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働く人だけが「社会人」なのか 山崎ナオコーラさんが小説「趣味で腹いっぱい」で問いかけるもの

文:篠藤ゆり 写真:岡田晃奈

――『趣味で腹いっぱい』というタイトルは、小説を構想している時にパッと浮かんできたのですか?

 最初から“趣味”の話にしようと決めていたので、趣味という言葉がつくタイトルをいろいろ考えて、このタイトルにしました。今、日本は超高齢化社会で、働くことが生活のメインである人が減っていきますよね。だからたぶんこの先、“趣味”の価値が高騰していくと思うんです。それに高齢の方ではなくても、病気や障害で働けない人もいるわけだから、「働くことはすばらしい」という価値観の社会だと生きていくのがつらくなる人がいるだろうなと、漠然と考えていました。

――作品に登場する夫婦・小太郎と鞠子は、当初まるで価値観が違います。小太郎は親から「働かざるもの食うべからず」と育てられ、本人もそう思っている。一方、鞠子は大学院で平安文学を勉強し、結婚後は主婦になり、趣味を楽しみたいと考えています。山崎さん自身は、小太郎と鞠子どちらに近いですか?

 私自身は、働くことは大事だし、働くことで自信が持てると思って生きてきたので、どちらかというと小太郎の考え方に近かったと思います。でもこの小説を構想する頃、子どもが保育園に入れなかったりして、仕事についていろいろ考える時期と重なった。改めて「働くってなんだろう」と考え、それまで働くことを重視しすぎていたけれど、ちょっと変えてみたいなと思ったんです。

――小太郎は銀行勤めをしながら、鞠子の趣味の影響で小説を書き、思いがけず新人賞を受賞します。ところがそのせいで職場の人とギクシャクしたり、会ったこともない人から揶揄されるなど、葛藤も生まれます。このあたりは、会社員をしながら新人賞を受賞した山崎さんご自身の経験とも重なりますね。

 てっとり早く身近な話を書いたなとは思います(笑)。ただ、私は仕事として小説を書いているつもりですが、友人からは“趣味”と捉えられがちです。「気分が乗ったときに書くんでしょう」とか、「小説だったら子どものめんどう見ながらできるからいいよね」とも言われますし。「いや、これは仕事だ」と声を張り上げて言いたい時期もありましたが、立ち止まって考えたら、趣味と仕事はそんなに違わないのではないか、という気もしてきました。

 私の叔母は趣味で小説を書いていますが、本当に必死で書いています。そもそも、趣味と仕事の間に線を引こうという考えが間違っているのかもしれない。そういうことを小説で取り組みたいと思いました。

――主婦のなかには、夫が稼いだお金で習い事をしたり趣味に使うのは肩身が狭い、という人もいます。でも、鞠子は堂々としていますね。絵手紙から始まり、家庭菜園を始めたり、高いカメラを買ったりもする。小太郎が「僕が稼いだお金なのに」とちらっと思っても、それに対して卑屈にならないし、かといって強く反発するわけでもなく、上手にさらっとかわします。

 主婦の方は、働いている人に比べると自分は甘えているのではないか、人に依存しているのではないかと感じることもあるかもしれません。でも、人と比べたりしなければ、そんなこと思う必要はないですよね。

 社会人というのは働いている人だけを差している言葉に聞こえがちですが、もっと広い意味なのではないか。専業主婦も〝消費〟という経済活動をしているわけだから、社会人だと思うんです。だから、何も引け目に感じる必要はないですし。働いていないけれど社会参加している人もたくさんいるので、そういうところを書きたいと思いました。

 これからは多様性の時代と言われているし、いろいろな生き方の人が出てくると思います。今までは、みんなが同じ方向を目指していたから、人と自分を比べがちだったけれど、これからの時代、人と比べることの意味が薄まってくるように思います。「人と比べない」というのは、決して簡単なことではないかもしれません。でもこの先、価値観が多様化していけば、自己満足が大事になる気がします。

――「自己満足」という言葉は、たとえば「しょせん自己満足だよね」といったふうに、ネガティブな意味で使われがちです。でもこの作品では、むしろポジティブな意味で使われており、そこも新鮮です。

 趣味は仕事と違って、自己満足しか求めていません。だから、他の人と比べてがんばっているとか、ちゃんとやっているとか、そういう価値観が通用しない。

 最近の若い方に聞くと、オタク的な趣味で一所懸命になったり、人それぞれ自分の好きなものに夢中になっていたりする。それに対して、他の人はあれこれ言わないという感覚が広がっている気がします。

 仕事ではないところに生きがいを求める人生の過ごし方も増えています。そうなってくると、生きることの意味を他人からの評価ではなく、自分が楽しいか、楽しくないか、という点に求めるようになるのではないか。たぶん自然と、自己満足が主流の時代が来るのではないかなと思います。

――小説の中では小太郎の意識も少しずつ変わっていき、思わぬ人生を歩き始めます。

 そうですね。勝手にそうなっていった感じかもしれません。私は最初にテーマと人物設定ができたら、あとは登場人物が自然に動いていけばいいなと思っています。今回の作品では、どんどん2人が自分たちで動いてくれるので、スピード感を持って書くことができました。

――作品後半で、佐賀県の嬉野に移住することになります。移住先を嬉野にしたのは、何か理由があるんですか?

 引っ越しをすることを書きたいというのは、かなり最初から考えていました。趣味を理由に引っ越しをする「単身赴趣味」という言葉を無理やり考えて(笑)、それを使いたいと思っていのたで。

 実は『趣味で腹いっぱい』の装画やイラストを描いてくださった姉妹ユニットちえちひろさんが、嬉野に住んでいらして。親しくなって遊びに行ったら、すごくいいところだったので、ここに引っ越そうと決めました。

 田舎は家賃が安いから、家族それぞれが部屋も持てます。仕事のための部屋ではなく、趣味のための部屋を持つことも可能ですし。

――今まで、影響を受けた作家はいますか?

 子どもの頃から本が好きで、絵本や童話から始まり、『不思議の国のアリス』が大好きになって――その後、小説をよく読むようになりました。友だちがあまりいなかったこともあり、逃避のために授業中も本を読んでいましたね。

 高校の時、谷崎潤一郎の『細雪』を読んで大好きになり、それ以来、2年に1回くらい読み直しています。『細雪』は発表の見通しがない中、第二次世界大戦中に書かれた作品ですが、内容がけっこうくだらない(笑)。四姉妹が化粧の話とか、花見とか、ビタミン不足を嘆いて「B足らん」とか、どうでもいい話を延々しています。戦争中、それをずっと書いていたのかと思うと……「あ、小説家の仕事はこれだ!」と思ったんです。

 私は「社会派作家」を目指しているんですけど、大きな社会ではなく、「500円のコーヒーを飲むか、250円のコーヒーを飲むか」といった、小さい話を書いていきたいと思っています。それも『趣味で腹いっぱい』につながっている気がします。

――確かにこの小説には、働くことの意味や、夫婦とはなんだろう、お金とは何か、人はなんのために生きるのかなど、人が生きていく上で基本となること、言いかえれば社会を成立させている根幹にかかわる問題が込められています。それでいて風通しがよく、読み終わるとなんとなく生きることに希望が湧いてきます。

 けっこう、ふざけていますから(笑)。人生をきちんと築いていくんだという考え方だったら、たとえば小太郎と鞠子にしても、子どもができなかったら子どもを得るために必死になる方法もあるでしょう。でも人間は、実はそれほどきっちり選択して生きているわけではない。なんとなく生きている人のほうが多いのではないでしょうか。

 私は子どもがいない時期は、子どもがいる人と自分は違うと思っていましたが、実際に子どもが産まれてみると、そんなに違わないと感じるようになりました。別に結婚する主義だから結婚したわけでもないし、女性は子どもを産むべきだと思って産んだわけでもありません。きっちり決断したというより、よくわからないけれど、道を歩いていたらいつの間にかそうなっていた。

 人生というのは、実はそんなふうに、けっこうふわっとしたものなのではないか。だから、自分と違う人生を生きている人や、違う立場、違う属性の人を書く時も、「自分とはまったく違う人」と考えるより、普段自分が考えていることを書いたほうがリアルに書ける気がします。

――大学では鞠子と同じように、平安文学を勉強なさっていますよね。今、作品を書く上で、何か影響はありますか?

 高校時代から小説家になりたいと思っていましたが、小説の勉強ができるところがそれほどなかったし、とりあえず文学を勉強しよう、と。『細雪』も、谷崎がその直前に『源氏物語』の現代語訳に取り組んだからこそ生まれた作品だとも言われています。だから、『源氏物語』を勉強したいと思いました。

 私が卒論で選んだのは、「浮舟」という第3章の最後のヒロインです。登場人物のなかでもとくに個性が薄い女性ですが、女房やお姉さんの噂話からほんわりと輪郭が表われて、ヒロインだということが伝わる。登場人物の書き方は、1人だけで成り立つような個性を書くことではなく、まわりの人たちとの関係性でできあがっていくものだと学ばされました。 

『趣味で腹いっぱい』を書く時も、1人のキャラクターを作りこむことはあまりせず、この人と一緒にいる時はこういう感じになるとか、みんなといる時はこんな感じだとか、かかわりの中で出てくるふわっとした輪郭を丁寧に描くことを心がけました。

――確かに鞠子も、お母さんのアンナさんと接するときは、小太郎と一緒の時とはまた違う雰囲気で、けっこうしっかりしています。登場人物は、関係のなかで生き方が少しずつ変わっていきますし、関係性の小説だという感じを受けました。

 人間というのはそんなに確固たる形があるわけではなく、人と人との関係の中で線ができる気がしているので。これからも、人間のそういう面を書きたいと思います。

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