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竹宮惠子、少女マンガに革命 「カレイドスコープ」展、画業50年振り返る

京都国際マンガミュージアムで開催中の「竹宮惠子 カレイドスコープ」展

 手をからませ、息荒く、ベッドで重なり合う2人の少年――この衝撃的なシーンから始まる「風と木の詩(うた)」は、1976年から「週刊少女コミック」で連載が始まった。

 舞台は19世紀末のフランスのラコンブラード学院の寄宿舎。冒頭の場面は、多くの男たちと関係を持つ美少年ジルベールが、授業のリポートと引き換えに上級生に体を売るところ……。そんなジルベールのもとに現れたのが、「ジプシー」の血を引き、肌の色から心無い差別を受ける転校生のセルジュだ。

 セルジュは周りの悪意にも腐らない正義感の強い少年だ。同室になったジルベールをほっておけず、退廃的な生活から救おうとする。激しく拒否していたジルベールも次第にセルジュを慕うようになり、セルジュもまた彼の心の闇に触れるうち、初めての感情に打ち震える。同性愛、近親相姦(そうかん)、人種差別……重たいテーマをはらみながら、孤独な魂がぶつかり合う切ない純愛が描かれた。

 少女マンガで男女のセックスを描くことがタブーだった当時、本作は読者を圧倒した。文学性の高さで評論家や研究者からも評価され、低かった少女マンガの地位を押し上げるきっかけの一つになった。作者の竹宮惠子は、この作品が少女マンガの新たな夜明けになることを確信していた。構想は1970年。発表までにかかった年月は、その道が平坦(へいたん)ではなかったことを表している。

「風と木の詩」から「午睡のKISS」(C)竹宮惠子
「風と木の詩」から「午睡のKISS」(C)竹宮惠子

少年愛やSF、「教えること」…道切り開く

 現在、京都国際マンガミュージアムで開催中の「竹宮惠子 カレイドスコープ」展は、竹宮の画業50年を振り返る展覧会だが、その目玉の一つが「風と木の詩」の構想が描かれたクロッキーノートだ。それを見て驚いた。ノートにある下書きが、実際に発表した原稿とほとんど差がないくらいに完成していたからだ。それなのに発表まで時間がかかったのは、編集者に理解されなかったからだ。

 少女マンガは戦後から急速に発展した文化だ。「女子どもの読むもの」として社会的地位も低く、内容も「不幸な少女」のお話など、似たようなものが多かった。キスはおろか男女が手をつないだだけで苦情が来る時代だったが、マンガ家たちは可能性を切り開き、あらゆるタブーを超えていった。70年代に入ると新雑誌の創刊、戦後世代のデビューなどが流れを加速させ、それまでなかった深い人間ドラマが描かれるようになる。しかし、そんな中でも、竹宮が提示した「少年同士の愛」は理解されなかった。

 思うように自分の世界を発表できない苦しみで、竹宮は長いスランプに陥る。それでも筆は止めなかった。「風と木の詩」で表現したいことを様々な作品にちりばめ、模索しながらあらゆる作品を描いた。突破口となったのは「ファラオの墓」。竹宮が読者アンケートで上位をとるために戦略的に考えた作品だった。押しも押されもせぬ人気マンガ家になることで、「風と木の詩」を発表する布石を打ったのだ。狙いは見事にあたった。ようやく「風と木の詩」は日の目を見た。

「地球へ…」から「星の生まれるところ」(C)竹宮惠子
「地球へ…」から「星の生まれるところ」(C)竹宮惠子

 その反響は先ほど書いた通りである。「少年愛」は少女マンガの一大テーマとなり、後の「ボーイズラブ(BL)」文化にもつながる。しかし竹宮は更に新しいジャンルに挑戦し続けた。「地球(テラ)へ…」などのSF、「イズァローン伝説」など壮大なファンタジー、エルメスの社史をまとめた「エルメスの道」……。扱ったテーマは膨大だ。

 そして、2000年からは京都精華大学で「マンガを教える」ことに挑戦すべく、教授となる。今ではそうしたことを専門に扱う大学も増えたが、その草分けでもあったのだ。竹宮は20年3月に同大学を定年退職する予定だ。しかし、竹宮の挑戦は終わらないだろう。革命家・竹宮惠子が次に手がけるものがなにか、これからも楽しみである。

     ◇

 「竹宮惠子 カレイドスコープ」展は京都国際マンガミュージアム(075・254・7414、https://www.kyotomm.jp/)で9月8日まで。毎週水曜と6月11、13日は休館。入館料は大人800円など。=朝日新聞2019年5月28日掲載