割れた茶わんがモノ以上の存在になることもある
――「トイ・ストーリー」「チャイルド・プレイ」「くまのプーさん」「ピノッキオの冒険」といった海外の作品や、リカちゃん、クレヨンしんちゃん、初音ミク、ロワイヤル・ド・リュクス。さらには、わら人形、ラブドールのほか、18世紀の喜劇作家サミュエル・フット、「超人形」を提唱したゴードン・クレイグ。本書では古今東西のさまざまな人形を題材にしていますが、子どもの頃から人形に親しまれていたのですか?
覚えているのは、当時の後楽園ゆうえんちでやっていた戦隊ヒーローのショーが異様に好きで。大学に入って演劇コースに進むわけですけど、もしかしたら一番好きな演劇はヒーローショーだったかもしれません。
もう一つ、「バーコードバトラー」というゲーム機が、子どもの自分にとってかけがえのないおもちゃでした。バーコードを読み取ると万物がキャラになって戦い、“合体”できるのも夢がありましたね。この前、久しぶりに学生と遊んでみたら、谷崎潤一郎の本とお茶を合体させたら、強い戦士ができて。三島由紀夫とお菓子をパワーで圧倒しました(笑)。それを楽しむのは、すごく人形っぽい。
――攻撃力などの数値を介して人形化するわけですね。『人形メディア学講義』の冒頭では「人間あるところに人形あり、人形あるところに人間あり」と述べられています。
大学の講義でも最初に言うんですけど、人形って必ずしもヒトの形じゃない。形はもちろん大事な要素ではあるんですが、形だけにこだわらなくても、自分にとってモノ以上の存在はあるのではないかと。ある学生は、割れた茶わんを捨てられず、部屋に置いていて、その前を通るたびに会釈をしているそうです。
人間と人形には共犯関係がある
――「メディアとは人間の身体の拡張である」というマクルーハンの解釈が、人形がメディアであると考えるうえでわかりやすい気がします。
例えば、ここにあるリカちゃん人形は、髪や服などのパーツを選んで、私がカスタマイズしたものです。ということは、私自身の何かしらが反映されているんです。こんな女性が好きとかいうわけじゃないんですが、これを皆さんに見せるのはとても恐ろしい(笑)。
あと、“ぽっちゃりバービー”と言われる人形は、人種や体型に多様性を持たせたシリーズ。買ってみると、髪は青、紫のサングラスで、体の大きな女性は奇抜な服装をしているってことか?と私はどうしても勘ぐってしまう。多様性を主張するメーカーの意向とは別に、良いか悪いかはともかく、我々が他の何かを感じ取ってしまうってよくあることだと思うんです。
つまり受け手側にもいろいろ考える余地があって、その人形とどういう関係を作ろうが、作り手が決めることじゃない。そういう意味で、人間のさまざまな主観を引き受けるメディアが人形であり、お互いに共犯関係があると言えます。
――「最強ホラーとしてのアンパンマン」の章は、実際の授業でも学生たちの反響が大きいと聞きました。
「ピノッキオの冒険」などを手がかりに、実はアンパンマンは怖い、だからすごく面白いという話です。今年公開されたアンパンマンの映画では、僕が怖いと指摘した部分が全てクリアになっている。それも逆に、ちょっと怖いなと思いましたね。
「ガチャピン」と「ふなっしー」の違いを論考する
――あらためて「人形メディア学」とは、どんな学問でしょうか?
人形について多角的に検討することを通じて、私たち人間とは何だろうかと考える営み。では一応あるんですけど、私のアプローチとしては、ちょっとハードルを下げたいですね。人形文化の難しい本はたくさんあって、そこに行く前に学生たちが「人形って面白いかも」と何となく感じてもらえたら、と思っているんです。レベルを下げるというわけではないけど、わかりやすく伝えるようにすることはかなり意識しています。
例えばある回の講義では、着ぐるみという一見バカバカしい感じのするものから、どこまで考えることができるかに挑みます。初期のゴジラは着ぐるみの重量が5、60キロあって、人間っぽく動くのは無理な話だったんですね。その中で人間が頑張って着ぐるみと融合して、結果として絶妙なバランスのゴジラらしさになっている。それは、我々の身体も実は同じで、思い通りには動かないという「身体論」にもつながっていくんじゃないかというような内容です。
――本書では「ガチャピン」と「ふなっしー」の違いを論考していたり、まさか「中の人」が学術的に使われるとは思いませんでした。他に言い換えるのが難しい言葉ですね。
着ぐるみの中に人がいるということが前提になっている感じもいいし、面白い言葉ですよ。テーマパークで遊ぶ時は「中の人」のことは言わない約束、というのは皆さん経験したことが思います。最近では、ふなっしーのように“透け感”が強くなったり、カミングアウト系もある。今回対談した覆面レスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンは、新潟のテレビ番組では、グルメのコーナーで普通に覆面をめくって食べる。それが日常化したので、誰も素顔にツッコまなくなってしまったという。
――そういえば、お話に夢中になってしまい、名刺を頂くのを忘れていました。まさか菊地先生の覆面をかぶった方ではないとは思いますが……。
菊地本人です(笑)。「話していたのは実は別人でした」というのは講義で一回やってみたいですね。こっちは本体じゃなかったのか!?って。
自分の押し入れにあるのはどんな人形?
――講義には、表紙に登場したドールモデルの「橋本ルル」や、ホラー映画の「アナベル」がゲストで登壇しています。先生ご自身が着ぐるみや覆面で授業をされるというのはアリですか? 各方面からお叱りを受けそうですが。
もう今さら怒られないという気がしますね(笑)。「人形なら何をしても良いのか問題」という講義の回で、お世話になった人形を燃やす人形供養のほかに、過激な人形劇の映画「チームアメリカ/ワールドポリス」を題材にすることがあって。政治家をバカにしたり、感動的な場面でゲロを吐いたりするとにかく下品で素敵な映画で。そういう作品を取り上げて、人間が言えないことを人形に言わせるという文化が、歴史の流れの中に脈々とあるという内容の講義。反感を買ったり炎上するかと覚悟していたんですけど、意外にも受け入れられてしまったみたいです。誰か叱ってくれ、と思わなくもないですが(笑)。
――最後に、今回の本、読者にはどういう読み方を期待されていますか?
各章の始まりでは、講義の感じを再現したいなと意識して、できるだけ身近な人形や作品を取り上げるようにしました。読んだ人が身近に感じて、自分の押し入れにある人形はどんなのだったっけ、みたいなことを考えるきっかけにしていただければ嬉しいです。
これを読んで怒る人もいれば、喜ぶ人もいるかもしれない。人それぞれの人形観があります。学生のレポ―トでも、どれ一つとして似ているものはありません。怪しいとか、美しいとか、バカっぽいとか、いろんなことを考えうるのが人形なのだと思います。皆さんにとって人形はどういうものなのか、ぜひ聞かせていただきたいですね。