「介護は長男の嫁がするもの」って、いつの時代の話? そんな疑問を胸にしまい、認知症の義父の介護に明け暮れた実体験から着想した小説が刊行された。作家、谷川直子さんの『私が誰かわかりますか』(朝日新聞出版)。「世間体と本音と良心の間で揺れ動いた」という経験から、見えてきたものとは。
小説の主人公、イラストレーターの桃子は再婚を機に、夫の故郷である九州の町に移住。〈ただ二人が仲よく年老いていくことだけ〉を願った結婚生活は、認知症の義父、守の介護が始まり、一変する。
肺炎を併発して入院した守は昼夜が逆転、真夜中に〈朝じゃろ。さあ帰ろう〉と大声を出す。付き添う桃子がなだめても聞き入れず、夜が明けるまで同じやり取りを繰り返す。1日16時間の介護に、桃子は疲弊していく。
谷川さん自身も2005年、再婚をきっかけに、夫の実家のある長崎県の五島列島・福江島に移住した。数年後、義父の認知症が進み、義母と共に、「長男の嫁」として介護を担うようになった。
通い始めた介護施設や病院で目にしたのは、世話を求める義父から夜通し呼びつけられる女性や、追われるようにおむつを替え続ける介護ヘルパー、看護師たちの姿。「超高齢化社会の最前線で闘っているのは多くが女たち。疲れて、孤独でもある彼女たちのことを書きたいと思った」
介護が始まった12年は文芸賞を受賞し、「熱が冷めないうちに次作を」と意気込んでいた時期。亡くなっていく人のために、これから生きていく自分のキャリアをあきらめるのか? 作中の桃子の葛藤は、谷川さん自身が直面した悩みでもあった。
桃子をさらに苦しめたのが、地域社会独特の「世間の目」だ。「長男の嫁」なら介護して当然と見なされ、施設に入れようものなら〈とうとう追い出した〉とうわさになる。
〈(あのまま続けていたら)きっと守を心底憎んだと思う〉ところまで追い詰められた桃子は、対価を払って人の手を借りることで救われ、情愛をもって最期をみとる。
世間の目に苦しんだ桃子だったが、最後にはこう考える。踏みとどまれたのはその目があったからかもしれない――。それは、1年半の介護を経験した谷川さんの実感でもある。「世間のまなざしには、介護の現場のように、弱い立場に置かれた人の尊厳を守るセーフティーネットの役割もあるのかもしれません」(上原佳久)=朝日新聞2018年10月3日掲載
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