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時間を想像する 柴崎友香

 先月は雨やたき火の動画を見ていると書いたが、音声配信もよく聞いていて、話すことが職業ではない人の雑談的な番組も楽しんでいる。片づけなどしながら聞くのにほどよいし、気楽なやりとりが楽しい。

 先日、とある番組で出演者同士が最近おもしろかった本を紹介する中で、「この本の著者は、バブル期を謳歌(おうか)したって書いてるから、今五十歳くらいかな?」と言っていた。いやいや、五十歳はむしろ就職氷河期世代で世知辛い世の中を生きてきましたよ、ともうすぐ五十二歳の私はつっこみを入れたくなったけれど、話していたのは三十歳くらいの人なので、生まれる前の時代の認識なんてそんなもんかもなあ、とも思う。

 別の日には、SNSで「こういうバブル時代のデザインってかわいいですよね」と二十歳くらいの人が載せていたインテリアの写真が、一九六〇年代のものだった。テレビ番組のイメージ映像なんかでも、それはバブル期じゃないやん、というものが使われていることもあるし、私もこうしてどこかに出す文章を書くときに調べてみて認識とずれていることはときどきある。時代のイメージと、実際のできごとや年月の距離感はギャップがあるものかもしれないし、時間の経過や年齢によっても変わってくる。二〇二五年から振り返る二〇〇〇年は、たとえば私が高校生だった一九九〇年からすると一九六五年。めちゃくちゃ昔やん! と驚いてしまう。

 今年は戦後八十年である。二十年前、朝日新聞から戦後六十年の企画で短編の依頼をもらったとき、戦争があったのは遠い昔のように思っていたが自分が生まれたのは戦争が終わって三十年も経っていなかったと思うと、急に近く感じた。一九四五年の八十年前は一八六五年、明治維新の三年前である。遠いようにも、近いようにも思う。半世紀を自分自身で体感してみると、どのくらいの時間でどんな変化があったのか、想像することは未来を考えるために必要なんだと思っている。=朝日新聞2025年5月28日掲載