世界一周旅行の途中、ドイツのケルンを訪れた。世界最大級のゴシック様式の大聖堂で有名な、ドイツ西部の街だ。ライン川の河畔にあるので散歩が気持ちよく、ほとんど街のどこにいても見える大聖堂は1日中美しかった。とても居心地がよい街で、結局5日間も連泊した。
そんなケルンには、ライン川に架かるホーエンツォレルン橋という橋がある。線路と歩道が併走している橋で、その柵には、恋人たちが永遠の愛を誓って南京錠をくくりつけている。全長409メートルの橋のほぼ全面にわたって無数の南京錠、通称「ラブロック」がぎっしり。とてもカラフルでフォトジェニックな橋だ。
恋人の名前と日付を書いてある鍵を一つ一つ見ていくと、これまたドラマを感じて面白い。ハートの形をした鍵もあったし、見つけやすいように橋の上部にくくりつけてある鍵、どこからでも目立つような巨大な鍵などもあった。訪れた時も楽しそうにラブロックをつけているカップルを何組も見た。
一時期、貪るように恋愛小説を読んでいた時期がある。長く付き合った彼氏にフラれ、失恋したばかりの頃だったので、この辛さを分かってほしい、誰かこの気持ちを代弁してくれ、という思いがどこかにあったのだと思うが、当時の読書の記録を見ても、笑ってしまうほど、手に取る小説はことごとく恋愛小説だった。
そんな時に出会った一冊が、川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』という小説だ。主人公は校正の仕事をしている34歳の冬子という女性。恋愛に奥手な彼女が、カルチャーセンターで出会った三束さんに恋心を抱く話だ。
わたしは三束さんの年齢が五十八歳なのを知り、十二月十日生まれなのを知り、若いころに流行ったインベーダーゲームで記録的な高得点を叩きだしたことがあるのを知り…(236ページ)
そんなことは何もかも、もしかしたら他愛のないことかもしれなかったけれど、わたしたちはお互いにお互いを構成するものをすこしずつ交換しながら、わたしは三束さんの記憶につまさきをそっと入れてゆく思いだった。(237ページ)
物語の中では、特別大きな出来事があるわけではなく、淡々と日常が過ぎていく。でも、恋をするということをとても丁寧に、そして繊細に描いていて、これまで読んできた恋愛小説の中でも格別に好きな作品だ。
この小説のおかげで、失恋から立ち直ったというのは大袈裟かもしれない。けれど、この本を読んで、そうか、この傷みは私だけのものではないし、恋愛だけが人生ではないのだと、妙に納得した。冬子の思いを追体験することで、自分の心の傷を癒して、新しい恋の始まりに希望を抱くことができた。
ケルンを訪れた世界中の恋人たちの思いが託された鍵。
「また一緒にケルンに来ようね」なんて言いながらこの鍵をかけたはずだが、どれぐらいのカップルがその恋を成就させ、どれぐらいのカップルがその恋を終えたのだろう。
それぞれの恋の行く末が今も気になっている。