白い皿の中で焼きたての豚肉が四枚、玉ねぎと生姜の香りのする茶色いソースとともに盛りつけられていた。付け合わせはキャベツの千切りと白いポテトサラダ。添えられたパセリの緑が目に染みる。それに味噌汁と白い湯気を上げる熱々のご飯。ご飯は山盛りだった。「このご飯大盛りはサービスです」空腹を見透かされているようで恥ずかしくもあり、とてもありがたくもあった。(中略)白ご飯は甘く、温かい。ポークジンジャーはとても柔らかく、前歯でプツリと切れた。豚の脂の甘みとソースの味が口の中に広がり、同時に生姜の風味が入り込んで引き締める。ご飯が進む。(中略)再びポークジンジャーをかじろうとして、肉を一度ご飯の上に乗せて薄切りの肉でご飯を包むようにして食べてみた。肉巻きにされたご飯は、ポークジンジャーの旨味が染みて別物のようだ。キャベツもソースが染みていてうまかった。このポークジンジャーのうまかったこと――。(「浅草洋食亭のしあわせごはん」より)
ハンバーグにエビフライ、オムライス……。洋食屋さんのメニューは、見ているだけでも聞くだけでも、ワクワクしますよね♪ 今回ご紹介するのは、「ある特定の人」だけに見えるうさぎの「玉兎(ぎょくと)さん」がいる、ちょっと不思議な洋食屋が舞台のお話です。
祖母から受け継いだ洋食亭「うさぎのしっぽ」で働く長女の菜穂子と次女の香織、そして、いつか商社に入ることを夢見る派遣社員の三女・美咲。三姉妹には少し不思議な能力があり、訪れるお客さんたちを美味しい料理とともにもてなします。作者の遠藤遼さんに「思い出ごはん」や作品についてのお話を伺いました。
致命的に料理下手だった母と行った喫茶店の味
――洋食屋「うさぎのしっぽ」がある浅草を物語の舞台に選んだ理由を教えてください。
実は、大人になるまで浅草に行ったことなかったんです。それまでは、寄席とかお笑い、浅草寺という印象が強かったんですが、池波正太郎先生の作品を読んで「浅草は美味しいものがいっぱいある町」だと知りました。当時勤めていた会社の上司に、浅草にあるステーキ屋さんに連れて行ってもらった時は「自分も少し大人になったな」と思いましたね。
以来、自分でも食べ歩きをするようになって感じた浅草の印象は、いわゆる下町の「温かみ」が残っているんですよね。この話に限らずですが、私は人の心の温かさや優しさを最終的に感じてもらえる作品を書きたいと思っています。浅草は古いものも新しいものも混ざっていて、下町人情があり、日本人の感性の根源を揺さぶる町だと思って今作の舞台に選びました。
――常に観光客でにぎわっている場所もあれば、「うさぎのしっぽ」のように働く人や地元の人たちが通うお店もひっそりあったりして。色々な人や文化を受け入れる懐の深さがある町ですよね。その浅草に洋食屋を結び付けたのはなぜでしょうか。
洋食も浅草に対するイメージと重なっているところがあったんです。純然たるフレンチやイタリアンだとオシャレ感が先にたってしまうし、和食も肉ジャガみたいな家庭料理的なものは別として、突き詰めていくと格式が高いかなと。その点、洋食は日本的でありながら西洋でもあって、日本人の舌にあうように変えたり、ほかの国の料理も取り入れたり。そんな懐の深さが共通している点だと思いました。値段も庶民が食べられるコロッケみたいなものから、少し高いものもあって。普段慣れ親しんだ味から、子どもの頃にお子様ランチを食べた時の楽しさも一緒になっている洋食を選びました。
――作中で、借金返済のために妻子を残し、東京で再出発を決意した石崎が、初めてお店に来て以来、注文しているのがポークジンジャーです。家庭でも「豚の生姜焼き」はよく作りますし、街のラーメン屋さんとかにも定食で置いてあったりして、ポークジンジャーと少し名を変え(笑)、実はどこでも食べられている身近な料理なんですよね。
ストーリーの中で、誰が何を食べるかは各キャラクターが勝手に選んでいるのですが、石崎がお金に困っている時にポークジンジャーが目に入ったのは、その時の自分の懐事情と生姜のたれの香りに、何か伝わるものがあったのでしょう。「お肉を食べると元気になる」という単純な気持ちもあったと思うし「生姜多め」っていうのも決め手になったのかな? ご飯を山盛りにサービスしてくれた心遣いも含めて、石崎にとっては、やっと一息付けたときの「あったかいごはん」だったんです。
――ご自身の思い出の食べ物はありますか?
私の母は致命的に料理が下手な人で、よく日曜日のお昼とかに一緒に行っていた喫茶店があるんです。そこでピザなどの味を覚えました。作中で出てくるポークジンジャーも、子供の頃にその喫茶店で食べたものなんです。生姜がちょっと多めで、薄いお肉が3枚くらいあって。その味が、もう他の店では出合えないんですよ。
この年になって思うのは、高いからといって思い出に残る料理とは限らないんだな、ということです。私が大学を卒業する前に亡くなった母がよく作っていた「卵揚げ」って言える料理がありまして。ドボドボの油の中に卵を落として、丸のまま「ポン」と食卓に出てくる不思議な料理だったんですが、時々無性に食べたくなるんです。「思い出の食べ物」って、それにまつわる思い出を食べていると思うんですよね。人によってはつらい思い出ばかりでもう食べたくないってこともあると思いますが、「楽しい思い出があったから食べたい」と、その時の気持ちになってもう一度家族と一緒に食卓を囲みたいなって思うんです。