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『フランクル「夜と霧」への旅』書評 豊かな時代にも「人生の意味」求め

評者: 後藤正治 / 朝⽇新聞掲載:2013年01月27日
フランクル『夜と霧』への旅 著者:河原 理子 出版社:平凡社 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784582746129
発売⽇:
サイズ: 20cm/263p

フランクル『夜と霧』への旅 [著]河原理子

 いわゆる“この一冊″に、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(原題は「一心理学者の強制収容所体験」)をあげる人は少なくない。アウシュビッツなど四つの収容所をくぐり抜けて生還はしたが、両親、妻、兄を失った。極限的な受難を被りつつ、フランクルは告発を封じ、人間存在への深い考察を記した。
 著者は、『夜と霧』の翻訳者、出版人、研究者、読者たち、そして収容所跡やゆかりの人々を訪ねつつ書の意味を探っていく。
 ウィーンで出された初版の部数は3千部。やがて絶版となったが、その後40の言語に翻訳され1千万部を数えるに至った。日本では、戦時中に特攻機を見送った体験をもつ臨床心理学者、霜山徳爾が留学先の西ドイツの本屋で薄い原本を見つけ、翻訳する。本邦でも旧新の翻訳を合わせ100万部に達している。
 大戦と収容所は歴史となっても書は読み継がれてきた。人はいつの時代も「不条理を抱え」、「人生の意味」を求める。それに応える普遍の書であったからだ。
 豊かな時代においても「実存的空虚」は消えない。生きる意味を捉えかねる私たちに、フランクルは答える。「人間が人生の意味は何かと問う前に、人生のほうが人間に問いを発してきている」。意味は自ら見出(みいだ)さねばならない。すべてを奪われてもなお「個の態度」という価値がある。「それでも人生にイエスと言う」と。
 著者にとってフランクルへの旅は、自身への旅でもあった。大学時代、『夜と霧』と出会う。収容所を撮った写真は強烈だったが、文章は遠かった。新聞記者となり、母となり、歳月を経て再び本書と出会う。
 「……後世の若い読み手だった私にとって、この本は、くり返し読んでいくなかで、書かれていることに気づく、触れていく、もっと奥まで手が届くようになる、そういう本だった」
 書物とはそういうものなのだろう。そういう作用を持つものが書物という名に値するのだろう。
 どこの国だって別のホロコーストを引き起こす可能性があるのです——フランクルの言葉である。
 著者は、収容所の痕跡が消えたバイエルンの森を歩きつつ、「事態が少しずつ進んでいくとき、自分はどうふるまえるだろうか……」と自問する。あるいは「社会がなだれを打つときにあらがえるかどうか」とも記す。
 『夜と霧』は、世のありようを問い、自身の生き方をまさぐる人々に、小さくも確かな灯としてあり続けていくだろう。考察は柔らかくて内省的であり、文章は簡素で抑制的である。久々、言葉が胸に染み入る本だった。
    ◇
 平凡社・2100円/かわはら・みちこ 61年生まれ。朝日新聞編集委員。社会部記者として性暴力被害の取材をきっかけに、事件・事故の被害者の話を聴く。著書に『犯罪被害者 いま人権を考える』(平凡社新書)、共編に『〈犯罪被害者〉が報道を変える』(岩波書店)。