1. HOME
  2. インタビュー
  3. 朝宮運河のホラーワールド渉猟
  4. 南方熊楠、江戸川乱歩、北一輝……異才たちを翻弄する少女人形 柴田勝家さんの昭和伝奇SF巨編「ヒト夜の永い夢」

南方熊楠、江戸川乱歩、北一輝……異才たちを翻弄する少女人形 柴田勝家さんの昭和伝奇SF巨編「ヒト夜の永い夢」

文:朝宮運河 写真:有村蓮

――『ヒト夜の永い夢』は、博物学者・南方熊楠が機械仕掛けの自動人形を発明していたら、という仮説を軸にした伝奇SFです。600ページ近い大作ですが、構想の発端は?

 当初はアンドロイド化した天皇が日本を統治し続けている、という設定のSFを構想していたんです。いくつかの作中作を含む長編で、その過去編の主人公として南方熊楠は登場していました。しかし書いているうちに過去編がどんどん膨らんで、とても作中作では収まらないボリュームになってしまった。担当さんとも話し合った結果、その部分だけを切り離して、独立した長編にすることにしたんです。

――粘菌コンピュータによって制御される自動人形、というアイデアが秀逸ですね。

 熊楠といえば粘菌研究の第一人者です。一方で、粘菌の性質を利用したコンピュータが実在することも知っていたので、両者を組み合わせてみました。あれほど粘菌の生態について詳しかった熊楠なら、コンピュータくらい作れないはずはないだろうと。

――熊楠とその仲間たちは自動人形を完成させ、即位したばかりの昭和天皇に謁見させようと計画します。改元ブームの昨今にふさわしい内容ですね。

 まさに狙ったようなタイミングですが(笑)、執筆をスタートさせたのは2016年なので、偶然ですね。作品前半の舞台となっている昭和2年と現代では、新しい時代への期待感みたいなものが共通しているかなと思います。

――数々の逸話で知られ、フィクションにもよく登場する熊楠ですが、柴田さんはどのあたりに惹かれたのでしょうか?

 やはり圧倒的な知識量ですね。熊楠の頭には巨大な知識の倉庫があって、それぞれが見えない回路で繋がっているんですよ。熊楠の著作を読んでいても、話題がぽんぽん移り変わるのでついていくのが一苦労です。その混沌としたところが、ワシには魅力的。今回の作品でもできるだけ熊楠の思考をトレースするように心がけましたが、とても凡人に真似のできるものではないですね。

――柴田さんは大学院で、民俗学を研究されていたそうですね。民俗学サイドから見た熊楠の功績とは?

 熊楠は柳田國男と手紙のやり取りをしていましたが、結局は喧嘩別れしてしまうんですね。柳田は民俗学を体系化して、開かれた学問にしようと尽力していた。一方で南方の学問は彼一人で完結しているものなんです。そこが決定的な差ですよね。南方民俗学って、誰も継承できないんですよ。国内のみならず海外も視野にいれたスケールの大きい研究は、今日で言う文化人類学とか比較神話学に近いのかなと思います。熊楠は生まれてくるのが早すぎました。

――作中には熊楠の他にも、「千里眼」の研究で知られる福来友吉、作家の江戸川乱歩、東洋初のロボット「学天則」を作った西村真琴、留学中の熊楠と親交があった孫文と、近代史を彩った実在の人物が多数登場します。

 ええ。どうせなら同時代の人もできるだけたくさん出そうと。人選の基準は熊楠と直接関わりがあったか、会っていても不自然ではない人物。福来、乱歩、西村、革命家の北一輝、ちらっとだけ登場する三島由紀夫は、完全にワシの個人的な趣味です。乱歩を探偵役にして『黒蜥蜴』さながらのシーンを描けたのは楽しかったですね。

――しかも登場人物の言動は、限りなく史実を踏まえている。虚構と事実の混ぜ方がお見事です。

 史実はできるだけいじらないようにしています。年表を付き合わせて、なんとか嘘がつけそうな空白を見つけ出すのは、パズルのようで面白かったですよ。たとえば宮沢賢治が熊楠に会ったという記録は残っていないんですが、1921年に賢治は奈良まで旅行しているんです。じゃあ熊楠のいる和歌山まで足を伸ばしても、不自然ではないな、とか。

――千里眼の実在を証明しようとする福来をはじめ、異端の研究に邁進する学者たちが、ユーモラスかつ魅力的に描かれていますね。

 歴史の表舞台にいた人よりも、あまりスポットライトの当たることがないマイナーな人物を扱いたい、という思いはありました。千里眼実験でアカデミズムを追われた福来が典型的ですが、彼らは皆何らかの挫折を味わいながら、独自の人生を歩んでいる。ワシはそういう一途な人物が好きなんです。

――そんな彼らの前に立ち塞がるのが革命家・北一輝。北は自らの目的のため、完成した天皇機関を盗み去ろうとします。

 熊楠と北は年が少し離れていますが、経歴はよく似ているんですよ。どちらも地方出身の秀才で、学問を志して都会に出た後で、挫折を味わっている。しかし地元で研究に打ち込む熊楠と、革命を目指す北と、目指すところは大きく違っている。ちょうど名前も「南と北」ですし、熊楠の歪んだ鏡像のような人物として登場させました。

――これまで書かれてきたSF作品と違って、文章もあえて古風なものにされていますね。

 熊楠の文章を真似ながら、昭和初期の匂いを再現してみました。この手の古めかしい文章が、ワシには一番書きやすいですね。といっても堅苦しいものにならないよう、笑える部分も意識して入れています。熊楠は下品な話題が大好きなので、ワシもついそういうシーンを書きすぎてしまって、担当さんからストップがかかりました(笑)。

――自動人形「天皇機関」を巡る物語は、やがて夢と現実の境界線はどこにあるのか、というテーマを浮き彫りにしてゆきます。

 調べてみると熊楠、乱歩、北の3人は、夢をもうひとつの現実と捉えている節があります。それぞれの思いをテーマと絡めながら、作中で語らせてみました。最終的に熊楠がどういう結論に到達するのかは、ワシも一緒に書きながら考えていったところです。ぎりぎりまで悩みましたが、熊楠ならこういう答えを出すんじゃないか、という地点に着地できたかなと思っています。

――デビュー作『ニルヤの島』は“あの世”が存在しなくなった近未来の物語でした。もうひとつの世界へのまなざしは、『ヒト夜の永い夢』と共通しているように思います。

 人間は個であるということと、全体であるということ。物語を書くときは、この2つの立場を意識しています。『ニルヤの島』では個が全体になる世界の話で、2作目の『クロニスタ 戦争人類学者』はすでに全体ができあがった世界で個を探す話。『ヒト夜の永い夢』では、全体になったところから個へ戻ってくる話になっています。それぞれに違う結論ですが、3作でひとつの流れがあるのかなと。

――『ヒト夜の永い夢』というタイトルにはどんな思いが込められていますか。

 人生は一夜の夢、というのはよく使われる表現ですよね。これを踏まえているのですが、片仮名表記の「ヒト」には人間という意味もありますし、この物語の重要な登場人物である昭和天皇を暗示してもいます。

――文庫本の帯には「一大昭和伝奇ロマン」というキャッチコピーが躍っています。伝奇小説というジャンルへの思い入れは?

 かなり強いですね。ワシは昔から妖怪が好きで、小学校の時に京極夏彦さんの作品に出会ったことで読書傾向が決定づけられました。「この手の小説はどうも伝奇と呼ぶらしい」と分かってからは、王道の伝奇時代小説から、荒俣宏さんの『帝都物語』、半村良さんの『石の血脈』、菊地秀行さんや夢枕獏さんの伝奇バイオレンスまで、その界隈のものを読みあさりました。ワシの作品が伝奇小説の復活みたいなところまで繋がっていけば、嬉しいんですけど。

――今後取りあげてみたい題材は?

 諸星大二郎さんの『孔子暗黒伝』のような、中国を舞台にした伝奇を書いてみたいですね。特に朱子学を大成した、朱熹(しゅき)に関心があります。不条理なものを信じない儒学者バーサス化け物、みたいな話にできれば面白いと思うんです。

――ここ数年、柴田さんをはじめ20代、30代の若手作家がSF界を盛りあげています。こうした状況についてはどう感じていますか。

 ワシがデビューしたのが2014年。ちょうどその前後から若手が相次いでデビューするようになりました。SFがあまり読まれていなかった時代も、伊藤計劃さんの登場によって盛りあがった時代も、リアルタイムで体験しているので、こういう流れは嬉しいですよね。最近デビューした若手は、きっといろんなジャンルに攻めこんでいくと思うんです。早川書房という、いわば小説界の尾張国から出てきた英傑たちが、今後どの城を落とすのか、楽しみに見守りたいし、ワシ自身も負けないように頑張りたいです。

――改元の追い風もありますし、『ヒト夜の永い夢』は飛躍の一作になりそうですね。今後も怪奇幻想性に溢れた作品を期待しています。

 発売直後に改元があったお蔭か、幸い売れ行き好調のようです。SF好きはもちろんですが、これまで伝奇小説を手に取ったことのない方にも、こういう面白さがあるよと伝えられたら光栄ですね。歴史の隙間に立ち現れる物語を、楽しんでもらいたいと思います。