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桃太郎を俯瞰で描いた絵本「空からのぞいた桃太郎」が問いかけること

文:加賀直樹、写真:有村蓮

幼少の頃から「桃太郎」に苛ついていた

――昨年9月に発売後、ツイッターなどSNSを通じて反響が今も広がっていますね。

影山:2015年にこのお話を岩崎さんからいただいて、つくった当初からたぶん、「賛否両論が起こるのではないか」と思っていました。「起こってほしいな」と思いながらつくったんです。ツイッターでバズったのも、「そうなってほしいな」という現象が実際に起きたような感じです。

――本に巻かれた帯のフレーズがとても刺激的。「鬼だから殺してもいい?」。

影山:いろんな解釈ができる本なんですよ。ブックレビューなどを見ると、人によって解釈の仕方が全然違う。ある人は嫌悪感を持ったり、ある人はドンピシャ、ハマったり。絶賛があれば、酷評もある。十人十色。読んだ人全員、感想が違う。

岩崎:ずっと僕は、『桃太郎』という物語は卑怯な描き方をしていると思っていました。ひじょうに抽象的。背景や登場人物の人数を敢えて描いていなくて、ずっと僕は疑問を抱き、物足りなく思っていたんです。僕は父親が建築家であったこともあり、小さなころから空間を意識してきたし、空間が大好きなんです。小学校2年生の時に読んだ『ドリトル先生』には「パドルビー」という架空の街が出てくる。それが、ありありとイメージできた。後で、イギリスのノーフォーク地方をイメージしながら描いたと知ったんですけど、そこにはすごく親和性が持てた。一読して、大好きになったんです。井伏鱒二さんが翻訳されたんですけど。そういう作品を僕は求めているんです。

宮崎駿さんも、必ず描いていないところも全部設計されてから映画をつくられる。そんな空間認識力、把握力、空間に対する感度みたいなものが、僕のなかではひじょうに重要なエンターテインメントの要素。それがない作品は嫌いだった。「桃太郎」は、話自体は面白いのに、絵本があまりにも曖昧で、いいかげんで、僕は幼少のみぎりから苛ついていた。フラストレーションを溜めていたんです。

絵本『空からのぞいた桃太郎』の編集を担当した岩崎さん

――かつて高畑勲監督も、「桃太郎」の矛盾点を批判する文章を書いていますね。古くは福澤諭吉、芥川龍之介も、否定的な指摘をしています。こうした文章を読む前から、岩崎さんは違和感を抱いていたのですか。

岩崎:そうですね。「『桃太郎』はおかしいな、背景があまりにも抽象的だ」。「もうちょっと具体的に描いたほうがいいんじゃないか」と。

それから、僕は影山さんの絵にずっと若い時から惹かれていたんです。影山さんが空間的な絵を描かれる。空間的でありながら、なおかつ空間を歪めて4次元、5次元的に描かれる。特殊なんですけど、影山さんの描く絵が僕は好き。ある時、ふと、「その2つをマッチングさせたら素晴らしいのでは」。それで思い付いたのが、このアイディアだったんです。

影山:たとえば、子ども向けの絵本紹介サイトに載せる場合、「絵本作家さんに聞く」というので、「ちょっとピュアで、いたいけな子どものために可愛い絵を描きました」みたいな、作家さんのインタビューが載るんですけど、この本はそうじゃない。ものすごく戦略的。

岩崎:僕は、子どもを子どもとして見ていないんですよ。僕もそうだし、影山さんもきっとそうなんですけど、いわゆる無邪気な子ども時代がなかったんです。当時から大人と同じような問題意識を持っていた。今の子どもも高度な問題意識を持って悩んでいるだろう、という前提で描いている。そういうお子さんに向けてつくっている。おためごかしは大嫌い。

侵略物語の結末がなぜ「めでたい」のか

――子どもを「いたいけな存在」として捉えていない。影山さんも同じ意見ですか。

影山:岩崎さんからお話をいただいた時、朝日新聞で作家・池澤夏樹さんのコラム「終わりと始まり」を読んでいて、池澤さん、桃太郎について批判的に触れていたんですね。それをたまたま読んでいて、「ああ、あの桃太郎を描くのか」と。池澤さん、結構、桃太郎について辛辣に書いているんですよ。いわゆる侵略物語だ、と。じゃあ、それを絵本に描くとすると、子どもに読ませるにはどうかな……。でも僕は、子どもに読ませるというよりは、最後の場面を見て、大人や子どもがどう思うんだろうという興味のほうが大きかった。今の若い子たちはゲーム世代なので、最後、悲惨な状況になった場合、どういう反応があるのか。物語は「めでたし、めでたし」で終わるんですけど。

――文章ではそうやって終わりますよね。黄金の締め括りフレーズ。

影山:その終わり方、果たしてどういう状況が「めでたし」になるのか。描いてみて、読者が読んだときにどう思うのか。興味がわきました。

――この本には、数々の驚き、気づきが散りばめられていますね。たとえば鬼たちは、鬼ヶ島のなかで、じつに「ふつう」に生活している。女性や子どもの鬼がいたり、市場で買い物をしている鬼がいたり、踊っている鬼がいたり。真面目そうな鬼もいる。そんなところに、桃太郎一行が乗り込んできて、殺戮を繰り返す。「これって、テロじゃん!」って思ったんですよ。すごく、ゾッとしたんです。それこそ、子どもの頃から誰でも知っているような話が、良く言えば突っ込みどころ満載、悪く言えば、侵略の話。恐ろしいと思いました。

岩崎:テキストはそのまま読むと、鬼ヶ島に乗り込んで鬼を退治するという話なんですけど、それを、そのまま上から見てみると、「奇襲攻撃」なんですよ。鬼が油断している隙を狙って、奇襲する。完全な奇襲攻撃で、鬼を全滅させるみたいな話。

――親玉の鬼が最後、土下座して謝って。桃太郎の一行は宝物をせしめて帰ってくるという。

岩崎:影山さんはブリューゲルみたいな両義的な絵がお好きでしょう。残酷に読み解けもするけど、何だか楽しそうでもある、みたいな。見る人によって、感想が変わってくる万華鏡のような、「だまし絵」みたいなものが影山さんの絵の真骨頂。影山さんが挿画を描かれる時に、両義的なテーマを扱っている小説の時ほど、影山さんの腕が鳴る。暗黒面と明るい面、響き合って溶け合う時にこそ、影山さんは影山さんでしか描けない世界が広がる。

小説は本来、正と邪の混沌がテーマであることが多い。影山さんがテーマとされている両義的な絵、作品がじつは、絵本というものにもコンセプトとして存在している。絵本という創作ジャンルは、ほかの本とまったく違う要素があるんですね。

「空からのぞいた桃太郎」(岩崎書店)より

――どんな要素なのでしょうか。

岩崎:小説でも雑誌でも、内容を知りたいから買うわけです。だけど、絵本だけは、親がその場で立ち読みして、読み切ってから買うかどうかを判断する。ネタバレしてから買う。そこが他ジャンルとは全く違う。重要なのは、1回読んで終わりだったら、もう、絵本としての価値がないということなんですね。何回も再読に耐える必要がある。それには方法が1つしかなくて、両義的、多義的ということなんです。読むたびに多義的にいろんな解釈ができることが、絵本に求められている要素。読むたびに感想が違うな、みたいに。

――絵本って、何度も繰り返し読まれるものですよね。しかも年齢を重ねた後に読み返し、自分が子ども時代に読んだものを、親になって読み返したりもしますよね。

岩崎:そのたびに感想が違ってくる。きっと影山さんはそういうのがお好きなんだと思う。影山さんとは昔、僕が書いた本の表紙を描いてくださったのがご縁なんです。僕が強烈にリクエストして。当時、影山さん、僕に悪いイメージを持っていたと思うんですけど。

影山:いやあ、あっはっは。

岩崎:「1回、持ち帰らせていただきます」って言われて。

影山:でも、調べてみたら、岩崎さんのブログに僕のファンって書いてあったんです。「じゃあ、悪い人じゃない」。そう思って引き受けたんです。

登場人物を限定して本質のみを描く

――本の最初から驚くのは、そもそも、川上からなぜ桃が流れて来たのか。なぜ、おばあさんはその桃を獲ることができたのか。おじいさん、おばあさん以外の人間が出てこない。だとすると、この広大な敷地は2人の土地なのか。2人は桃太郎を育てる経済力があるのか。……今までまったく気づかなかったフォルダが、じつは存在し、それがパカパカ開いていくような印象を覚えたんです。構想段階で、そういう部分も詰めていったのですか。

影山:桃太郎がほかの子どもたちと遊んでいる案も考えたんですけど、でも、おじいさん、おばあさん、桃太郎以外の人物を出すと、俗っぽい感じになってしまう。他の住人をまったく描かない世界のほうがイマジネーションが膨らむのではないか。ほかの要素を入れるたびにイマジネーションが狭くなってしまうんですね。

「空からのぞいた桃太郎」原画の一部

――説明っぽくなる。

岩崎:桃太郎は、そもそも抽象性の極めて高い寓話。「寓話中の寓話」なので、夾雑物(きょうざつぶつ)が入ってくるとどんどん本質から離れてしまう。影山さんはその本質をズバッと掴んで、打ち合わせしたわけでもないけど余計なものを描かないでくださった。 

――そして、お供の犬や猿、雉と出会う環境が、思う以上に急峻だったり、危なかったり。

影山:最初の打ち合わせ時に、その段階で浮かんできたんですよ。犬、猿、雉に会う場面で「見開き1枚ずつ描けるな」と。桃太郎は旅に出ている。順番に、好きな景色を描いていける。好きな景色を描けるんだったら、思いっきり、妙な、シュールな景色にしたほうが面白いなって。それまで、おじいさんとおばあさんのところはかなり平和な景色なんですよ。

――春夏秋冬の、「日本らしい景色」だと多くの人が共通して抱くような景色ですよね。

影山:そこから鬼ヶ島までは、「山越え谷越え」。

――ムチャクチャ危なっかしい橋が出てきますよね。ありえない形の山が出てきたり。俯瞰のバリエーションが素晴らしい。しかも、ここの俯瞰は真上からでなく、斜め上。

影山:だんだんずらしているんです。山の上に登ったあたりから、視点を斜めにして。

岩崎:最初はラフ、次は下書き、その後、着彩でほぼ完成だったんですけど、ラフを見た時は、反感買いそうな言い方ですけど「俺の目に狂いはなかった」。作業スピードが異常なまでに速いから、影山さんの中に何かあるのかな。

影山:僕の本業は小説の挿画。小説というお題を頂いて、読んで、そのなかのことを絵に描くんですけど、自分ではもっと遊びたい部分がある。でも、作家さんのために自粛しているんです。それを今回は全部取っ払った。取っ払うと、こうなるんです。

――解き放ったわけですね。

影山:SFでもこういうシチュエーションは無いし、描ける場がない。

岩崎:すごいエネルギーを感じました。圧倒されました。

「空からのぞいた桃太郎」原画の一部

――そしてなおかつ、細かい。早いというのは具体的には何カ月?

岩崎:ラフ描くのが1カ月。完璧な下書きが出来上がるのが1カ月。2カ月でできました。

――ええ!? ほかのお仕事もたくさんお持ちなのに。

影山:結末まで含めて知っているお話、というのは土台にあるから。たぶん、他の絵本作家は、お話を含めて絵をどうするかって迷ってかなり時間がかかるんじゃないかと思うんですけど。これはもう最初からあって。

鬼にだって日常生活も祭りもある

――鬼ヶ島のシーン、最初は鬼が酔っ払って酒盛りする絵だったんですって? 変えた理由は。

影山:文章が「鬼ヶ島で鬼が暮らしていました」に変わった。最初は「鬼が酒盛りをしていました」にしていた。これは、僕が下書きを変えてからですかね。

岩崎:そうですね。

影山:僕は下書きで生活感を出してみたんです。鬼がちゃんと住んでいて、自給自足で、お店もあって、で、ちょっとお祭りみたいなことをしている。「酒盛りしている」とすると、昔の桃太郎の話だと、屈強な男の鬼たちだけが要塞の中で酒盛りしている感じになるんですよね。それをやめて、ふつうの人間界と同じように、広場でちょっとお酒を飲んでいる、お祭りをやっている感じにしたんです。

――つとめて平和な風景ですよね。

影山:あと、「鬼文化」を入れたくなった。金棒を売っているところとか、芝居小屋とか、鬼が単なる島に住んでいるだけじゃなくて、余興も楽しむところもあるという。

――そんなところに乗り込んでいく桃太郎。侵略をした後に「幸せに暮らしましたとさ」。俯瞰することで初めてその残虐さに読者が気づくようになりました。俯瞰することの意義を強く感じた瞬間でした。

岩崎:人間にとって、空間を捉えることは極めて重要。よく言われるのは、物事を立体的に捉える、みたいな。陳腐になりかけた言葉ですけど、「メタ視点」とか、客観視。そういう、僕もできていないからこそ客観視しなきゃいけないなという戒めは常に持っていて。

昔、世阿弥という人が、「離見の見」というのを能の役者はやらなければだめだよ、と。離れたところから見る見方、という意味なんですけど、自分が踊っているところを上空から見てみるとする考え方なんです。そこから自分の演じている姿を見ることによって、初めて役者としての成長がある、ということを書いていた。読む人に俯瞰で見ることの価値を伝えたい。そういうコンセプトは僕の中ではありましたね。

世の中は多面的なもので、たとえばある人がいて、その人がいろんな多面性があるから、喧嘩している者同士でも、相手の良いところもあれば悪いところもある。そう思えれば、和解が進む。融和が進むと思いますね。僕は右も左も大嫌い。もっと客観的に見ることができないのかなって。そういう多義的な目を持ったら良いと思うんだけど……、僕の考えは誰からも相手にされないんです。

対立する相手を滅ぼす、を俯瞰で見る

――そんなことないと思いますけど。でも、極端に分かれてしまうところがたしかにありますよね。

岩崎:僕はそれが大嫌いなんです。影山さんとはそういうところで話が合う。……勝手に一緒にされたら迷惑かもしれないけど。

影山:僕は岩崎さんのそういう考え方も俯瞰で眺めていますけど。

岩崎:あっはっは。

影山:「鬼は絶対悪の象徴」として、桃太郎の話はつくってあるんですけど、「悪って何だろうな」って。時代によって、いろいろ対象が変わるじゃないですか。隣の国だったり、アメリカだったり。かつて「桃太郎」は戦争中のプロパガンダに使われたこともある。時代によって悪の定義が変わる。今の若い子だったら、ゾンビをいくら倒しても良いんだ、というゲーム感覚で考える。駆逐する。「桃太郎」自体、鬼ヶ島に行って、鬼を全滅させる話ですからね。国ひとつ亡くすような話。こんな怖い話はない。自分たちとちょっと対立するような相手だったら国ごと亡くしてしまえという考え方なんですよ。そういう怖さ。

そんなところを俯瞰で見る。たとえば、戦国絵巻。あれは俯瞰で見ているぶんには、ものすごく美しい絵なんですよ。でもその中で行われていることって殺し合い。上から望むと、絵的には華やかで祭りみたいに見える。でも、なかで行われていることは戦争。

岩崎:火とかもね。離れて見れば美しいけれど、近くに寄って見ると熱くて苦しい。

影山:漫画の神の視点で、第三者の視点で、俯瞰で見る、みたいな。それで描くと、どういう状況も描ける。相手側の目線で描けないものも、上から第三者の目線で見ると全体像が見えてきて、その中に描かれてないものも見えてくる。

――この、「空からのぞいた」シリーズは、今後も続くのでしょうか。

岩崎:僕は考えているんですけど、影山さん、「あんまり考えたくない」って言う。 

影山:ちょっとね、パート2みたいなものって、だいたいショボくなるじゃないですか。だから、「のぞいた」でも、別な解釈で「のぞいた」にしたほうが面白いんじゃないですかね。