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謎めく英雄、想像する楽しさ 北方謙三「チンギス紀」

 新しい壮大な物語が幕を開けた。北方謙三さんの歴史大河シリーズ『チンギス紀』(集英社)。広大なモンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンの生涯を描く。刊行した1、2巻では、若かりし頃が謎に包まれたモンゴルの英雄の原点に迫っていく。

 多くの英雄や独裁者が夢見た「世界征服」。歴史上最も広大な領土を支配した帝国の礎を築いたのが、今作の主人公・テムジン、後のチンギス・ハーン(1162?~1227)だ。彼とその子孫は、中東や欧州などユーラシア各地に支配を広げたとされる。1巻『火眼(かがん)』と2巻『鳴動(めいどう)』では、12世紀のモンゴル高原で様々な部族や氏族が覇権を争う世を生きるテムジンを、13歳から描く。

30年前から構想

 歴史小説を書き始めた約30年前から、ずっと描きたかったテーマだった。これまで、男がいかにして生きて死ぬかをテーマにしてきたが、「チンギスという謎めいた男に、魅力と作家としてのやりがいを感じた」と話す。
 「墓が見つかっていないというのもあるが、侵略を始める以前は説話があるだけで信頼できる史料がないなど、特に謎めいている。まさに『幻影の大英雄』。幻影に実体をもたらせるため、どういう人格の者が侵略を考えるようになったか、描こうと思った。これは、小説だからできること。自分の想像で描くことそのものに快感があるんです」

 有力一族の長だったテムジンの父は、宿敵に討たれる。テムジンは後継になるはずが、ある理由から異母弟を殺したために、対立する氏族に命を狙われる。砂漠を越え、金国へと向かうが、父がまとめていた一族は他の氏族に取り込まれていく。
 そうした境遇のなかテムジンは、中国前漢時代の歴史家、司馬遷が著した『史記』を読む。これがテムジンの人格形成の鍵となり、国家観を養うことになる。「民は、揺れる草のようなもの。民をよりどころに一族や国をつくっても、死んだらどこかに行ってしまうことを父の死で知るんです。だから、血縁関係や氏族をなくし、国をなくしたいという思いで侵略をしていくのです」

どの人物も自分

 テムジン以外の敵や周辺の人物にも存在感があり、人間くささがにじむ。それは、フランスの作家フローベールが「ボヴァリー夫人は私です」と語った小説観に通じると言う。「登場人物は、どれも自分なんです。みっともない人を書こうと思った時は、自分自身がみっともない気分にならないと書けない。小説を書くことは、自己表現だと思っています」
 古希となる70歳を迎えた。年や経験を重ねても、作家としての「完成」はないと言う。「『完成』というのは地平線のようなもので、地平線に向かって歩いても、いつまでも地平線で、それが作品をつくるということだと思う。いつまでも、地平線に向かって歩くのを忘れなければ良いのかなと思ってます」
 17年にわたって書いた大河小説『大水滸伝(だいすいこでん)』シリーズは、累計1100万部を突破。完結から2年たっても人気は根強く、今シリーズとのつながりもファンから期待されている。
 「テムジンの大きな仕事の一つは、道や駅をつくり、移動・輸送できるようにしたことです。『大水滸伝』に登場する人間は生きているし、場所にも重なっている部分がある。読者には、少しやきもきさせるだろうけど、きちんと書きますから」
 前シリーズは全51巻と長大になったが、今シリーズは15巻前後を目安にしている。読者に伝えたいことを、こう語った。「一緒に走ろう。一緒に生きよう。一人でも、十万人でも良い。それだけのものを書きます」。言葉の端々に、読者への心遣いを忘れない人柄と次なる大作への覚悟がにじんだ。(宮田裕介)=朝日新聞2018年5月30日掲載