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【谷原店長のおススメ】あやかし文学の真骨頂、江戸の百物語 宮部みゆき「三島屋変調百物語」シリーズ

 時代小説、それは「心の湯治場」。僕は常々、そう感じています。山本周五郎や藤沢周平、池波正太郎に司馬遼太郎。町人の息遣いを描くなら平岩弓枝。彼らの作品を手に取るたび、僕は「ああ、いいなあ」と眉尻を下げてしまいます。というのも、江戸の人たちの体温や汗、温もりが伝わってきてその暮らしぶりに心癒され、とかく忙しい現代社会を生きるあいだに、いつしか溜まってしまった疲れ、澱のようなものを取り去ってくれるからです。ましてや、そこに「謎解き」要素が入っていたなら。

 読み始めたら没頭してしまう魅力に満ちているのが、宮部みゆきさんのあやかし・時代小説「三島屋変調百物語」シリーズ。「模倣犯」「理由」などの現代小説や、異世界を描いた作品も出色ですが、彼女が紡ぐ世界のなかで僕が最も好きなのは、何と言っても時代小説です。今回ご紹介する「三島屋」シリーズのほかにも「本所深川ふしぎ草紙」「ぼんくら」など、どれを手にとっても満足されること、間違いなし。宮部さんの時代小説は全部読破しています。

 史実に基づいた軍記物や、江戸の平穏な日常を描く町人物などとは異なり、この「三島屋変調百物語」は謎解き要素のある「あやかしもの」。あやかし(妖怪)が出てくることで謎が生まれ、それが解決されることにより、登場人物や事件の知られざる一面が炙り出されていくのがたまりません。

 「三島屋」は、江戸・神田の一角にある袋物屋さん。主人の伊兵衛さんと、女将のお民さんが切り盛りし、江戸じゅうの洒落者から人気を博しています。そこに、伊兵衛の姪が住むようになりました。娘の名は、おちかさん。この物語の主人公です。

 おちかさんは、かつて起きた或る一件のせいですっかり心を閉ざし、閉じこもって暮らしていました。そんな彼女に、伊兵衛はある役目を課します。それは、市井の人々の持ち込む不思議な話を100話聞くというもの。おちかさんは、三島屋にある「黒白の間」という部屋で、客の聞き手となるのです。語り手は一人。聞き手もおちかさん一人。今回ご紹介する「三鬼」は、「三島屋」シリーズの第四弾。百物語のうちの第19~22話が収録されています。

 第19話「迷いの旅籠」は、旅の絵師の或る行動によって死者が帰ってきた村の物語。大切な人を失い悲しみに暮れる人々のために、絵師が大きな灯籠に見立てた建物の障子に、村民の絵を描き、火をつける。そうして死んだ者たちは帰ってくるのですが、その代わりに……。
 喪った愛しい者が帰ってくることを願っても、無理に取り返そうとすれば、どこかで歪みが生じてしまう。仮に「いのちの定量」があるとすれば、それはきっと不変のもので、何かを無理に戻せば、代わりに何かを失ってしまうのかも知れない。そんなふうに考えさせられる一篇です。

 圧巻は表題作「三鬼」。山陰地方の小さな山村の話。かつて山の番人としてこの村で過ごしたものの告白です。そこには上の村と下の村があり、それぞれの村人は植林をしながら最貧の生活を送っています。

 番人たちは、あることに気付きます。村には働きざかりの40歳前後から、10歳前後の子どもしかいない。そこには、深く悲しい理由がありました。それは、働けなくなった者、不治の病の者、体の弱い子を、村民が口減らしをするのです。そんな者が上の村で出た際には狼煙を上げる。すると、下の村から黒い籠を被ったものが来て、手をかける。逆も同様で、双方の村人民はやるものもやられるひとも互いの素性を知らない。だから残された村人も罪悪感を抱かずに済む。そして……。
 追い詰められた環境の中で生きている集落の救いようのない切ない話ですが、意外な形で物語は幕に。じつに宮部さんらしい結末だと僕は思います。そのあともうひと展開ありますが、それは是非ご自身で確かめてください。

 ほかにも、人を急に空腹にさせ、立ち上がれなくさせてしまう“ひだる神”をめぐる江戸の弁当屋を舞台にしたは可愛らしい「食客ひだる神」、家族の愛情と呪いを描く「おくらさま」の2篇が収められています。

 聞き手のおちかさん自身、傷ついた経験から逃れられずにいましたが、「黒白の間」で物語を聞き続けるうち、心の澱を取り払い、前向きになっていく。いつかここを出なければいけない。恨みを溜めて、呪いながら生きたくない。そう決意して一歩足を踏み出し、この巻は終わります。

 「黒白の間」にやってくる人々は、恐ろしく、悲しい出来事を一人だけの胸に抱え続けることはできない、そう思ったに違ない。「黙っておかなければ」と強く思えば思うほど、どこかで喋って楽になりたいと。誰でも同じだと思いますが、自分だけで抱えきれないことを誰かと共有しないとやっていられない時ってありますよね。
 僕にもそんな瞬間って来るのかなあ。「死ぬまで言わずにいよう」と思う出来事を抱えきれなくなる瞬間が…いや、今は特にないんですけどね。

 続編「あやかし草紙」は春先に出版されたばかり。こちらも切なくてじんわりと心が温まる話から背筋が凍るような話まで盛りだくさん。おちかさんの今後を見守りたいと思います。収録は第23話~第27話。百物語、まだまだ楽しめそうです。 

(構成・加賀直樹)