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朱野帰子さんが物語とともに魅了された「ドラゴンクエスト」の音楽 勇者が草を踏みしめる音さえ伝わってきた

 私の人生はクラシック音楽とともにあった。

 と言うと、まるで育ちが良いみたいだが、そうでもない。家族旅行に行く車の中で流れていたのは、両親が好きな、加山雄三、ビートルズ、サイモン&ガーファンクルばかりだった。トレンドに敏感な妹は「ミュージックステーション」を愛し、「ASAYAN」に夢中だった。

 そんな家族の中にあって、私はひとり、クラシック音楽を聴いていた。中学生の少女がカセットデッキの前に膝を抱えて座り、バッハやヴィヴァルディに聴きいっている。その光景は時代のヒット曲とともに生きる家族に不気味な印象を与えたらしい。「あいつは変わってる」と言われていたのを私は知っている。

 かといって、純粋なクラシック音楽ファンだったわけではない。私が好きだったのは映画やゲームなどに添えられた音楽。いわゆる「劇伴音楽」とか「サウンドトラック」と呼ばれるものだった。

 最初に心を奪われたのは、小学校の頃に発売されたRPG「ドラゴンクエスト」の音楽だった。もともと本を読むのが好きだった私は、練りに練られたストーリーにたちまち魅了された。すぎやまこういちがこのゲームのために作った音楽にも衝撃を受けた。彼の作る楽曲には、かつてヨーロッパの宮廷で奏でられていた弦楽奏や、教会音楽や、軍隊マーチなど、クラシック音楽の要素がふんだんに取り入れられていた。当時のゲーム画面はドット絵で構成された無機質なものだったが、それらの曲のおかげでプレイヤーは優美な城の絨毯の上を歩いたり、荘厳な教会のステンドグラスを見上げたり、巨大な要塞の門の下をくぐったりする気分を味わうことができた。荒野を独り行く勇者が靴の裏で草を踏みしめる音さえも伝わってくるように、当時の私には感じられた。音楽ってすごい、と思った。

 そして、そういう劇伴音楽をたどっていくと、その源流には必ずクラシック音楽があるのである。変わり者だから聴いていたわけではない。

 私は高校から大学まで、学生オーケストラの一員として過ごしたが、そこでも私はやはり物語を奏でる楽曲のほうが好きだった。どハマりしたのは、ワーグナーの最高傑作と呼ばれるオペラ音楽「ニーベルングの指環」だが、語り出すと長いので今回はこのくらいにしておく。

 会社で働いていた時代も、劇伴音楽好きは変わらなかった。家庭内のセンサーを使った商品案を求められ、「家庭内の会話からストーリーを読み取り、盛り上げる劇伴音楽を流す機能」を提案したこともある。天才的なアイディアだと思ったのだが、残念ながらクライアントには支持されなかった。

 悔しいのは、私の書いている小説が文字のみで構成された物語であるということだ。そこに音はない。

 しかし、あきらめきれない私は、『海に降る』では、映画だったらここで感動的な音楽が流れるというタイミングで、登場人物に架空の歌の歌詞を暗唱させた。『わたし、定時に帰ります。』では、「Sing Sing Sing」というブラスバンド曲を聴きながら、疾走感のあるテンポに合わせて書いた。この曲ではさまざまな楽器が代わる代わるユーモラスに、そして、どこか悲しげに自己主張する。そして、彼らのソロを煽るように打ち鳴らされていたドラムが最後に主役となって暴走する。そんな曲の構造が、働きすぎてしまう人たちの物語にぴったりだと思ったからである。

 だったら、劇伴音楽の作曲家になればよかったのではないか、と思われるかもしれないが、残念ながらそっち方面の才能はからきしない。