絶体絶命の状況をデザインで「逆にしたるわい」
――ぶた、きびなご、たまごに納豆、ももにマッシュルームと、『おいしいデ』を読むと、梅原さんが実にたくさんの一次産業の生産者とシゴトをしてきたかがわかります。その冒頭で、四万十川流域で放置されていた栗山に手を入れ、再生した「しまんとジグリ」の話から始めていますね。
僕のデザインは、「絶体絶命のデザイン」なんですよ。「もうアカン」という「絶体絶命」の状況を、デザインによって反転させて新しい価値を生むことが、大好きです。作り手の人たちが、もうどうしようもなくなって「アカンのです」とぼくの所にやってくる。そこから「そんなことないやろ? アカンものほど逆にしたるわい」とスイッチが入る。
そういう僕の「絶体絶命のデザイン」は、1987年の夏に、カツオの一本釣りの衰退と漁業の低迷に困って僕のところに一人の漁師がやってきたところから始まりました。あれから30年が経った今、高知にやって来る観光客の一番の目的は、カツオの一本釣りで釣ったカツオのタタキを食べにくることです。「絶体絶命」だったものに「逆スイッチ」を入れることで、カツオの一本釣りをめぐる「風景」が変わりました。
四万十の栗も、全く一緒でした。「栗山が荒れててアカン。中国から安い栗が入ってきてもうアカン。全国のお菓子屋さんは安い栗の方がいい!と言うてるのでもうアカン」。そんな状況から始まった。2007年に依頼者に連れられて見た栗山を、自分の「デザインアタマ」で見ようとすると、15年間も放置されていたおかげで農薬が入っていない「ケミカルフリーな栗山」に見えてくる。これや、と思ったんです。
――そして「栗山再生プロジェクト」によって、かつて800トンあった収量を18トンにまで減らした栗山が再生され、「しまんと地栗」ブランドに繋がったんですね。「地栗」という言葉が梅原さんらしい「デザイン」ですね。「地」という言葉に、農薬で汚染されていない栗山の風景や価値を込めたと。
そう、「栗」に「地」をつけて「地栗」。「ジグリ」とすることで言葉に違和感が生まれ、心に引っかかります。違和感がある言葉って人の頭にとどまるんですよ。そこにデザインのスキルを加味すれば、商品が発信する「コミュニケーション」の量を増やすことができる。
――「コミュニケーション」の量を増やす?
そう、コミュニケーションです。伝えることがデザイナーとしての僕のシゴトですから。売れない商品、売れないモノって、その価値がぱっと伝わらないままでいるから売れないんです。その良さや価値がぱっと伝わるようにするのがデザインの役割なんですよ。だから「パッケージデザイン」といいますけど、本当は「コミュニケーションデザイン」。ただもちろん誠実なものづくりがなされたモノであり、デザインにスキルがなくては伝わりません。何が入ってるかわからないものを「美味しいから買って」と言われても、買いたくはなりませんよね。
――確かに「しまんと栗」ではなく「しまんと地栗」としただけで、栗山のイメージが違いますね。この本にも「人々は意識の奥底にそれぞれの風景を持っていて(略)、土地の文化に裏付けされた根っこのある商品を求めているのではないか」と書いています。
30年ほど前、栗山のあるエリアに5年間ほど住んだことがあるんですよ。公共事業を礼賛する風潮の中で、四万十川にかかる沈下橋を取り壊してでっかい橋にする、という話があったので、実際に橋の向こうに住んでみた。その引っ越しそのものが「デザイン」という思いでした。
その時に、秋になると長靴を履いて山に栗を拾いに行っていました。一帯に栗が生えていて、そこらじゅうに転がってる栗を拾っていたんです。誰の栗の木かは分からないけれど(笑)、地面に落ちちゅうものやきね。
それから20年後、依頼者に連れられて栗山に行くと、山間地の高齢化と、安い中国産に押されて剪定されないまま荒れ果てていた。いうたら「あきらめられた」風景やった。でもデザインアタマで考えて「農薬フリー」イコール「安心」と発想を変えられたら、「これはチャンスやんか」となるんですよ。それから地道に栗を剪定して再生させて、農薬をかけずに育てた栗と全体の10%の砂糖だけで作った「ジグリキントン」を、2016年秋に東京・新宿の伊勢丹でフードフェアに出品したら、かなり好評やった。中でもアンケートの回答がとても印象的で、「本当の栗の味がします」とか「騙されていない気がする。高いけど」とか書いてあった。ちゃんと届いてるやん、と思いましたね。
山で作ったものを「山から出てきた」表情のまま売る
――パッケージデザインは、一度は某老舗菓子のパッケージをまねた豪華なデザインになりかけて、「あかん」と気づいて練り直したそうですね。梅原さんのユニークなデザインが「どう生まれるか」を垣間見るエピソードです。
そう、一時は「虎屋」ふうの金と黒のデザインを目指しちゃってるオレがいてだな。途中で「オレは何をしとんねん。コレはちゃうんやん」と恥ずかしくなったな。「オレがデザインすべきは、真面目にちゃんと作ってるってことやんか」と落ち着きました。高知の山のてっぺんで作ったものの価値を、「山から出てきました」という表情のまま、都心のデパ地下で確認したら、ちゃんと消費者に届いてる。この一連の流れこそ重要な「デザイン」なわけで。
結局、「山の人たち」が生き残るやり方は、山で誠実に作ったものを山のてっぺんから全国に届けるやり方やないかと思うんです。僕ら「アマゾン」でいろんなもの買わされますけど、ゆうたら「逆アマゾン」。一次産業のよいところ、つまり一次産業の「風景」を残しながら、その「風景」から生まれたええもんを全国に届けます、というやり方です。
――その考え方は、全国の一次産業の現場でも応用できそうですね。それにしても、梅原さんのシゴトは一次産業のシゴトばかりです。
「絶対絶命のデザイン」やからね。一次産業には「もうアカン」という作り手がたくさんいるんですよ。逆に「絶対絶命」の部分がない依頼には、モチベーションがわきません。もうけてはる企業の方から依頼を頂くこともありますが、「もうええんちゃいますの」と思ってしまう(笑)。
僕ら育ったのは昭和ですけど、まず家族のど真ん中に生活がありました。ちゃぶ台があって毎日のご飯があって、家族の笑顔があって、そこにテレビも加わって、じゃあ次に洗濯機を買うにはどうしたらええんや、という希望の先に「経済」がありましたよ。ところが「エコノミック!エコノミック!アーンド エコノミック!」と、カネをばらまく政策で産業そのものの力にアプローチしないから、一次産業はどんどん衰退していく。こんなニッポンではアカンやんか、こんなニッポン洗濯したれと思うんですよ。
――著書では、梅原さんのデザインのてこ入れでピンチを逃れ、業績を回復した人々の「その後」にも踏み込んでいることがとても印象的でした。地方で「一人勝ち」することの光と影とでも言うべきか……。
カツオの一本釣り漁師だった明神宏幸さんがいい例ですよね。30年前に「もうアカン」ゆうて僕のところに来て、僕が「漁師が釣って、漁師が焼いた」というコピーを添えて、カツオのたたきのパッケージデザインをはじめとするプロデュースをしました。依頼を受けてから8年で、彼の会社だった「明神水産」は年商20億円の会社に成長した。しかし後に彼は自分で招き入れた部下にロックアウトされてしまい、会社を追い出されてしまいました。事情は複雑ですが、理由の一つに宏幸さんが「天狗」になってしまったことが背景にあります。僕も途中、「アカンデ」と戒めたけど、アカンかった。
一次産業の担い手たちが絶体絶命の危機から脱して豊かになって、その産業を育む「風景」が少しでも守れること。僕がこの仕事を通じて望むところはそこまでです。儲けに任せて天狗になったり調子に乗ったりしては、アカンようになってしまいます。
デザインの原風景は生まれ育った高知にある
――一次産業の「風景」という言葉遣いも印象的です。ご自身には高知県で生まれ育ったことで、記憶に刻まれた「風景」が心の中に?
自分のデザインの原風景は高知にありますね。例えば日曜市でみた手製のPOPね。日曜市では、おばちゃんたちが野菜入れてきたダンボールの切れ端をちぎって、それをマジックで殴り書きしてPOPにしててね。最高だったのは「姿ブス、味ビジン」って豪快に書いとった、酒粕まんじゅうのPOPでしたね。ボクのデザインによくマジックが登場するのは、日曜市の影響ですよ。
それと「笑い」のセンスね。デザインや商品のコピーを考える時、ユーモアを入れることもありますけど、加減が難しいもんです。手作りのまんじゅうを「姿ブス」って笑い飛ばす。高知のおばあちゃんの豊かな笑いのセンスに、脱帽ですわ(笑)。「笑いは土佐の山間より」って言いたいぐらい、高知全土が笑いだらけやからね。
それと子供の頃、坂本龍馬も泳いだという鏡川でざぶざぶと泳いだあの感覚ね。泳ぎ疲れたら川にぷかぷか浮かんで、青空の下で街を眺めた感覚とかね。そういう「風景」がずっと自分の中にある。
――「風景」を直接的に残したシゴトとしては、砂浜に膨大な量のTシャツを展示して潮風にヒラヒラとはためかせた「砂浜美術館」が有名です。「私たちの街には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です」という、「考え方」そのものをデザインなさいました。
あの企画には海外から依頼が相次いで、モンゴル、ハワイ、ガーナ、ベトナム、スーダン、ケニア、パラグアイでも「ひらひら」させましたよ。9月にはトンガで「ひらひら」するし、もうかれこれ数十カ国で「ひらひら」してます。来年はカルフォルニアでの「ひらひら」開催の打ち合わせを進めています。
ローカルを磨いたら、グローバルなものになるんです。面白いですよね。ローカルを磨き込んでいくと本質的なものにぶち当たる。すると本質的な部分に、海外の人たちが反応して、ローカルなものだったものがグローバルなものになる。
「四万十川をポリ袋で汚さんように」というコンセプトで生まれた「新聞バッグ」も、あちこちに呼ばれてて、デザインの国際的な祭典「ミラノ・サローネ」の関連イベントからも声がかかりました。2020年のミラノデザインウイークにむけ、バイリンガルパンフを製作中です。言葉も違う国と、コミュニケーションがどんどん繋がる。ほんまにおもろいシゴトですわ。