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平野啓一郎さん『「カッコいい」とは何か』インタビュー 感情を揺さぶるモノサシ、その正体は

平野啓一郎さん

 「カッコいい」という、ごく当たり前の言葉がずっと気になっていたという。

 きっかけはバーテンダーのアルバイトをしていた学生時代。カウンターで仲良く飲んでいた男性客2人がボクサーの辰吉丈一郎をめぐって大げんかになった。「網膜剥離(はくり)」でも引退勧告を受け入れず闘った姿を、一人は「カッコいい」と言い、もう一人は「カッコ悪い」と譲らない。「カッコいい」は、なぜこうも感情を揺さぶるのか。

 ジャズの帝王マイルス・デイビスから、ヤクザ映画「仁義なき戦い」まで、自身にとっての「カッコいい」事例を取り上げ、起源を探り、概念を定義してゆく。「戦後、上から押しつけられた価値観から解放されたとき、こう生きるべきだと手本になる対象を一人一人が探し求めなければならなくなった」。その「人倫の空白」に直面し、カッコいいかダサいかが重要なモノサシになった。音楽、ファッション、デザイン、とジャンルを縦横に戦後社会を見通す、書き下ろしの新書だ。

 たとえば、政治参加について。「米国では政治意識を持つのが『カッコいい』と思うカルチャーがある。自分の意見を言うことは、正しいだけでなく『カッコいい』と思われていることが重要」。著名人が政権批判をしたとき、受け止めは日米で大きく異なる。「日本では、反抗することが子供染みてカッコ悪いという言説が広まっている。問題点を指摘し、改善することが社会を良くする。世界が完璧ならその必要はないけれど」

 一方で、「カッコいい」はプロパガンダになり、権力者は利用する。自民党が人気イラストレーターに首相らを侍風に描かせた広告に触れ、ナポレオンの雄姿をとらえた肖像画と滑稽な風刺画を並べた。「政治家は自分を良く見せようとするもの。『カッコいい』化に対して『ダサい』化することは一種の批評。しかし今は風刺が失われている」

 小説には触れないだろうと書き進めたが、終えてみれば、ボードレールや三島由紀夫ら文学者の論考にもなった。「生まれてから今日まで世の中は生きにくいと感じてきた。文学はそんな僕にとっての救いだった」。小説の傍ら、SNSでニュースや社会問題に反応した日々の発信も行う。「生きるということを考えれば、どうしても社会システムと関わらざるを得ない。だから社会的な発言を行うのも自然なこと」

 社会と個人の関係については、「若い人たちを見ていて、自己責任論の行き着く果てを感じる」とも。「社会と自分を切断している。社会は安定していて、自分の状況は自己責任だ、と。そう思わせている構造自体が日本社会の不安定さを何よりも示しているのですが。人間の一生が社会構造に大きく左右されるという理解が不足していることに問題を感じています」(中村真理子)=朝日新聞2019年7月31日掲載