ロサンゼルスは、というよりもアメリカのほとんどの場所が自動車での移動を前提に成り立っている。食料品日用品の買い物も特大サイズ大容量を車に積み込んで持って帰る。車を運転できない私は、ロサンゼルスに滞在した三か月間、とても難儀した。あれほどの大都市なのに、公共交通機関が少ない。電車は、モータリゼーションの影響で廃止されてしまい、大渋滞や環境問題から近年ようやく再整備され始めたところで、路線も本数も日本の都市の感覚からは非常に頼りない。
幸い、滞在した家の近くには稀少(きしょう)な電車の路線があったが、どこかに出かけようとすれば本数の少ないバスと乗り継いで時間がかかる。電車やバスは治安が良くないから乗らないようにと言われることもあった。道を歩いている人がほとんどいないから不安だし、行ける場所は限られ買い出しも不自由だった。
旅行では、異文化の土地の物珍しさでその不便さも楽しめていたのだが、三か月自炊で暮らすとつらくなっていった。日本の中でも公共交通が充実した大都市でしか生活したことのなかった私は、車がないと移動できないことを不便だろうとは思っていたけれど、それだけではないとようやく思い至った。
自分が思い立ったときに行きたいところへ行けないというのは、じわじわとつらい。現地でお世話になっていた人に用事があるときは車に乗せてもらっていたし、頼めば車を出してくれる人もいた。ありがたかったし、彼らも快く乗せてくれていた。それでも、多忙な人の時間を調整し誰かに手間を取ってもらわなければどこにも行けないことは、自分の中に重しのように蓄積していった。アプリでタクシーやライドシェアは手軽に呼べるけど、お金がかかるから回数や場所が限られる。公共交通の充実は便利・不便という言葉で語られるけど、その中身は物理的に移動が可能かどうかだけでなくて、気持ち的な自由も大きいのだと、ようやく実感した滞在だった。=朝日新聞2025年3月5日掲載
