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しみじみとキビナゴ 内田麟太郎

 実母との味について書いたら、亡き継母が私のことも書いてよといってきた。一言でいって女傑であった。

 夫に「先妻の子も、あなたが産んだ子も、おなじように愛してほしい」と頼まれ、「私には出来まっせん!」と堂々といってのけた人である。アッパレというべきだろう。ま、そんなわけで抵抗権はあれども抵抗力のない私は、いささか家出が好きな少年になった。

 その母の味噌(みそ)汁が、親戚ではなはだ不評であった。「生臭い」。味噌汁に、どぼんどぼんとサバの切り身が放りこんである。筑後の味噌汁は揚げと豆腐である。しかし、ここで私は継母を弁護するのだが、母にとってもそれが筑後におとらず、故郷甑島(こしきしま)(鹿児島県)の味であったはずである。

 テレビを見ていると、よく漁師料理が出てくる。煮立った鍋にどぼんどぼんと魚が放りこまれ、素早く味噌をかきまわす。うまそうである。いや、実際、旅人たちはうまいうまいと顔を崩している。

 でもである。私も実を申せば、この味噌汁が生臭くて苦手であった。六歳までは揚げと豆腐の味噌汁で育っている。味は保守的なのだ。十九歳で上京した私は、もう東京暮らしの方が、故郷大牟田暮らしよりも四十年も長い。にもかかわらず、うどんは故郷のものがダンゼンうまい。と話したら夫婦で東京生まれの画家が、「うちの妻は、博多でうどんを口にしたとたん、なに、これ!と叫びました」。

 そうだろうと思う。東京のうどんが不味(まず)いのではない。故郷の味がうまいのだ。舌は吉田茂より保守派である。

 で、話は戻るけれども、継母の名誉のために書いておくと、某年某日、継母は私に謝ってくれた。「りんちゃん、愛さなくてごめんね」。それからほどなくして他界したが、長年の心の重荷を下ろして行っただろうと思う。

 そんなことがあり、七年ほどあと、妻とツアーで甑島を訪ねた。少女であった母が見ていた海を見たかったのだ。少女はいかにして女傑になったのか。海はなにも答えてくれなかったが、母がよく食卓に出していた魚が出た。キビナゴの煮付け。

 むろん私だって、キビナゴよりもコチがおいしいことは知っている。キビナゴより金目がうまいことも知っている。しかしここは断固としてキビナゴでなければいけない。私はしみじみと母を偲(しの)びながら、キビナゴを頂いた。甑島でよく獲(と)れる魚だという。

 ああ、されど、しみじみにも限界がある。わずか一泊二日の島だったのに、三度の食事に三度もキビナゴが出てきた。出し過ぎである。しみじみも悲鳴を上げて逃げていく。

「返せ! おれのしみじみを!」

 海は、なにも答えてくれなかった。=朝日新聞2019年6月22日掲載