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【谷原書店】大森洋平「考証要集 秘伝! NHK時代考証資料」 成り立ちを知り、新鮮な驚き

谷原章介さん=松嶋愛撮影

 「谷原書店」の連載は2018年7月に始まり、来月で7周年を迎えるのですが、「事典、辞書」のたぐいを紹介するのは初めてのケースかも知れません。今回の本は、NHKの制作現場の内部資料をもとにした、いわば「歴史蘊蓄(うんちく)事典」といった趣の一冊です。著者は、長年にわたってNHKのドラマなどで時代考証を担当してきた大森洋平さん。何げなく手に取ってみて、まず、昔の日本の軍隊に関する言葉の間違いを指摘する箇所に、目が釘付けになりました。

【あります】
 最近の「戦前ドラマ」では、陸海軍を問わず軍人にやたら「~であります」と言わせたがるが、これは正しくは旧日本陸軍の語法である。元は長州弁で、明治初期の陸軍が長州出身者中心だったことの名残と思われる。海軍では原則として使わない。太平洋戦争期になると徴兵前の青少年層への軍事教練の影響で、水兵が「あります」言葉を使う例は間々あった。しかし、海軍士官は使わない。うっかり使うと「陸式(陸軍式のこと)はやめろ!」と修正された。台詞等では注意が必要(考証資料『旧軍諮問録』ほか)。(本書より)

 そうか、長州、いまの山口県の言葉が陸軍で使う言葉のルーツになっているのですね。「あります」という言葉は、昨今の映画などでもよく耳にする言葉であるように思いますが、誤用も含まれているのですね。僕の祖父が海軍に在籍していたこともあって、新鮮な驚きをもって読みました。これからは海軍、陸軍の違いをもっと意識しよう。それから時代劇に関しては、こんな項目も。

【雨降り時の武士】
 刀の柄糸が濡れて滑り、抜刀時に不覚を取らぬよう、左の袖の袂で柄頭をカバーして歩くのが嗜みのある武士とされた。
(本書より)

 これにも感銘を受けました。なるほどたしかに、雨が降っている時には、手が滑ってしまいそうです。これまで雨の中のシーンで、こうしたことを意識して演じたことはありませんでした。一つひとつ、細かい所作をもって「武士らしさ」を際立たせていく。大事なことだと感じます。

【尼さん】
 尼さんは基本的に剃髪するが、昔の上流婦人は肩で切り揃える「切り髪(尼削ぎとも言い、一種のおかっぱ頭)」にもした。いずれにせよ公式の場(特に男の前)では頭巾をかぶるものだが、最近の時代劇ではベテラン女優が切り髪丸出しの、しかも派手な着物で人前に出てくる良くない例がしばしば見られる。少しでも若く綺麗に見せたい気持ちはわかるものの、これでは出家した役柄の意味がなく(年甲斐の無さが露呈するだけ)、考証的にも不正確で歴史劇の格調が損なわれる。一方大河『義経』の松坂慶子、森口瑤子様、『風林火山』の藤村志保、風吹ジュンは常に正しい尼御前姿で「遁世の美」を示した。賞賛すべき見識である。(本書より)

 この「尼さん」の項目にいたっては、なかなか手厳しい筆致です。いっぽう定点観測で作品を見つめ続けてきた思いの強さも感じる一文でもあります。各項目の文末には、引用元や参考文献の名前が書き添えられたものも。その時代に生きていた人々の文章を読み込んだり、実際に会って話を聞いたりしながら、著者の大森さんは、こつこつと検証しているのです。いやはや、たいへんな労力! 一つひとつの文章は決して長くありませんが、そこに至るまでの研鑽の積み重ねを思うと、感銘を受けずにはいられません。

 僕らの手元に台本が来るときは、考証を踏まえて整理されています。ただ、撮影現場で、監督や役者が「考証では、こうかもしれないけど、ドラマでもあるし、許せる範囲でもうちょっと崩したいよね、やわらかくしたいよね」ということはあったりします。でも、史実と異なるような表現は、したくない。史実と作品を観てくださる方々に誠実でありたいと、つねに思います。

 言葉づかいだけでなく、イントネーションにも気を付けなければなりません。たとえば、二人称の「そなた」。僕らは音楽の「ソナタ」と同じように発音しがちですが、時代劇の世界では、基本はフラット、前の言葉によって少し下から上がっていくイントネーションなのだそうです。「時代」「リンゴ」と同じ上がり方です。これに関しては、僕もすでに教え込まれていましたが、この本でもやはりちゃんと触れられていました。

 また、「生きざま」という言葉は、昔は存在せず、「死にざま」という言葉から生まれた造語だというのも教わっていました。この本ではこんなふうに紹介されています。

【生き様】
 これは、「死に様」という古来ある言葉から生まれた戦後の造語なので、戦前劇や時代劇では一切使ってはいけない。言葉の乱れの例として嫌う人は非常に多く、藤沢周平は「お金を積まれても使いたくない言葉」にこれを挙げたそうである。(本書より)

 藤沢周平さんの見解まで付記されているとは。面白いですよね。この本で初めて知って驚いた言葉もありました。2人の主君「二君」のことを、恥ずかしながら僕は「にくん」と読んでいたのですが、そうではなく「じくん」なのだそうです。時代劇の撮影現場では「にくん」と発音していました。

 「医食同源」という言葉に関しても驚かされました。中国の悠久の歴史を想像させる言葉だと思ってきましたが、実際には、そんな故事成語は中国には存在せず、なんと日本で生まれた言葉だそうです。本書いわく、1970年代に、健康食品ブームをあおるため日本でつくられ、中国や台湾、韓国に逆輸出。日本人観光客向けにレストランなどで使われるようになったとか。そのため「時代劇で使ってはならない」としています。もう、意外なことだらけですね。さらに、こんなものもあります。美的に見る際と、実用とでは異なるケースです。

【刀の掛け方】
 時代劇で日本刀の大小を刀掛けに掛ける時、「柄(つか)を下手に向けて大刀を上、小刀を下」に掛ける例が多い。これは美術品展示的なやり方で、普通は「柄を下手に向けて大刀を下、小刀を上」にする形もある。(本書より)

 たしかに! 利便性を考えるのなら小刀が上で、大刀が下である方が、小刀を帯に差して大刀を手に持って玄関に向かうのに便利です。敵がいつ来るかわからない時には、柄を上手にして大刀を上、小刀を下にし、すぐ抜刀できるようにする。ことの喫緊性に応じ、分けるべきなのですね。

 「檄を飛ばす」「役不足」「すべからく」など、すっかり誤用が定着してしまった言葉に関しても、一つひとつ丁寧に指摘がなされています。ドラマの制作現場だけでなく、誰もが役に立つのではないでしょうか。もっとも、言葉は時代を経て変わっていくものでもあります。定着していることに対し「間違いだ!」と強く断じる必要はないとも思います。ただ、言葉のそもそもの成り立ちを知っておくというのは、とても大事だと思います。

 「トンビに油揚げをさらわれる」の驚くべき真実とは。「鍋料理」が、ゆめゆめ江戸時代の時代劇で登場させてはならない理由とは――。とにかくトリビアの宝庫の一冊です。

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 今回ご紹介した本は、続編も刊行されています。『考証要集2 蔵出し NHK時代考証資料』(文春文庫)。これらで得た知識をもとに、時代小説を再読してはいかがでしょう。改めて、その世界の深淵に魅了されるかも知れません。藤沢周平、池波正太郎……また読みたくなりました。(構成・加賀直樹)