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遠くまで来た 柴崎友香

 仕事で人と話していたら、このあいだ商談中に煙草(たばこ)を吸い始めた人がいて驚いた、と言われた。そのことに、わたしは驚いた。

 わたしが会社員をしていたのは二十年も前だが、当時は「商談中に煙草」は当たり前だった。来客があると応接室にお茶を出し、帰るとお茶と灰皿を片付けるのがわたしの仕事の一つだった。そうかー、今はめったにないのか、と感慨深かった。取引相手の人は吸い始める前に断りを入れたそうなのだが、それでもわたしよりだいぶ若いその人にとってはめずらしい経験だったらしい。

 時代が変わったなあ、としみじみ思うのは、インターネット、携帯電話、そして煙草だ。わたしが二十代のころは、飲み会では特に男性は八割近くが喫煙し、帰宅すると鞄(かばん)の中身まで煙草臭くなっていた。会社に入った当時は席でも吸えて、隣席の煙に難儀したが、途中から分煙になってほっとした。

 初めて飛行機に乗ったときは機内でも吸っている人がいた記憶がある。

 ケーブルテレビで「徹子の部屋」の三十年くらい前の回を見ていたら、ゲストが煙草を吸いながら話していて、さすがにびっくりした。

 それが今は、飲み会では一人も吸っていない。外国に行っても、日本より厳しく、建物内は全面禁煙のところが多い。北京のホテルではドアに喫煙禁止の張り紙があったのだが、「危険」「生命静止」それからもう一つは翻訳アプリで変換すると「行動の代償を払う」という意味の言葉が書いてあり、インパクトがあった。漢字が表意文字だと実感した。

 小説を書いていても、最近は煙草を吸う場面をめったに書かない。配慮しているわけではなく、場面を思い浮かべたとき、そこで誰も煙草を吸っていないので、自然とそうなるのだ。当たり前、ごく普通と思っていたことが、こんなにも感覚が変わる。過去の風景がとても遠く感じる。現在のことを未来から見ると、なにが変わっているだろうか。=朝日新聞2019年6月26日掲載