極力、外に出たくない。できることなら家にずっといたい。小さい頃からそうだったし、学生の時は毎日学校に行くことが苦痛でならなかったので、まともな社会人にはなれないだろうと諦めていた。学校のなにが嫌というわけでもないが、家にいられないのがつらいのだ。なので、家にいても仕事ができる小説家になれたらいいな、と思っていた。
運良く小説家を生業(なりわい)にできて十五年以上が経った。しかし、やれ打ち合わせだ、やれ取材だと、案外、家を空ける。人との付き合いも出版パーティーもある。会社員と違って時間の調整がきくと思われているのか、誘われることも少なくない。最も驚いたのは、人前に出るのを厭(いと)わない同業者がいることだった。私は小説家は皆、家から出たくない人間が就く職業だと思っていた。
困るのは誘われた時の断り方で、「予定のない日は?」と訊(き)かれれば締切日の直前以外はまるで予定がない。しかし、だからといって約束を取りつければ、連日外出することになる。耐えられない。「予定はないが家にいたい。少なくとも週四日は家から出たくない」と、大の大人が公言してしまっていいものか悩む。
毎日とにかく外出したいという友人もいて、「家にいてなにが楽しいの」と言われる。まず、いつでも好きな茶を選んで淹(い)れることができる。本も漫画もたっぷりとある。執筆が進まない時は気分転換に掃除や食器の漂白などすれば、家も綺麗(きれい)になり一石二鳥。仕事をしながら、乾物を戻したり、肉を漬けたりと、夕飯の下拵(ごしら)えができる。今は猫もいるので、嫌なことがあっても癒(いや)されるし、家を出る理由が本当にない。自分のかたちを保つ場所として家が最適なのだ。コロナ禍中、その友人は苦しかったそうだ。私は、先が見えない恐怖はあったが「ステイホーム」は平気だった。今はリモートワークも普及し、人それぞれの働き方が選べるようになってきたので、「予定はないが家にいたい」と堂々と言ってもいいのかもしれない。=朝日新聞2025年5月7日掲載
