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「キリン解剖記」郡司芽久さんインタビュー キリンは亡くなっても「品がある」

文:篠原諄也 写真:篠塚ようこ

40年以上仕事するならキリンだ!

――郡司さんは子どもの頃からキリンが好きだったそうですね。

 物心ついた時から大きな動物が凄く好きでした。テレビで生き物番組を見たり、動物園に行ったりしていました。特に子どもの落書きみたいな、頭が大きかったり、足が長かったりする、普通じゃない姿形の動物に惹かれました。

 もし自分が神様になって、どんな動物でも作れる立場になったとしても、自分の想像力じゃ作れないなと思う動物。その代表格が首の長いキリンでした。ゆっくり歩いているところが凄く優雅で神々しいと思いましたね。

――キリンの研究者を志すのは、東京大学に入学してからだそうですね。

 大学1年生の時に「将来40年以上も仕事をするのか。ずっと頑張れることって何だろう」と考えて。今まで好きだったキリンだったら面白そうだなと思ったんです。大学で色んなシンポジウムや研究会に出入りして、先生に「キリンの研究がしたいです」と話して、アドバイスをもらっていました。

――先生の反応はどうでした?

 人それぞれですが、苦笑いをされることが多かったです。「うちの研究室じゃできない」「日本じゃ難しいかもしれない」と言う先生もいらっしゃいました。やっぱりアフリカにしかいない動物なので。特に行動学の研究者は現地でフィールドワークをする方が多いんです。

――本を読んで、東京や茨城でキリンの研究ができることに驚きました。先生たちの反応があまりよくない中で、恩師の遠藤秀紀先生に出会ったそうですね。動物園から遺体を引き取って解剖して研究している先生で、テレビなどメディアにも出ることも多い方ですね。

 遠藤先生と出会ったのは大きかったです。60人以上の先生に相談しましたが「キリンの研究ができる」と言ってくれたのは遠藤先生だけでした。先生の「博物館と遺体」という授業をとって、初めて動物の解剖をすることになりました。

キリンの肌触りは丸刈り頭のよう

――授業では動物の解剖をして「知的好奇心が刺激された」と書いています。そして大学1年生の冬にキリンの遺体が運ばれてきたと。その時にキリンの皮膚や筋肉を外す「解体」を初めて経験されています。どうでしたか?

 普段自分が通っている大学に、キリンの遺体がどさっと置いてあるのは、凄く非日常的でした。キリンの解体をやってみて、衝撃的だったのは「触れる」ことでした。動物の研究って、あまり触っちゃいけないんですよ。特に野生動物は触るとストレスになってしまうし、寄ってこなくなってしまう。でも、もう亡くなったからいくらでも触りたい放題で。それが凄く大きかったです。

――どんな感触なんでしょう?

 肌触りとしては、毛は剛毛で短いので、人の丸刈りの頭みたいなんです。ふわふわではなく、ガサガサしていて、でもなんか気持ちがいい感じで。「凄くいいなあ」と思いました。毛並みや角の感触を初めて体感できたのは大きかったです。

――解体作業は大変そうですね。

 キリンは大きいので、結構ハードなんですよ。全体では1〜1.5トン、首より上だけで150〜180キロくらいあります。たとえば足をあげる動作も、何人かでやらなきゃいけないんです。重いものを持てないと厳しいですね。

キリンの遺体には「幻想的な美しさ」がある

――そして初解体から2年後の2010年の冬に、初めて筋肉や骨などを詳細に見る「解剖」をしています。どんな道具を使うのでしょう?

 道具は基本的には一般的な手術に使うハサミと、ピンセット、小さなメスなどを使っています。最初に皮を剥いで、その次の脂肪をさらに剥ぐと、筋肉が出てくるんですが、皮を剥ぐ時には刃渡り17センチほどある解剖刀という道具も使います。

――これまでに合計30頭を解剖したそうですが、遺体をみて「かわいそう」「悲しい」といった感情になりませんか?

 ゼロじゃないんですけど、誰かが殺したわけじゃないんですね。基本的には寿命を全うされて、あるいは病気や怪我で亡くなってしまって、運ばれてきます。何もしなかったらそのまま亡くなって朽ちてしまう。そこで自分が頑張って研究をすることで「何かを残すお手伝いができれば」という気持ちが大きいですかね。

――本では遺体には「幻想的な美しさ」があるという表現があって、印象に残りました。

 どうしても遺体ってマイナスのイメージを持たれることが多いですし、私もマッドサイエンティストみたいな扱いをされることも多くて。でも、現場で遺体を見ると、やっぱり綺麗なんですよ。私は生き物は生きている時は凄く綺麗だと思っていて、亡くなったとしてもそれは変わらないんです。

 以前17年くらい飼っていた犬が亡くなってしまったことがありました。凄く悲しかったけど、愛おしい存在であることは変わりがなくて。人間でもご家族を亡くしても、その瞬間から遺体が気持ち悪い存在に変わるわけではない。キリンはとても品のある存在だと思っているので、亡くなってもそのままなんです。

キリンの8番目の首の骨で発見

――郡司さんはそのように解剖を続けて、どのような研究をしたのでしょう?

 キリンの8番目の首の骨について研究をしました。哺乳類は基本的に首の中の骨、頚椎(けいつい)が全部で7個あります。その形や長さが変わることで、首が長くなったり短くなったりする。キリンも7個なんですが、私の研究はその頚椎に続く8番目の背骨、つまり第一胸椎(きょうつい)も頚椎のような役割を持っていることを発見しました。頚椎のようによく動くため、首の可動範囲が拡大し、低いところの水が飲めるようになっているんです。

――キリンの研究はあまりないそうで、かなり昔の研究も参考にしているそうですね。解剖学の論文は「タイムマシン」という表現もしていました。

 参考にした「キリンの首の根元が特殊だ」という論文は1999年に出たんですが、同じような着目をした研究が1908年にも書かれています。キリンの解剖の論文は1880年代にも書かれていて。150年近くも時間が経って、住んでいる国も違うし、性別も違う。絶対に会話ができないような人と同じような感情を共有できる。「この筋肉立派で発達している」と書いてあるだけなんですけど、私も同じ部分を見て「立派だな」と思う。これは他にはない魅力かなと思います。

――本の「おわりに」では、博物館では無目的、無制限、無計画の三つの「無」が重要だと紹介されていました。どれも世の中ではよくないとされている考え方ですよね。

 誰の言葉かは分からないんですけど、その三つの「無」は博物館のポリシーなんです。遠藤先生や、今の上司の川田伸一郎先生もおっしゃっていることです。今は単にありふれたものでも、数十年後にはものすごい貴重になって、手に入らなくなってしまうかもしれない。あらゆるものを後世に残していくのが、博物館の基本的な理念なんです。

――最後に郡司さんにとってキリンとはどんな存在ですか?

 私はキリンがいなかったら、今の自分にはなれなかったと思います。子どもの頃からキリンが好きで、キリンの研究者を志してからは10年間ほど経ちました。色々な方と出会って、色々な経験をしてきて、凄く人間として成長できたなと思っています。キリンには本当に感謝しています。

 キリンを好きな気持ちは大事にしたいと思っています。大人になると「これが好きだ」と周りに言うのが気恥ずかしくなると思うんですよね。でも、好きなことを頑張ると、成果が得られたり、新しいことを知れたり、技術が上がったりする。さらに「キリンが好き」と言っていると、同じように好きな人や、他に好きなものを追い求めている人も寄ってきて、ハッピーな人間関係を築くことができる。これからも好きな気持ちを大事にして、キリンの研究を続けていきたいと思います。