安倍内閣は、臨時国会の冒頭で衆議院を解散した。今回の解散は、野党の混乱に乗じて政権の存続をはかろうとする意図が見え透いている。
内閣(首相)の解散権には一切の制約がないかのように語られてきた。「首相の専権事項」や「伝家の宝刀」は、耳になじんだ言葉である。しかし、今回ばかりは度が過ぎたせいか、解散権それ自体をめぐる議論を惹(ひ)き起こしている。解散権は、制約がなければ、勝機を窺(うかが)う行政権によって濫用(らんよう)されうる。そのため、議院内閣制のモデルとされてきたイギリスでも2011年の立法によって厳しい制約が設けられた。
広く読まれてきた『憲法 第六版』(岩波書店・3348円)において、著者の芦部信喜は「解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるから、それにふさわしい理由が存在しなければならない」とする。芦部の挙げる正当な解散理由に今回の解散は該当せず、むしろ彼が不当と見る「内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散」がすんなりと当てはまる。
のみならず、今回の解散には違憲の疑いもある。野党は、森友・加計問題について説明を求めるべく、憲法第53条にもとづき臨時国会の召集を要求したが、安倍内閣はそれを回避したまま冒頭解散に走った。もし自民党が勝利すれば、53条は空文化し、議会少数派を尊重する憲法規範は蔑(ないがし)ろにされる。
政府や政権与党は、野党や国民に対して説明責任を負っている。とりわけ、公益とされているものが実は私益にすぎないのではないかという批判に対しては、十分な根拠と理由を挙げてその疑いを晴らさなければならない。一般に、異論や批判を真剣に受けとめ、それに理由を挙げて応じることが政府や与党の基本的な務めだが、その責任は果たされてきただろうか。
抜けてる「自由」
さて、「国民に信を問う」のが解散・総選挙である。ジョン・ロックが著した古典『統治二論』によれば、政府や議会は「信託権力」であり、選挙は、主権者たる国民が政府や議会が信託に応えているか否かを判断するための制度である。信をおくかそれを撤回するかの判断にあたっては、実績や政策内容だけではなく、政治姿勢も判断材料になる。強行採決を繰り返し、熟議を求める手続きを軽んじるような手法は信頼に値するだろうか。
付言すれば、ロックは、信託の目的は国民の「生命、自由、財産」をまもることにある、とした。北朝鮮の挑発を「国難」と語る首相は「国民の生命と財産をまもる」と繰り返すだけであり、この定型句から「自由」は見事に抜け落ちている。「国をまもる」とは何をまもることなのか。この機に考えたい。
一票を有効に
『政治行動論』は、日本の有権者がこの間どのように行動してきたかをデータも挙げて分かりやすく説明し、どう行動すれば、政府や政治家の「応答性」(民意に沿った政策形成)を高められるかを示唆する良書である。選挙はその応答性を高める仕組みであり、本書によれば、政治的知識量の多い有権者ほどその一票は有効なものになる。
『日本一やさしい「政治の教科書」できました。』は、政治の言葉を平易に、だが的確に定義しており、政治学者にも有益である。この本も、政党や政策を知ることがとにかく大事であるとして、選挙前に「ボートマッチ」(自分の重視する政策にマッチする政党や候補者を割り出してくれるサイト)を試してみることを勧める。
投票は22日に迫っている。各政党は「票になる」争点を訴えるだろうが、改憲や外国人の権利など他の争点もできるだけ見極めて権利を行使したい=朝日新聞2017年10月8日掲載