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扇風機の愚痴 澤田瞳子

 この夏の暑さに、本当に弱りきっている。元々、私は高温に弱く、以前、暑季のタイに行った時は日中ほとんど動けず、ガイドさんに心配をかけた。そのため今年のような猛暑では、クーラーの利いた屋内しか居場所がなくなるが、一方で私は冷え性でもあり、あまりに冷気が強いと手足が冷える。結局、エアコンは最弱、団扇(うちわ)を片手に過ごすのが一番楽だ。
 仕事中はまず、かたかたとキーボードを叩(たた)き、資料探しや考え事の間にぱたぱたと団扇を使う。かたかたぱたぱた、かたかたぱたぱた。その忙(せわ)しなさに、家族は「扇風機を使えば」と呆(あき)れているが、扇風機のあの一方的な風が、私はどうも押しつけがましく感じるのだ。
 私のイメージの扇風機は、子供時代、実家の片隅でごおおと動いていたアレだ。夏休みの宿題のプリントを散り散りにし、冷奴(ひややっこ)のカツオ節を吹き飛ばしたあいつ。こちらの体感気温には頓着せず、ただ風ばかり送って来る乱暴者だった。
 もっとも最近の扇風機は風も優しく、衣類消臭、更には熱中症危険通知機能までついている製品すらあるという。これまで送風こそ使命とばかり働いてきた旧型扇風機からすると、「そんなことを求められるとは……」と驚愕(きょうがく)の進化だろう。
 思えば、扇風機も大変だ。平成に入ってからこの方、エアコンの普及のせいで影が薄かったかと思えば、東日本大震災に伴う節電で急にちやほやされ、今度は皆に飽きられぬよう、様々な機能を備えねばならぬのだから。
 そういえば大学時代、コンパの折に酔っぱらった同級生が、突然首振り扇風機に話しかけ出したことがあった。「あちこち首を動かすな。まっすぐこっちを見ろッ」とからむ姿に、仲間と共に笑い転げたが、彼はもしや人間の都合に振り回される扇風機の愚痴を聞いてやろうとしたのだろうか。確かに素面(しらふ)の時は、後輩の相談にもよく乗る親切な男だった。
 世間は盆休み。久々に扇風機が首を振る店で、旧友と集うのもいいかもしれない。=朝日新聞2018年8月13日掲載