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【本棚の常備薬】#1 10代のあなたへ 「私だけ」の感性 磨くために 詩人・最果タヒ

「8月の私」 安井寿磨子作

 10代の人たちが今読むべき本について、書いてほしいという依頼をいただいて、まず思ったのは、他人から「今読むべき本」と紹介される本が、彼らの血肉になることなどない、ということだった。少なくとも私はあの頃そう思っていた。そして同時に、私が愛する本は、言葉は、いつも「私にしかわからない」ものにしか見えなかった。

 たとえそれが有名な作品であろうとも、この本当のすばらしさはきっと私しか知らず、他人に教えるつもりもない、「あなた方にはわからないだろう」と決めつけることが、空っぽにしか見えない自分の境界線を、唯一守ってくれていた。勘違いであるとか妄想であるとか、そんなことは何の意味もなさない指摘で、そう思い込めるというそのことが、私が私だけの感性を磨くために必要だったのだ。

誰もわからない

 同級生と盛り上がるため、みんなが好きな曲ばかり聴いて、その場に必要なリアクションを取ることに必死になった。思ったことや言いたいことより、場が求めているものを発する存在になっていく。それが楽しい日だってあるからこそ、抜け出せなくていつのまにか、誰にも伝わりそうにないこと、誰も共感してくれなさそうなことを考えること自体、避けてしまう。でも本当は、隣にいる同級生は、ただの他人だ、わかりっこなくて当然なんだ。「みんなが好きなもの」はみんなで決めればいい。でも、私は「私の好きなもの」を私の部屋で、図書館で、レコード店でこっそり決めるからよろしくね。そういうことが「空気読めない」「ダサい」ことじゃないってわかったのは、この強烈な詩集を読んでから。

 田村隆一『腐敗性物質』。収録作「腐刻画」を前にした時、私の持つ関係性、携帯電話、出席番号、志望校、部活動、そんな要素が全て吹っ飛び、ただ産毛のような感性が、荒地(あれち)に残ったたんぽぽのように残されていた。理屈などもう持つことができない、ただ強烈に「かっこいい」と思った。誰でもない、十数年を生きた私の肉体が、感性が、生身でそう叫んだのだ。

 私はその日まで、心というものに懐疑的だった。そんな物が本当にあるのか、いやあるにはあるのだろうけど、その生々しさを実感するなんて難しい。けれどこんなに易々(やすやす)と、肉体に染み付いた感性が、心臓が蠢(うごめ)くみたいにはっきりと反応するのを感じるなんて。私はその日、自分は誰にもわからない人間なのだということを知りました。そしてその確信こそが、多くの人に出会うこの人生において、最も重要であると今は思います。

言葉の波、快感

 吉増剛造『黄金詩篇』もまた同時に手にした一冊です。「燃える」という詩に触れた時、私は、解き放たれた感性こそが、理想や思考や欲望や孤独を貫く高速の乗り物であると理解しました。一方、安川奈緒『MELOPHOBIA』は、私と同世代の詩人による詩集です。これまでの二冊が、過去という遠い星からやってきた光であるとするなら、この詩集は、自分が暮らす星もまた、燃え盛る星であると知らせるものです。もしもこの本を10代に紹介するなら、私はこう言います。「あなたに殺意はあるか、あるならば、安川奈緒を読むべきだ。」

 そして町田康『湖畔の愛』。物語に惹(ひ)きこまれると同時、背後にある、言葉そのものの波に自分の心がどれほどかき乱されているのかわからなくなる。自分が生きる世界すら、言葉で全て構築されているのではないかと錯覚してしまう、快感。ここに、10代の頃に至りたかった。

 それにしても、自分が過去、10代であったことに胡座(あぐら)をかいて、この年齢の人たちに何かを教えられる気になるなんて、当時の自分ならきっと鼻で笑うだろう。私はあの頃の自分の考えなど、今は何一つわからない。いや、わからないと思うことでしか、当時の、嘘(うそ)全てを貫くようなまなざしを僅(わず)かに残すことさえできない。あなたが、ここに紹介した本を一冊も受け入れられないとしても、それは、自然なことです。あなたはあなたの一冊を、これから巨大な世界の書棚から見つけてください。=朝日新聞2019年8月3日掲載