食への執着が少ないのは、ひとつは、両親は共働きで、母親がいつも帰宅が遅かったという理由もあります。
身体に染み込んだソウルフードは何か?と聞かれたら、インスタントラーメンとスーパーのちらし寿司(ずし)と答えます。と言って、小学生だった僕はそれを不満に思ったことは一度もありませんでした。
それは、共に小学校の教師だった両親の働きぶりを見ていたからです。あの当時、両親は教師はブラック職業という自覚もないまま、とことん働いていました。学級通信のプリントを毎日作り、問題があれば家庭訪問を繰り返す母親を見ていて、誇らしくなることはあっても、「早く帰ってきて料理を作って欲しい」と思うことはありませんでした。
子供心にも仕事にプライドを持ち、生き生きと働く母親の姿は自慢でした。
母親は、スーパーのお惣菜(そうざい)でも、必ず、一手間加えました。てんぷらを買ってきたら、それでてんぷらうどんを作ったり、餃子(ギョーザ)を買ってきたらフライパンでもう一度温めたりしました。手間を加えられない時は、必ず、パックから出してお皿にちゃんと並べました。
そんなことかと思う人もいるでしょうが、コロッケを買っても、お皿にならべて、キャベツを千切りにして添えれば、子供にとっては素敵(すてき)な母親の料理です。お刺身を買っても、ちゃんとお皿に並べれば、それは母の料理です。
スーパーで買ったプラスチックの入れ物やトレーのまま食卓に並べるのとは雲泥の差なのです。
父親は、母親がいない時、料理をしてくれました。といって、一種類しかありませんでした。
キャベツ、タマネギ、ソーセージをフライパンで塩・胡椒(こしょう)で炒めて、卵を落としてからめて、仕上げにウースター・ソースをかけて食べるものです。じつにシンプルな料理です。でも、これが美味(うま)かった。僕は大好きでした。
現在、僕はまったく料理をしません。というかできません。料理番組から時折、出演依頼が来ますが、すべて断るしかない現状です。
ただ、唯一できる料理が、この父親の「キャベツ・タマネギ・ソーセージ炒め卵からめ」です。自分でも、時々、むしょうに食べたくなって作ります。味は、昔から何も進化していません。
教師を退職した後、母親は「ろくなもん、食べさせてこんかった」と言って、帰省するたびに豪華な料理を作ってくれました。そのたびに、「充分美味(おい)しいものを食べてきたよ」と僕は母親に言います。それはなぐさめではなく本心の言葉です。仕事に誇りを持つ母が用意したものは、スーパーの惣菜でも充分満足できたのです。=朝日新聞2018年9月15日掲載
編集部一押し!
- トピック ポッドキャスト「好書好日 本好きの昼休み」が100回を迎えました! 好書好日編集部
-
- ニュース 読書の秋、9都市でイベント「BOOK MEETS NEXT」10月26日から 朝日新聞文化部
-
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「がんばっていきまっしょい」雨宮天さん・伊藤美来さんインタビュー ボート部高校生の青春、初アニメ化 坂田未希子
- 杉江松恋「日出る処のニューヒット」 逸木裕「彼女が探偵でなければ」 次代を担う作家が示す最高到達点、単純な二項対立にしない物語の厚み(第19回) 杉江松恋
- 谷原書店 【谷原店長のオススメ】山本将寛「最期を選ぶ」 議論から逃げず、人生に向き合う考察を深めていくために 谷原章介
- トピック 「第11回 料理レシピ本大賞 in Japan」受賞4作品を計20名様にプレゼント 好書好日編集部
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構
- インタビュー 崖っぷちボクサーの「狂気の挑戦」を切り取った9カ月 「一八〇秒の熱量」山本草介さん×米澤重隆さん対談 PR by 双葉社
- インタビュー 物語の主人公になりにくい仕事こそ描きたい 寺地はるなさん「こまどりたちが歌うなら」インタビュー PR by 集英社
- インタビュー 井上荒野さん「照子と瑠衣」インタビュー 世代を超えた痛快シスターフッドは、読む「生きる希望」 PR by 祥伝社