ある日、遠い異国で長旅を続けていた日本人が溜息をついた。「あー、ご飯と味噌汁が恋しいなあ」。その時、彼女は初めて悟った。訪れる国の料理がいかに美味しく、珍しくても、身体のどこかで求める故郷の味があることを。ならば、外国の人にだって同様に、魂の求める料理があるはずだ――。
こんな好奇心から、彼女は「世界各国ふるさとの味」をめぐる新たな旅に出た。ただし、旅のルールは「東京で探すこと」。各国料理店や大使館、フェスなどを訪ね歩くうち、その国の人たちの料理への愛情や誇りを感じ、さらには異国の地・日本で寄り添い生きる彼らの息づかいが聞こえてきた。世界32ヶ国・地域の「魂食」がぎっしり詰まった『ソウルフード探訪 東京で見つけた異国の味』。著者の中川明紀さんに話を聞いた。
――聞いたこともない料理の数々、しかも実にビビットな描写。おなか空いちゃいます。「ああ、食べることに人生の重心を置いている人なんだな」って。昔から食には目が無いほうでしたか?
いえいえ、そんなそんな。思い出すのは子どもの頃、テレビ東京の「クイズ地球まるかじり」が大好きで、ずっと観ていたぐらいです。世界各地の料理や食材に関するクイズ番組でした。名物コーナーがあって、外国人に納豆、塩辛、梅干などを食べてもらい、二度と口にしたくないものは何かを当てる。でもその程度で、そんなに私、グルメには詳しくない。この本もあくまで素人目線、読者と同じ目線で歩いてきました。だいたい、一つのものが好きならそればかり食べるタイプなんです。母親のつくる唐揚げが大好きで、毎日食べていました。もう、全然グルメじゃない。
――旅はもともと好きだったのですね。学生の頃からあちこち世界へ飛び立っていたのですか?
当時、バックパッカーが流行っていたんです。インドではとにかくカレーの毎日。約2週間、ためしに日記をつけてみたら、出てくる料理がこれでもかと言うほどカレーばかり。ある日、一緒に食事していたインド人の友人に「毎日、カレーを食べていて飽きないの?」って聞いたら、不思議な顔をして「なぜ飽きるんだ? 全部違う料理じゃないか」って。でも、その彼が食べている食事もやっぱりカレーだったんです。それでいて、胃もたれしない。「スゴいな、何だこれは」。そう思ったことが忘れられません。
大学では農業を専攻していました。途上国開発に興味があったんです。クラスのみんな、長い休みになるとすぐ海外へ旅に出ちゃう。しかも、いかに自分がニッチな国に行ってきたかを競うみたいな感じで、インドなんてわりと普通なほうでした。JICA(国際協力機構)に行く友達もいたり。学科の性格上、旧宗主国の語学を勉強していて、私はスペイン語。約1カ月、欧州を旅した時に「ごはんと味噌汁が食べたいな」ってしみじみ思ったんです。その時初めて「ソウルフードって、このことか」って。もともとコメ派。節約のため、旅先でサンドウィッチを作って食べていたんですけど、完全に飽きちゃいました。
――卒業後、途上国開発の道には進まず、メディアの道を選んだんですね。出版社でムック本や書籍、週刊誌の編集に従事。
「伝えたい」気持ちが強かったんです。旅行ライターになりたかった。旅行会社も一瞬考えたんですけど、私、他人の旅行の手配するのは興味ないな、と。「こんなに良い場所がある」という情報を伝えたかったんです。大手の出版社に常駐し、お寺のガイドブックをつくったり、週刊誌の編集をしたりしていました。
――ライターとして独立した2013年、「ナショナル ジオグラフィック日本版サイト」で連載「世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅」が始まり、現在も好評を博し続行中です。この本は連載をまとめたものですが、そもそも「ソウルフード」って何なのでしょう。中川さんはどんな定義付けを?
実はまだ答えを出すのが難しいんです。いちおうここでは「国」で区切っていますけど、自分の心にある料理かな、と。その国を代表する料理というより、その人の心に根付いた料理。同じ国でも違う料理を選ぶ人はいる。香川県出身の人ならきっと「うどん」。編集者とさんざん相談した末、「じゃあ、それも含めて探す旅にしよう」。「ナショジオ」では以前、同様に世界のスイーツの連載があったそうです。その料理版という位置付けです。
日本には現在、255万人以上の在留外国人が住んでいて、その4割以上が、東京など1都3県の首都圏に集中しています。「その国の人に必ず聞く」ことをルールとしたので、取材対象は必然的に、東京とその周辺にある各国料理店が多くなりました。
――最初の旅は、インド人コミュニティが形成された、江戸川区西葛西。
私、地元が隣の江東区なんです。小っちゃい頃から馴染み深く、インド人が増えているのを肌で実感していました。インドは昔から大好きでしたし。でも実は、連載の方向性を決めてくれた極めて重要な取材が、まさにこの時でした。インド料理店「スパイスマジック カルカッタ」を営むジャグモハン・S・チャンドラニさん。彼は1979年から西葛西に住み、インド人コミュニティの重鎮でいらっしゃる。彼を慕って西葛西にインド人が集まり出したのです。単身赴任の彼らが母国料理を日本で食べられるようにと、1999年にお店を始めました。「疲れた時ほど食べたいのが母国の味」なのだそうです。経緯やコミュニティの現状について丁寧に説明して下さった。そして何より、ご自身に誇りを持っていらっしゃる。感銘を受けました。「ああ、こんなにも深い世界なのか」って。
彼がその時に出してくれたソウルフードが「ダール」。香辛料の香りが立ち込める黄褐色の汁でした。「カレー?」と聞くと「そうではない。インド人は3食カレーを食べていると言われますが、我々から見たら全部違う料理」。学生時代の友達の話は本当だったのです。ダールは、ムング豆とトゥール豆の2種類のひきわり豆を使った、日本でいうところの味噌汁なのだそうです。愛情や誇りが言葉として積み重なれば、ソウルフードとは何か見えてくる。そう実感しました。
――最初の取材の印象でバシッと連載の方向性が決まったんですね。以降、韓国人の新大久保、フランス人の神楽坂、ブラジル人の群馬・大泉町と、首都圏にあるエスニックタウンの旅が続き、日本でコミュニティが根付くようになった経緯、その息づかいが鮮やかに描かれます。取材対象は料理店のほか、大使館、代々木公園のフェスなど広がっていきますね。
どんな人に聞くのかは編集者と相談を重ねました。編集長からは「ソウルフードの定義を店の1人だけに言わせていいのか」と言われた。それからは料理教室に行ったり、大使館の人に聞いてまわったり。フェスはもともと好きでよく行っていた。楽しいですよね。
――ネタバレになってしまうので詳しくは書きませんけど、「ああ、これ、苦手!」という料理は。
つらかったのは、間違いなく、上野で売っている、ある国のあの瓶詰……。汚い表現では書けない。もっと本当は書きたいんですけど、「ナショジオ」が厳格だから書けないんです。上野自体は面白いんですよ、エスニックマーケット。大好きな場所ですけど、あの瓶詰が……。超強烈です。噂に聞いていたので、屋外で瓶を開けてみたんですけど、いい大人が「くさいくさい!!」。耐えられない。でも美味しいと思っていらっしゃる人がその国にはいるわけです。「たまらない」と言いながらお酒のつまみにする人がいる。
――連載は今も続いています。外国人への取材を続けながら、こう、「じゃあ日本だったら、どうだろう」みたいな、わが身のほうにベクトルが向く瞬間ってあるものなんでしょうか?
ありますね、結構。親が昔つくってくれた料理を思い出します。たとえば私のおばあちゃんの手作りこんにゃく。自分にとってのソウルフード。母方の祖母が群馬・中之条町に住んでいて、つくり方を習いに行き、記事に書いたことがあったんです。じつは祖母、つい最近亡くなってしまって。記事をプリントアウトしてお葬式に持って行きました。93歳でした。母が手作りこんにゃくのレシピをしっかり受け継いでいます。
もともと「旅をすれば、こんな良いところがあるよ」って紹介したくてこの業界に入ったんですけど、最近は「人」が面白い。
――この本を読んでいると、出てくる料理をつくっている人に会いたくなります。そして東京という街には、その国に繋がる「窓」が無数にあるんだと気付かせてくれる。
基本、人見知りなんです。友達少ないし。でも、人に会いたい。会って話を聞きたい。料理は人がつくるものだし、人が食べるもの。愛情あふれる料理の数々に出合ったら、きっとその国に行ってみたくなるはずです。人は嬉しい時には宴を開くし、悲しい時にも料理を食べ、酒を酌み交わす。そうやって心を通い合わせていく。ソウルフードのことを考えると、食卓を囲む家族や友人の顔が浮かんでくると思います。
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