――小さなネズミが主人公になって冒険に出掛け、歴代の偉人を紹介していく「ネズミの冒険」シリーズ。第1作では、大西洋単独飛行に成功した飛行家・リンドバーグを、第2作では人類で初めて月面に降り立った宇宙飛行士・アームストロングを紹介した。今回の物語に登場する偉人は、発明王・エジソン。主人公のネズミたちが出かける旅の舞台は、深海の海底だ。
最初の『リンドバーグ』で、ネズミは空に向かって飛んで行きました。次の『アームストロング』では、さらにその上、宇宙に向かって飛んで行きました。「さあ、3作目はどうしよう」。そんな時、僕の視線が下のほうへと向いたんですね。「あ、宝探しって面白いかも!」。船が沈んで、海の深い底へと潜っていく。そんなアイディアが、最初に浮かんだんです。
これまで空の色、宇宙の色を描いてきました。絵描きとしては、こんどは海のブルーを描きたかった。「沈んだ船の宝探し」なら、そんな海の青さが描ける。そんなところから、だんだんテーマが見えてきたんです。テキスト(文章)ができ、自分のなかのイメージや場面が並行して生まれてきました。自分でテキストを書き、絵も描くという作業は、それぞれ糸を紡ぐような行為です。他人の書いた文章だったら動かしようもない。テキストと絵、縦糸を揃え、横糸を揃え、まるでタペストリーを紡ぐように、構想を練っていきました。
――物語のオープニングの舞台は、街のなかの本屋さん。その店の壁の奥にある「ネズミの大学」では、知的好奇心に燃えるネズミたちがあらゆる歴史について学んでいる。教壇に立つのは、毛の白くなったおじいさんネズミ教授。ある日、教授のもとに見たことのないネズミがやってくる。
「おねがいがあるんです……」そのネズミはためらいながらいった。
「あの、ぼく、宝をさがしているんです」
教授は耳をぴくっとさせた。
「すごく昔のことなんです。ぼくの、ひいひいひい……」
といいかけて、どれぐらいまえのおじいさんだったか、指をおって数えだした。
ところが、そんなことはどうでもいいと思いなおして、話をつづけた。
「すごく昔のことなんです。ぼくの先祖が大西洋を船で渡りました。
そのとき、とってもすごい宝をひとつもっていったんです」
「ほう!」教授は声をあげた。
(『エジソン ネズミの海底大冒険』より)
ネズミの名前はピート。彼は先祖ネズミが遺した手紙を持っていた。そこに書かれていたのは、「すごい宝をもってアメリカにいく」。教授は、海を渡る際に亡くなったピートの先祖ネズミに興味を抱き、大西洋に沈んだ沈没船の宝をめぐる旅へと出発する。深海の沈没船の中でピートと教授が見つけたものは、見開きページいっぱいに描かれた、輝くザクザクの金塊。
「ああ、これで宝が見つかったな」って思うでしょ。(金塊ザクザクの見開きの絵は)わりと初期に描いた絵なんです。ふつう、「宝探し」というテーマだと、読者が思うのはこうした場面では。「でも、じつは違うんだよ」っていうのは、最初の段階で自分の頭のなかに生まれていたんです。じゃあ、次の頁をめくって。すると、どうも、これが探し求めていた宝ではないらしいことが分かってきます。じゃあ、次に何が起こるんだろう。新しい展開へと繋がっていくんです。そんな緊張感をここで演出したかったんです。
――そして、2匹が見つけ出したのは、「本当の宝」。ここで初めて、クールマンさんの絵本シリーズの大テーマ、「偉人の物語」へと繋がっていく。ピートの先祖ネズミが大西洋の向こうに持って行こうとした「宝」とは、金貨でもなければ真珠でも宝石でもなく、「発明王」エジソンにまつわる、「あるもの」だった。
発明家という存在に対しては、子どもの頃から興味を持っていたんです。テクニックというもの自体が好きだった。リンドバーグ、アームストロングに対してもそうでしたが、特にエジソンについては「初めて電気をつくった人(それまでにあった電信技術を改良して、電気の時代をスタートさせた人)」というイメージが頭のなかに強くあった。発明家への敬意というものは、子どもの頃からの思い出としてしっかりあったものなんです。
「すばらしい発明家だ」教授がいった。
「どうやら、この偉大な発明家の、もっともすばらしい発明は、
どこかのネズミの助けをかりて実現したらしい……」
(『エジソン ネズミの海底大冒険』より)
――この「ネズミの冒険」シリーズは、そもそもクールマンさんが大学生の頃、描いたのが発端だった。この時、クールマンさんは、ハンブルグ応用科学大学でイラストレーションとコミュニケーション・デザインを学んでおり、卒業制作として描き下ろした本だった。
子どもの頃から絵を描くのが好きだったんですね。10代の頃もいろんな絵を描いていた。(デザイン系の勉強ができる)大学に行くことも、わりとすんなりと決まったんです。大学時代は広告会社でアルバイトしていました。そこで、しばらくイラストを描く仕事をしていたんです。自分は、どちらかというと臆病なところがあって、フリーのイラストレーターとして本当に食べていけるのか、自信がなかった。生きるうえでの基本的な収入が確保できるのか、心配だった。ところが、思いがけない展開で、最初の絵本ができた。そこからは、イラストレーターとして一本立ちをすることになりました。
――大胆な構図をもって繰り広げられるのは、緻密に描き出されたディティール、細やかに設計されたストーリー。
たとえば最初の見開きページ。街の古い本屋さんが舞台ですよね。これ、並んだ本の装丁、ガラス越しに見える自動車のデザイン、店の主人や客の子どもの服装に至るまで、かなりたっぷり時間をかけて描いているんです。まずペンで描いて、水彩で色を付けていく。ずらりと本棚に並んだ背表紙1冊1冊に、丁寧に色をつけていく。時代考証作業にも力を尽くします。当時の車のデザインはどうだったか。色彩はどうか。そんなことをしていると、ものすごく時間がかかってしまいます。それから、僕の場合はストーリーの順番に沿って絵を描いていくわけじゃない。あっちの頁を描き、こっちの頁を描き、それをタペストリーのように組み込んでいくんです。
――ところで、偉人の横顔に触れる旅へと出掛けていくのは、いつだってネズミ。猫でも鳥でもないのは、なにゆえ? 何かしらメタファーがあったりするのか。
じつはドイツ語の言葉遊びなんです。ドイツ語でネズミは「マウス(Maus)」。これに対して「フレーダーマウス(Fledermaus)」というと、「跳ぶネズミ」。つまり「コウモリ」という意味なんです。このコウモリを、第1作でネズミたちが見たことが、物語の展開のうえで重要なポイントだったんです。住みにくい街を捨て、自由を手に入れようと、小さなネズミたちがハンブルグからニューヨークへと大西洋を渡る物語。船に乗り込もうとして港に向かった小ネズミは、ネコたちに阻まれます。その時、ふと前をよぎるコウモリを見て、「大西洋を飛んで越えよう」とひらめくんですね。
「ネズミが空を飛んだら……」。これこそが、自分の頭のなかに浮かんだ最初のアイディアでした。さらに第2作で彼らは月へと飛ぶ。満月は当初、ネズミにとってはチーズに見えていた、という設定をつくりました。「チーズがお空の高い所にある。おいしそうだなあ。あそこに届くにはどうしたら良いだろう」。ネズミの世界においては、「空にチーズがある」というのが従来の常識だった。ところが、「どうやらあれはチーズではなく、『月』というものらしい」と。「そこに行ったらどうなる?」。ネズミの視点で話が進むんですね。そういう流れの中で、エジソンの今作でも主人公がネズミというのは絶対に揺るがなかったんです。
――第1作が世界33言語、第2作も23言語に訳され、世界じゅうの人から愛されている。ネズミは空へ、宇宙へ、水中へ。この次には一体どこへ行ってしまうのだろう。
ドイツだけではなく、世界じゅうの人に国境を越えてアピールできているのは嬉しいことです。『リンドバーグ』は「空を飛ぶのだ」と、ある程度、読む前に想像できますよね。『アームストロング』も、「宇宙へ行くのだろう」と想像がつく。ところが今作のエジソンの場合では、「海底へ」とは、ちょっと想像つかないと思うんですよ。「エジソンとネズミがどういう関係なの? なぜ海底?」って。そういう緊張感をつくることが、今回、自分が新たに試みたことです。第4作もアイディアとしては既に芽生えています。ネズミがどこへ向かうのか。いま、お話ししちゃうとアレなんで、企業秘密(笑)。長野でのイベントがいま、開催中です。本を読んでくださった人たちとお会いできるのは嬉しいこと。絵に込めたストーリー、何を伝えたいのかという思いを、皆さんに感じ取ってもらえると嬉しいです。