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時間をかけて〝相手〟を知る読書 「83 1/4歳の素晴らしき日々」「ベルリンは晴れているか」まとめてレビュー

文:イシハラサクラ

 今回紹介するのはどちらも分厚い本だ。ひとつは389ページ、もうひとつは469ページある。

 長い本はそもそもなぜ長いのかといえば、長くなければ表現できないことがあるからだ。特にそれが複雑で一筋縄ではいかないようなことだったとき。たとえば誰かの人生を真摯に書き表そうとすれば、それはおのずと長くなる。

 以下の2冊に共通するのは、主人公の心情が丁寧に描かれているということ。主人公はそれぞれ大切な人を失った経験を持つ。彼らの感情の起伏は全編にわたって少しずつ織り込まれている。だから読むほうは時間をかけて彼らを理解することになる。時間をかけて相手を知る感覚は、人付き合いと同じだ。両作に描かれた人の生きざまは読むほどに深みを増してくる。

 『83 1/4歳の素晴らしき日々』(集英社)はもともとオランダで出版され、ベストセラーになった作品だ。老人ホームに住む83歳の男性、ヘンドリック・フルーン氏がウェブサイト上に書いていたコラムを書籍化したものだという。作品冒頭に「アムステルダム北地区の老人ホームでの暮らしを日々私がどう感じているか、一年間、率直にお聞かせしよう」とあり、フルーン氏本人による日記の体裁で書かれている。しかしこの書き手についてはその筆さばきゆえに「有名なコラムニストか作家なのでは」と推測されているようで、真偽のほどはわからない。

 この本の面白いところは、フルーン氏とその友人エヴァートのジョークや皮肉が効いていること(かなりブラック)、そしてフルーン氏たちがいつも好奇心旺盛だということ。なかでも素敵なのが「オマニドクラブ」だ。老人ホームのイベントには飽き足らないフルーンたちは月2回の自らイベントを企画し、ミニバスで出かけることにする。メンバーは順番にサプライズの企画を立てるのだが、メンバーのエーフィエはみんなをカジノに連れ出す。もちろん大盛りあがりだ。彼女はフルーンが心をときめかす相手でもある。2人のやりとりは初恋のように初々しく、つつしみ深い。

 日記に記されるのは愉快なことばかりではない。なぜ自分には家族の来訪がないのか。その事情がさりげなく明かされるとき、彼の人生の奥行を感じさせられる。 

 認知症、糖尿病、そして安楽死の願い……彼とその仲間たちはみな老いていく自分と向きあい、よりよく生きようと努力している。 

自分自身の葬儀については、棺の中に小さなCDプレーヤーを隠しておくという案を考えてみた。外からリモコン操作してもらい、私の声を聞かせるのだ。「おーい! みんな! (ドンドン叩く音)なにかのまちがいだ! 出してくれ! まだ生きてるんだ……いや、冗談だよ。完全に死んでるよ」
自分でその場にいられないのが大変残念だ。
冗談はさておき、そろそろ真剣に遺書を書いておかねばならない。多くの願いがあるわけではなく、絶対に避けたいことがいくつかあるからなのだが、なかなか書く気になれない。(P176)

 誰にとっても人生の終末はドラマではない。フルーン氏のユーモアの底にあるもの悲しさは読後も長く心に残った。

 『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)は第二次大戦の敗戦直後のドイツが舞台。読む前には重苦しいものを想像したが、重いテーマがリーダブルなミステリー小説として成立している。作品のリアリティは圧巻。巻末の膨大な参考資料が物語っているが、テーマがテーマなだけに、相当の緊張感を持って書いたのだと思う。

 主人公のアウグステは17歳の女の子。共産主義者だった両親が反社会分子とされたために、自身も追われる身となって戦後を迎えた。
旧知の間柄である男、クリストフの不審死をきっかけに、その死を伝えるべく彼の甥のエーリヒの行方を探すことになる。ひょんなきっかけから出会った泥棒、カフカが旅の道連れだ。

 さまざまな事件に巻き込まれながらも、アウグステはたくましい。戦争を生き抜いた者の強さは読んでいて頼もしく、物語の推進力でもある。しかしアウグステの回想する過去は悲惨そのもので、ふとした瞬間に彼女は暗い淵に落ち込む。

“生き残った”と口にすると、胸のあたりにすきま風が吹いたような気分になった。私は生き残るべきだったのだろうかという、もう何度も繰り返し訊ね続けている問いが、心を締め付けてくる。(P128)
ふいの衝動に駆られて、ライフルの銃口を覗き込んだ。丸くて暗い穴。もしライフルを支えるこの手が滑って引き金に触れたら、私の目の中に銃弾が撃ち込まれ、私は死ぬ。やってみたい、という思いが体を駆け抜ける。(P251)

 飄々としたキャラクターで物語を彩っているカフカもまた過去を背負って生きている。身もふたもない感想になってしまうけれど、生きるって苦しいなあと思う。でも本書は苦しいけど生きるんだ、という力を与えてもくれる。

 ミステリーとしてもすぐれている。初読も面白いが、結末を知ってからの再読もまた面白い。

 忘年会などで忙しい時期だけれど、どちらもぜひ読んでみてください。