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思い出すこと 柴崎友香

 平成最後の夏だから、という言い方をにわかに耳にするようになった。聞く度に、そんなに気にかけるもんかなと思う。挨拶(あいさつ)に過ぎないかもしれないが、このところ文化的社会的なことでも「平成が終わる」まとめ的な言説も聞かれる。
 昭和が終わったとき、わたしは中学三年、十五歳だった。少し前から報道は続いていたが、その日から突然、テレビはすべての番組が別のものになり、「自粛」というはっきりしない基準によっていろんな行事が中止になった。世の中が唐突にあまりに変わったので、わたしは驚いたし戸惑った。今まで自分が普通だと思って生活してきた世界は、「普通ということになっている」世界で、暗黙の了解でできた映画のセットみたいなものじゃないかと感じてしまった。
 そのあと徐々に、いつのまにか「普通の世界ということになっている」生活に戻っていた。しかしわたしには、その日から「日常」と呼ばれる感覚はなくなった。それは予告なくルールが変更される虚構のようなもの、不安定なものにしか感じられなくなった。テレビばかり見ている十五歳だったから、そう思ったのかもしれない。
 そうして終わった「昭和」は、十年くらい経つと懐かしいものとして振り返られるものになった。何十年もの長い時間とまったく違う世の中のあり方が含まれているのに、戦争からの復興、経済成長とバブル崩壊、と大雑把に括(くく)られて、「昭和はよかった」などと言われたりもする。複雑な現実より、わかりやすい物語のほうが容易に流通する。実際に体験していた人にさえも。
 時代とか世相とかいうものはある。それを考えることで理解できる物事も。だけどそれは、振り返って検証するものだ。年号が変わることにかこつけて、平成の終わりという言葉で、まだ終わってもいないものが、あらかじめ忘れる準備をされている。それは杞憂(きゆう)だろうか。少なくとも、わたしはそれに乗りたくはない。=朝日新聞2018年7月23日掲載