すばらしい本が出た。『英国怪談珠玉集』(国書刊行会)は、作家・英文学者、怪奇幻想小説の翻訳家として活躍する南條竹則が、およそ半世紀にわたる読書生活のなかで出会ってきた「英国怪談」の傑作を32編精選した、古典ホラーファン必読必携のアンソロジーである。イギリス人は幽霊を好む国民である、とはよく言われることだが、ロマン派詩人バイロンを筆頭に、19世紀・20世紀の作家26人がずらりと並んだ本アンソロジーを通読するなら、かの国の人びとにとって怪談がいかに日常生活に根ざした娯楽であるか、納得されるだろう。
すべての収録作を紹介したいところだが、なにしろ580ページ超、ちょっとした辞書のような大冊アンソロジーなので、ここでは個人的に気になった作品にのみ言及しておこう。
まずウェイクフィールド「紅い別荘」は、あまりのおそろしさに訳者も一度は翻訳を諦めたという折り紙つきの恐怖短編。田園地帯の別荘を借りた一家に、次々と怪異が降りかかる。わが国の三津田信三を彷彿とさせる迫真の「お屋敷もの」ホラーである。どこからともなく現れる泥と、取り憑かれたような子どもの行動がなんとも不気味。ボウエン「魔性の夫」では家庭ある女性がすでに戦死したはずの元婚約者と再会する。戦時下のロンドンを舞台にしたどんよりと暗いムードが効果的で、ショッキングな幕切れには怪奇党なら思わず唸るはず。
個人的にもっとも怖かったのが、マッケン「地より出でたる」だろうか。ウェールズの海辺の行楽地に子どもたちが現れて悪さをする。ただそれだけの話なのに、怪奇の巨匠マッケンの手にかかると、途端にまがまがしさが立ちこめる。マッケンは収録作家中最多の4編が採られているが、どれも小粒ながらぴりりと怖い。
一方で、植民地時代のオーストラリアを舞台にしたラング「柵に腰かけた幽霊」は朴訥な味わい、シール「ゼリューシャ」では世紀末的な耽美主義の世界といった具合に、多彩な切り口の怪談を取り揃えている。あの小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)がアメリカでの新聞記者時代に手がけた「白衣の人」は、たった2ページながら一読忘れられない異様な幻想小品。恐怖と人を喰ったユーモアが融合したウェルズ「不案内な幽霊」、ブラックウッド「中国魔術」あたりには、飄々としたファンタジー作品で知られる小説家・南條竹則がちらりと顔を覗かせる。定番作をあえて外したセレクションも含めて、著者の好みが反映された作品配列になっている。
そして、何を措いても読んでもらいたいのが、キップリングの「『彼等』」。ドライブ中の主人公が出会ったのは、壮麗な館に住む目の不自由な老女と、そのまわりを駆け回る子どもたちだった。我が子を失ったキップリングの喪失感から生まれた静かなゴーストストーリーは、読む者の胸をえぐらずにはおかない。20年ぶりに再読し、やはりラストで泣いてしまった。
人はなぜ怪談に惹かれるのか。本書の訳者なら迷わず、それは楽しいからだ、と答えるだろう。豪華な函に収められた本アンソロジーは、怪談を読むこと・書くこと・訳すことの楽しさが詰まった文学のおもちゃ箱である。少々値は張るが、怪談好きなら手に入れて損はない一冊。10年先、20年先でも楽しませてくれるはずだ。