二〇一六年にアイオワ大学で三か月間、ライティングプログラムに参加した。世界各国の作家や詩人が三十五人参加していたのだが、そのうちのインドの作家が日本に旅行に来るというので、九年ぶりに会った。
お茶を飲んでから、桜が咲く前だが大混雑の上野公園を歩いた。私はもともと英語が不得手の上に、この数年でますます忘れてしまい、話せるのはごく簡単なことだけだ。
元気だった? 今回は観光? あれから他の作家には会った? 彼の小説の英訳版をもらい、私も自分の英訳の新刊を渡した。日本の作家では大江健三郎が好きなのだと、それはアイオワにいた時にも聞いた。
彼は、他の作家には会う機会がなかったそうだ。私は、東京に遊びに来てくれたのが四人、外国で会えたのが八人なので、多いほう。二〇二〇年からは外国に行きにくくなり、参加者たちの国で戦争や侵略が起こった。プログラム中は親しく会話していた同士でも、関係が難しくなってしまった人もいる。今現在も危険な場所に住んでいる人のことはずっと心配だ。ほんとうに怖(おそ)ろしくてとても悲しい、と彼が言い、私も同じ言葉を繰り返した。
この先も会うことができない人が何人もいるんだろうな、と話しながら考える。SNSのグループに上野公園で撮った写真を送ると、数人からすぐメッセージが返ってきた。
不忍池の弁天堂で、ここにいる弁才天は「サラスヴァティー」だよ、と言うと、すぐに通じた。日本のお寺にはヒンドゥー教由来の神様が多くいる。それから、私の大好きな国立民族学博物館の南インド展示にある、大きな丸い目でかわいい、三人組の神像のことを思い出して、その画像を見せた。インド東部のジャガンナート寺院の神様で、この両側の大きいのが兄弟で真ん中の小さいのが妹で、お祭りの時には山車に乗っておばのいるお寺に行って帰ってくるんだ、と教えてくれた。今度は私がインドに行ってそのお祭りを見たい、と伝えた。=朝日新聞2025年4月2日掲載
