1. HOME
  2. コラム
  3. 大好きだった
  4. 円居挽さんが高校時代に色んな音楽を教わった「pop'n music」 プロの凄さを思い知った

円居挽さんが高校時代に色んな音楽を教わった「pop'n music」 プロの凄さを思い知った

 運命の出会いがゲームセンターであってもいいだろう。

 と言っても「ハイスコアガール」のようなスウィートな話ではない。おまけにこの場合の相手は人ではなくゲーム、「pop'n music」だ。

 「pop'n music」の稼働は1998年の秋。同じコナミから出ていた「beatmania」がクラブミュージックを中心に展開していたのに対して、後発の姉妹作にあたる「pop'n music」はもっと幅広く多様なジャンルをカバーし、明らかにライト層を取り込もうとしていた。ゲーセン仲間たちの間では硬派な「beatmania」の方が人気は高かったが、私は次第にキャッチーな楽曲の多い「pop'n music」に惹かれていった。

 稼働から半年が経ち、サウンドトラックが発売されると、私は一曲二分前後の音源たちをそれこそ飽きるまでリピートした。やがて短すぎる音源に物足りなくなった頃、ちょうどゲーム雑誌で専門家による元ネタ解説記事を見かけ、オリジナルに手を伸ばした。お陰で私はYMOを、クラフトワークを、カシオペアを、ABBAを聴くようになった。

 そしてオリジナルと聴き比べてみて、「pop'n music」の楽曲のアレンジの絶妙さに改めて驚かされた。オリジナルの楽曲は70年代のものが多いのもあって私の耳にはやや古臭く響いたのだが、pop'n musicの楽曲の方は作り手自身の作家性を殺してでも原典の現代的な翻訳に徹していたのだ。「コンセプトに応じて、それらしいフェイクを作る」ということをやってのけるプロの凄さを思い知ったのもこの時だ。

 当時の私が感動した数々の名曲も、音楽マニアが聴けば「こんなものはチープなフェイクで、オリジナルと比べれば毛ほどの価値もない」と鼻で笑うようなものだったかもしれない。だけど「pop'n music」はインターネットをやっていない、音楽雑誌も読んでない地方の高校生に色んな音楽を教えてくれたのだ。この出会いがなければ私の音楽の趣味はまったく違ったものになっていただろう。

 ただ、この運命の出会いが私にもたらしたのは決して良いことばかりではない。「pop'n music」の影響で今でもテクノもフュージョンもディスコミュージックも大好きだが、一方で各ジャンルについて体系だった話をできるほど深くはない。普段音楽を流しながら仕事をしていて、世間の平均よりはずっと音楽を聴いているにもかかわらずだ。実のところ、ゲームも映画も漫画も小説も、自分の専門領域であるミステリでさえそういう傾向がある。極めて残念なことに、私には「これを語らせれば負けない」というものがないのだ。

 「pop'n music」との出会いが「広く浅く」「いいとこ取りしたがり」「節操なし」という今の私を決定づけた気がしなくもない……というのは流石に自虐が過ぎるだろうか。