このエッセイを書くにあたって考えた。わたしはいままで、出されたものはなんでも食う雑食系爺(じじい)だと思っていたが、案外に好き嫌いが多いのだ。
まず、料理屋に行って自分から頼まないのは、豚肉、鶏肉、魚の刺身(さしみ)などで、小学生のころは牛肉も食えなかった。ジビエ(猪〈いのしし〉、鹿、野兎〈のうさぎ〉、鴨〈かも〉……)はもちろんのこと、羊や鯨、レバー類は匂いを嗅いだだけで舌が拒否反応を起こす。二十数年前、上海(しゃんはい)の料理屋に連れて行かれて、料理人が、いまからこれを料理します、と生きた蛇を肩にかけて出てきたときは、座り小便を漏らしそうになった。上海のあと、新疆ウイグル自治区へ行ったが、都市部を離れると食い物は羊しかなく、市場でシシカバブの匂いが漂ってきたりすると、それだけで食欲が失せて、ほかのものも食えなくなり、旅行から帰ったときは三キロ痩せていた。そういえばインドも四回行ったが、地方の料理はカレーをアレンジしたものばかりで、そのたびに三、四キロは痩せた。
「ぴよこはあかんわ。現地へ行ったらなんでも食べるという覚悟がない。果物ばっかりでは生きられへんのやで」わたしがどこへ行こうとついてくる金魚の糞(ふん)のよめはんがいう。――ちなみに、わたしはぴよこと呼ばれている。「そういうはにゃこはどうなんや。羊が食えるんか、鯨が食えるんか」わたしはよめはんを、はにゃこと呼ぶ――。「あのね、わたしはお姫さまで、ぴよこはお毒味役やねん。ぴよこがお腹(なか)をこわしたら、わたしは食べへん。わたしが寝込んだら、ぴよこが介抱する。それが夫婦というもんやんか」「なるほど。理屈やな」「そうやろ。ぴよこが食べられへん羊や鯨は、わたしも食べへんの」
よめはんはわたし以上に偏食がひどい。少しでも見た目が怖いもの――焼鳥(やきとり)、煮魚の頭、なまこ、くらげ、こんにゃくなど。匂いのするもの――鮒鮨(ふなずし)、搾菜(ザーサイ)、糠漬(ぬかづ)け、パクチーの入った料理などは、いくら勧めても絶対に箸をつけない。鰯(いわし)や鰺(あじ)といった青魚も食わない。よめはんの好物はビフカツ、ハンバーグ、茶碗蒸(ちゃわんむ)しといった、こどもが好むもので、わたしとはまるで重なるところがない。
「ぴよこはおじいさんで、わたしはおばさんなんやから、いまさら目新しいものを食べることはないんやで」肉料理はステーキとすき焼きとしゃぶしゃぶ、魚料理は鰤(ぶり)の照焼(てりや)きと鰻(うなぎ)で、たまにキンキやノドグロを煮たり焼いたりすればいい、とよめはんはいう。
「おれは鰯の生姜煮(しょうがに)や鰺の南蛮漬けが好きなんやけどな」「分かった。こんど作ったげる」「はにゃこちゃんの料理はなんでも旨(うま)いから」
なんということのない、よめはんとの日々の食事。ありがたいと思う。=朝日新聞2017年04月08日掲載
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