1. HOME
  2. コラム
  3. ひもとく
  4. やなせたかしの生き方 「いい人」であろうと努めた 吉田大助

やなせたかしの生き方 「いい人」であろうと努めた 吉田大助

漫画家のやなせたかしさん。自身が生んだキャラクター「アンパンマン」に囲まれて=2011年2月

変わらぬ正義は

 評伝の名手が手がけた梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫・770円)は、1919年に高知県で生まれ、2013年に94歳で永眠したやなせたかし(柳瀬嵩)の人生を、幼少期から紐解(ひもと)いていく。5歳の時に父を病気で失い、再婚を決めた母は小学2年生の時、嵩を伯父の家に置いて出ていった。小説や漫画に心を癒やされ、自分でも物語を描くようになり、上京して東京高等工芸学校図案科(デザイン科)で学び……。記述のペース配分がガラッと変わるのは1941年1月、満21歳で徴兵されてからだ。本文約240ページのうち50ページあまりが、5年間の軍隊生活および敗戦によって得た気づきの記述に当てられている。戦争が明らかにしたことは、正義はひっくり返るということだった。「もし、ひっくり返らない正義がこの世にあるとすれば、それは、おなかがすいている人に食べ物を分けることではないだろうか――嵩はそう思うようになった」。この思いが、のちにアンパンマンを生んだのだ。

 ただ、シリーズ1冊目となる絵本『あんぱんまん』が刊行されたのは1973年、54歳の時だ。それまでは今でいうマルチクリエーターとして、舞台美術やラジオドラマ、テレビ映画、「手のひらを太陽に」の作詞などさまざまな仕事に携わってきた。周囲から「困ったときのやなせさん」と呼ばれ、頼まれれば断れずに引き受けてしまうやなせの困り顔を、チャーミングに描き出している点も本書の美点だ。

多くの才能世に

 一方で、やなせ自身が発案し、謝礼など度外視で従事していた、利他的と表現するほかない仕事もある。雑誌「詩とメルヘン」(1973~2003年)の刊行だ。責任編集を務めたやなせは読者から詩の投稿を募り、自身の選評と合わせて雑誌に掲載することで、多くの才能を世に送り出した。小手鞠るい『愛の人 やなせたかし』(講談社文庫・803円)の著者もその一人だ。現在は小説家として活動している著者は、23歳の時に初投稿で入選し表現者としての道を踏み出すと共に、やなせとの交流を得た。師が遺(のこ)した詩文をふんだんに盛り込み、“詩人・やなせたかし”のアンソロジーとしても楽しめる本書は、師から弟子に直接かけられた言葉も記録する。「愛と献身。それが、先生の喜びだった」

 晩年に秘書を務めた著者の回顧録、越尾正子『やなせたかし先生のしっぽ やなせ夫妻のとっておき話』(小学館・1980円)もまた、日常の中でふと漏れたやなせの言葉を記録する。「『いい作品を作りたければ、いい人になればいい』と先生は言うことがあった。(中略)やなせ先生の中では『いい人』は大事なことだった」。この言葉は、実は「詩とメルヘン」の編集者でもあった『やなせたかしの生涯』の著者があとがきで、「忘れられない」と打ち明けたやなせの言葉と共鳴している。「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」

 やなせたかしは単に人間の資質として「いい人」であり、天賦の才能として「愛と献身」の持ち主だったわけではない。「いい人」とは何かを考え、「いい人」であろうと努めていた。つまり、『アンパンマン』の作者は聖人ではなく、他者や人生にまつわる葛藤を抱えた隣人であった。文字通り隣にいた3氏の著書から、そのことを痛感した。=朝日新聞2025年5月10日掲載