読み進めると、500年ほど前の話とは思えない感覚に襲われる。戦国時代が舞台の小説の主人公が「マイノリティー」の個性を帯びているからだろう。
武川佑さんの新作「龍(たつ)と謙信」(KADOKAWA)は、越後の武将・上杉謙信と、妻の於龍(おたつ)を主人公に据えた時代小説だ。謙信は「軍神」「義の武将」の異名をとり、生涯独身を貫いたとされてきたが、近年は妻がいたという説も有力になっている。ただ、妻がどんな人だったかはわかっていない。
「謙信に妻がいたらどんな人で、どういう夫婦だったのか。研究では明らかになっていないけど、物語としてならできるなと思った。『義の武将』から飛び出た謙信の個性と、それにマッチする奥さんが書けたら、と考えたのがきっかけでした」
ある日於龍は、叔母の出産祝いに出かけた。だが生後1カ月の男の子に人さし指を握られると、胸が熱く重くなった。
〈自分が子を生(な)さぬことで(越後守護代の)長尾の嫡流(ちゃくりゅう)が絶える〉
叔母は、涙があふれそうな於龍の肩を抱き、声をかける。
〈女が身と心を潰して継がねばならぬ血など、絶えればいい。覚えていて。その苦しみはおおくの女を殺してきたのです〉
「義」とは異なる謙信の内面も描きだす。合戦ではド派手なかぶとを着けて前線に出て、馬に乗りながらも酒を浴びるほど飲んだとの逸話に沿った。さらに作中では男色好みで、隠れて化粧をしていたという様子も。
於龍はそんな謙信を「気持ち悪い」と思う。一方で「女の格好をしたくない」と思う自分は何なんだ、との疑問に揺れる。
「戦国時代の歴史小説の多くは武士中心の世界だった。一方、遍歴する旅の僧や遊女、定住しない山の民、そして於龍みたいに女性の格好が嫌だなと思っている人も存在したはず。史料が乏しく、研究では明らかにできない部分をなるべく確からしく書くのが私の役目。戦国時代をできるだけリアルに、全部見たいっていう欲望があるんですよ」
戦国時代との出合いは、思いがけないことだった。
学生のころはドイツ農民戦争やワイマール共和国史を好み、日本史は「長篠と関ケ原、どっちが先かわからなかった」ほどだ。書店員になり、コミックを担当したころ、石井あゆみさんの「信長協奏曲」や宮下英樹さんの「センゴク」といった戦国漫画にのめり込み、深掘りしたいと思い至った。業界紙記者をしながら執筆を始め、2017年に甲斐武田氏を描いた時代小説「虎の牙」でデビューした。
昨秋刊行の「円(まど)かなる大地」は大藪春彦賞に輝いた。戦国期のアイヌと和人の和睦を題材にした作品だ。今作は受賞後初の新作。一昨年には、謙信が居城にした新潟県上越市の春日山城跡から、山形県米沢市の廟所(びょうしょ)へと足跡をたどり、構想を形にした。
「リアリティーを持ってある時代を描きだし、現代の人々に届けるという仕事は間違っていなかった。いくつかの時代を貫く話とか、日本じゃない場所をつなぐ話とか、視座の広い話を書いてみたい」(伊藤宏樹)=朝日新聞2025年7月23日掲載