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深い後悔、大きな許し もがいて歩いて、自分と再会 都甲幸治〈朝日新聞文芸時評25年11月〉

絵・大村雪乃

 進学する。就職する。そうやって私たちは新たな世界へ入って行く。最初はその場所のルールも分からないし、そこで話されている言葉も理解できない。だが未知の物事に対処しながら歩き続けるうちに、徐々に振る舞い方が分かってくる。そうやって少しずつ日々が積み重なり、気づけば遠い過去になっている。その時になって、あのときああすればよかったと気づいても、もう遅い。若き日に確かにあったはずの世界は消え去り、あんなに手ごたえを持って存在していた人たちはもういない。

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 多和田葉子『研修生(プラクティカンティン)』(中央公論新社)の主人公が日本の大学を出て勤め始めるのは、ハンブルクにある書籍取次会社だ。一人暮らしも初めて、ドイツ語を使って生きるのも初めて、そして会社で働くのも初めての彼女は、知識や経験を全て剝ぎ取られ、再び子どもになったように日々を生き抜く。研修生という不安定な身で、毎週のように違う部署に配属し直され、そのたびに新たな人々と出会いながら、目まぐるしい変化の中に放り込まれる。

 孤独に苛(さいな)まれながら日々もがいているうちに、電車の乗り方や休日の過ごし方など、ドイツ社会の仕組みが分かってくる。はじめは通じるだけで喜んでいたドイツ語の、意味や文法などの細部も見えてくる。ようやく会社の戦力になり始めるが、彼女はそこで強い違和感を抱く。私は一生をこうした業務に費やしたくない。日常会話でない、文学のドイツ語に触れたい。そして何より日本語で小説を書きたい。自分ではないものとの強烈な出会いによって、彼女の深い部分に眠っていた欲望が顔を出す。だからこそ本書は、こうして一人の小説家が生まれた、という感動的な記録となっている。

 マグダレーナという女性との出会いも重要だ。はじめは友人だった彼女と、思わず深い関係となり、会社に決めてもらった部屋を出た主人公は、マグダレーナの実家の一室にほとんど住み着いてしまう。そして事実上、家族の一員となる。それだけなら単なる愛の物語だが、そうした描写に、数十年後に訪れるマグダレーナの死の記述が混じる。「若い頃にお酒と煙草(たばこ)をやりすぎると、五十代で食道癌(がん)にかかる、と忠告してくれる人はまわりには一人もいなかった」

 この物語を語っている主人公は現在、おそらく深い後悔の中にいる。けれども当時は知識がなかったのだから、マグダレーナの死は防ぎようがなかった。あるいはもし知識があったとしても、すでに煙草とアルコールに強く依存していたマグダレーナが、主人公の助言に従ったとも思えない。そんなことは主人公もわかっている。けれども、マグダレーナについて語っている瞬間だけは、彼女と再会できているのではないか。何もかも変わってしまったが、「今でも口座番号だけは変わらない」という言葉に苦いユーモアを感じる。

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 町田康「永遠の唄」(『New Manual』所収、講談社)の語り手はひどい貧乏性に取りつかれている。社会に出るとき、安定的な職に就けなかった彼は、急に収入が減ったり病気になったりするのが怖くて贅沢(ぜいたく)できない。だからこそ、フリーマーケットのサイトで偽物の鉄瓶を摑(つか)まされ、さらに近所の老人がゴミとして捨てようとしていたものを一万円で売りつけられる。それでも、手に入れた鉄瓶を楽しめればいいではないか。だが他人の生活の中で湯垢(ゆあか)のついた鉄瓶でうまい茶を飲んでも何ら喜びを感じない、という事実に語り手は愕然(がくぜん)とする。吝嗇(りんしょく)さゆえに、自分はどれだけ多くのことを取り逃がしてきたのだろうか。けれども「もう俺も永くないんだな。という考えが頭に浮か」ぶだけだ。

 チェ・ウニョン『無理して頑張らなくても』(古川綾子訳、早川書房)の表題作の主人公は故郷の街を離れ、ソウルの高校に転入することになる。実は彼女の母親は新興宗教にはまり、そのまま出家していた。主人公は秘密を抱えたまま、なんとか周囲に馴染(なじ)もうとする。人気者のユナのグループに入れたのも、自分では偶然だと思い込んでいた。そして、自信のなさゆえに気を引こうとして、主人公はユナに母親のことを打ち明ける。やがて大人になった主人公は、その秘密をユナが周囲にバラしていたと知る。しかし、主人公は怒る気にはなれない。そして、むしろユナの愛情を拒んでいたのは、自分のほうではなかったかと思う。そのとき主人公は過去を捉え直すことで、大きな許しへ到達している。=朝日新聞2025年11月28日掲載