経歴を持っています)。
紙屋:簡単に言いますけど、まずは高校の校則。これおかしいんじゃないか、というところから民主主義や政治に興味を持ったんです。あと高校生の時に『国家と革命』を読んで、私は、マルクス主義ってすごくリアリティがあることを言うんだな、と思ったんです。
政治は金持ちのためのものでしょ、お前らが目の前で見ている民主主義ってあれ全部嘘だから、金持ちのために適当なことを言っているのが議会ってもんだから、とか。そういうふうにして読むと、すごくリアリティあるじゃん、と。
斎藤:校則問題から急にレーニンの『国家と革命』に行くんだ! そして共産党というか民青に入られたわけですよね。大丈夫ですか? それ。(笑)
(中略)
斎藤:もちろん私も政治に興味がなかったわけじゃないけど、ただ80年代後半というのは、86年にチェルノブイリの原発事故があって、ペレストロイカの時代に入り、東欧の動乱から東西冷戦時代の終焉に向かっていく時代でしょ。マルクス主義というのは旗色が悪かったわけですよ。私はわりと左翼アイデンティティに毒されていたので、革命を否定してはいけないんじゃないかと、どこかで思っていたわけ。なんだけどソ連の現状と崩壊する過程とか過去のスターリニズムとか考えると、これじゃやばいでしょ、と。
左翼アイデンティティが大きく揺らいでいくわけですよ、80年代に。そのときにですよ。『国家と革命』を読んでって(笑)『国家と革命』ってロシア十月革命のマニフェストですからね。それ、すごく特異な思考パターンではありません?
紙屋:でも、それには二つあって。さっき言ったように現状批判なんですよ。そのとき日本は、自民党と社会党が中心にある。私からすると、この2党は言ってることがすごい嘘くさいなとずっと思っていたんです。学校の教師も、自由と民主主義の話をするけど、そんなの噓でしょ、建前でしょというのがすごく強かった。だけど、『国家と革命』を読むと、いやあもうそんなの建前に決まってるじゃん、なに言ってんの、と。そういうリアリティの本として私は読んだんです。
(中略)
紙屋:共産党にはまだ可能性があると思うので戻りたいと思っています。戻って立て直しをしたい。でも今行われているのは相当ひどい異論排除なので、それは直さないと、組織としてはやばいなと思っています。なので基本的には古民家をリノベーションするつもりで戻りたい。
斎藤:共産党への愛が強い。
紙屋:いや、すごい資産があるんですよ。だって裏金の追及とか。
斎藤:赤旗のスクープですものね。桜を見る会とかも。
紙屋:私がにわかに新党を旗揚げしたってあんなのできませんから。一朝一夕でできるものではないのでリノベして使ったほうが絶対いいと思います。
(斎藤美奈子×紙屋高雪対談より)
次の質問。紙屋さんから斎藤さんへは、「ほんとうに絶望していないですか?」。斎藤さんは本のあとがきに「絶望している暇なんかないから絶望していない」と綴っています。それに対して紙屋さんはちょっと意地悪に、「本当に? 気持ち的には絶望していませんか?」と、質問をたたみかけます。
斎藤:してないですよ。……私は1回、もう絶望してるんで。2012年12月に民主党政権が倒れて第二次安倍政権ができたときに。あそこまでひどくなるとは思っていなかったですよ、その時点では。長期政権になって、特定秘密保護法を成立させるとか解釈改憲をやるとか。でも、絶望しました。というのは、2007年の第一次安倍政権で、教育基本法の改定とかのひどいことをやってくれたと思っていたので、その再来は勘弁してくれと思って。その次に2016年の都知事選で、(左派リベラル陣営が宇都宮健児さんを下ろして鳥越俊太郎さんを統一候補として担ぎ出したときに)絶望というか落胆したんです。その2回があるので、そのときを境に、絶望するのはやめたの(笑)。
だって考えてもみてよ、たとえば今、高市政権の支持率8割ですよ。8割の彼らは絶望していないでしょ。残りの2割が絶望してたら負けるって。
(同上)
そんなこんなで流れ込んでいった、3つ目の質問。それは、「女性で初の総理大臣、どう思いますか」。斎藤さんがこの当時、会う人会う人にこの質問を投げかけられ辟易していたそうです。このトークイベントは、高市首相のあの「台湾有事発言」から1週間しか経っていない日に行われました。あれから半年、中東情勢はますます泥沼に。先見の明がある二人の金言はぜひ、本編でお読みください。
④地震から考えた民主主義、そして柳田国男:私の謎 柄谷行人回想録㉘ 記事:じんぶん堂企画室
柄谷行人さんは、戦後長きにわたって国内外の批評・思想に大きな影響を与えてきました。柄谷行人はどこからやってきて、いかにして柄谷行人になったのか。そのルーツから現在までを聞く連載が、「じんぶん堂」でわりと最近まで続いていました。ここでご紹介するのは「第28回」。話題に上がったのは、震災とデモ、民主主義のこと。聞き手は朝日新聞文化部の滝沢文那記者です。
東日本大震災では、数多くの人々が避難生活を強いられました。ボランティアとして現地に急行した人もたくさんいました。……と、ここまでは阪神淡路大震災の時と同じです。「だけど、」と柄谷さんは続けます。
柄谷:だけど、原発事故となると話は変わってくる。原発は国家プロジェクトでしょう。原発事故は、人を結びつけるのではなくて、分断するだろうと思った。それまでも、原発が誘致された地域では、反対者と賛成者が衝突して争いが起きた。事故ともなれば、賠償や責任の問題も絡んで事態はいっそう複雑になる。原発というのは、国家と資本の問題だから、分断をもたらすんです。
――ユートピア的な状況にはならない、と。これも交換様式で考えられそうですね。交換様式B=国家と、C=資本が全面に出てくる、ということですね。
柄谷:とはいえ、ナショナリズム(A)が盛り上がる可能性はあるんじゃないか、と思った。保守派の考えからすれば、日本の神聖な国土が放射能に汚染されて、大切な同胞が被ばくの危険にさらされるなんていうのは、許しがたい事態のはずでしょう。でも、そういう言説は表立っては出て来なかった。結局、資本(C)と国家(B)が勝ったんです。共同性(A)も、資本と国家に従属するものに成り下がった。(「私の謎 柄谷行人回想録㉘」より)
これだけのことが起きたのだから、そこから何かが生まれるかも。そう思っていた矢先に日本全国で起こったのが「反原発デモ」でした。「すぐに僕も行ってみようと思った」と柄谷さんは述懐します。
柄谷:原発は、大きな犠牲を強いるものです。何千年も消えないような汚染物質を生むし、維持していくためには、放射能の危険に身をさらして低賃金で働く労働者が不可欠なわけですから。
――大きくデモが盛り上がりましたね。柄谷さんはデモで社会が変わるかと問われて「変わる」と答えています。「デモをする社会」に変わるのだ、と。
柄谷:デモが重要だということは、その数年前からよく言っていました。「日本人はなぜデモをしないのか」という講演をしたこともあります。そこでは、日本人がデモをしない理由を徳川以降の歴史から分析し、伝統的にデモのような市民の活動が盛んな、ヨーロッパや中国と比較しました。デモという視点から考えると、日本社会の特性が明らかになるんですよ。
議会制があるのだからデモは必要ない、という人たちがいる。また、デモなんかしたところで何も変わらない、大規模なデモが起きたとしても、政府の決定を変えられる可能性はほとんどない、という人たちもいる。確かに、ほとんどの場合、デモには物事をただちに変える力はない。それでもデモには意味がある。反対意見を表明することには、それ自体で意味がある。現に、権力はデモを嫌がります。議会制というのは、議会の外でのデモのような活動とセットになってこそ機能するんです。
(中略)
――日本の社会は、反原発デモのあと、変わったのでしょうか?
柄谷:うーん、どうかな。デモと聞いただけで怖がるような風潮は和らいで、何か文句があればとりあえず国会前に行って意志表示をする、といった動きが生まれましたね。それだけでも変化とはいえるかな。
だけど今や原発はやめるどころか新設するとか言ってるし、全部忘れられてしまった感じもありますね。だからまたバカなことをやるに決まってる。(同上)
国会前や全国各地で今、沸き起こっている「デモ旋風」。平和国家としての矜持を捨てる政権にNOを突きつける、津々浦々の声――。なお、柄谷さんがライフワークとして書き続けている柳田国男について、改めてまとめた『遊動論』も、執筆は震災が一つのきっかけだった、と述べています。従前の柳田論を刷新する論考を書き留めた、その思いについては、ぜひ本編で。
⑤「怒り」と「からかい」が社会を壊すとき──トランプ政権に見る政治と感情の危うい関係 記事:晶文社
選挙や政治家への怒りが拡散され、風刺やネタ画像が嘲笑を生み、議論は揶揄にすり替わる。感情が過熱し、理性的な対話が失われたとき、社会はどうなるのか。『モヤモヤする正義』(晶文社)を上梓した著者ベンジャミン・クリッツァーさんは、1989年、日本生まれ・日本育ちのアメリカ人。かの国で吹き荒れた「トランプ現象」を題材に、怒りと笑いが政治にもたらす影響と、日本にも忍び寄るその波について考察します。
これまでにもトランプは虚偽発言、陰謀論を振りまいては、支持者の怒りを煽り続けてきました。2021年1月の「合衆国議会議事堂襲撃事件」を覚えていますか。学問に携わる人々に対し、トランプや共和党の支持者たちが抱き続けた「怒り」は、研究助成金の削減、教育省の解体、医療や気候変動対策などに関する研究費までもが削減される事態に。支持者を含めた多数のアメリカ人たちに(そして残念ながら世界中の人たちにも)遠からず多大な不利益を生じさせるであろう、とクリッツァーさんは綴ります。この記事が「じんぶん堂」で公開されたのは、2025年4月1日。あれから1年、世界が陥っている大混乱たるや……。
そして、トランプやその取り巻きイーロン・マスクについて、「ユーモア」「笑い(嘲笑)」の観点からクリッツァーさんは言及していきます。なぜ、政治で「怒り」と「笑い」を警戒すべきか、「トーン・ポリシング」や「からかいの政治」に関する議論を展開します。アメリカも日本も「男性は理性的な存在で、女性は感情的な存在」という偏見があり、同じ主張でも女性の場合だと「感情的」とレッテルが貼られ、無視されたり否定されがち。「同様のハードルは人種的・性的マイノリティの人々にもある」とクリッツァーさんは綴ります。
さらに、今から45年も前、1981年に発表された社会学者・江原由美子さんの論考「からかいの政治学」を参照し、1970年代の日本のウーマンリブ運動やアメリカのフェミニズム運動に関し、当時の「男性中心主義」的メディアが行なった揶揄や侮辱など「からかい」について紹介。江原さんの論考は今もなお多くの研究者に参照されているそうで、それは「物申す」女性に対する「からかい」が再生産されているから。なんと嘆かわしい! 同様の傾向はトランプやイーロン、そして彼らの支持者たちにも、そっくりそのまま存在しています。「で、日本はどうなの?」
本項では昨今のアメリカを題材にしたが、政治と「感情」の結び付きが激しくなり、人々の間の分断や対立が進行する状況は、日本でも同様に起こっている。
この現状でこそ、私たちは「理性」に立ち戻るべきだろう。
(中略)
そして、揶揄であろうが風刺であろうが、相手のことを笑い物にしながら相手に対する理解を深めることはできない。相手に対して同情や共感を抱くべきだとは限らないが、相手の主張や行為の背景にある動機や思考、そのさらに背景にある社会的な問題や歴史的な経緯などを理性の光に照らして眺めようとすることは、良い社会を維持したり取り戻したりするためには不可欠なのだ。(「『怒り』と『からかい』が社会を壊すとき」より)
「#ママ、戦争止めてくるわ」という発信を覚えていますか。最初につぶやいたのは、「好書好日」の人気連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」でおなじみのエッセイスト・清繭子さん。ときは2026年2月、地域によっては大雪降り積もる厳冬のことでした。発信に対し、共感の声が瞬く間に広がったいっぽうで、「冷笑系」の揶揄の言葉がフジツボのようにびっしり、ネットの磯辺にこびりつきました。あれから4カ月。みるみるグロテスクさを増す国内外の情勢ではありますが、この荒海を何とか共に泳いで、泳いで、泳ぎ切ろうではありませんか。私たち一人ひとりはまだ「民主主義」という浮き輪を抱いているのですから。