振り返ればとても貴重な時間だったのに、当時はなにも意識しなかった。江國香織さんの新刊『彼女たちの場合は』(集英社)は、そんな10代の感覚を呼び覚ますロードノベルだ。「これまで書いてきて、初めて登場人物がうらやましくなった」と言う。
17歳の逸佳(いつか)は、ニューヨークに住む14歳のいとこ、礼那(れいな)とアメリカを見る旅に出た。期間も行き先も決まっていない。失踪同然に出発した2人は、不在に戸惑う家族を残して携帯電話の電源を切り、ボストン行きの長距離バスに乗り込む。
江國さんは10代の頃、壁に世界地図を貼り、シベリア鉄道に乗る計画を立てた。実際にヨーロッパやアフリカを旅したのは20歳になってから。「『行ってみたい』ばかりでとくに目的はなく、でも時間だけがあるというぜいたくさ」と振り返る。だから、「若い人を書くなら旅をさせたかった」と言う。
書き始める前、2人が旅を始めるまでの生い立ちは考えていたが、後は何も決めなかった。旅の途中、2人が車から降りると、車に戻るまでが書き込まれ、途中の動作は省かれない。細部まで丁寧な描写を追うなかで、読者に同じ時間を共有する感覚を味わってもらう。
「旅の間の些末(さまつ)な出来事にずいぶんページはさかれている。それが臨場感につながればいいなと思う。ほんとうに旅をしたようだと感じてもらえたら一番うれしい」
若い2人にはこれからの時間がたっぷりあり、過ぎ去る時間には無頓着だ。礼那が旅先でノートに書き留めるのは周りで起きた出来事で、自分たちの変化ではない。一方、彼女たちの両親たちは娘がいない時間に向き合いながら、自身の変化を意識せざるを得なくなる。「自分たちが思う以上に、あの旅は彼女たちの中に残ると思う。でも、それを意識させたくはなかった。若さの特権です」
「大人になると、こういう旅がなかなかできなくなる。なぜできないのかわからないけど」と言う江國さんは、心底残念がっているように見えた。「彼女たちには時間がいくらでもあるんだと思うと、ほんとうに悔しかったですね」(興野優平)=朝日新聞2019年6月5日掲載
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