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上田岳弘さんが兄姉の本棚をあさって読んだ村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」 マセラティは知らなかったけど…

 90年代の初頭、「はなきんデータランド」というテレビ番組をよく見ていた。色んなジャンルのヒットチャートを発表しながら、タレントさんがそれをネタに雑談をする……番組だったという記憶があるものの、なにせ20年以上昔のことだから詳細は朧気だ。子供の頃からなんとなく作家になりたいと思っていた僕は、「本」のコーナーで、当時いわゆるW村上と呼ばれていた村上春樹さんや村上龍さん、吉本ばななさんがランキング入っていて、ものによっては軽く100万部を超える書籍もあると聞いて感じ入っていたことを覚えている。文章を書くという自由度の高い仕事。それで大金がもうかるなんて夢のようだな、と幼心に思った。インターネットもスマホもなくて、テレビは一家に一台の時代。日常的な娯楽の王様は書籍だった。

 「いわゆる純文学の単行本を読んだのは『ノルウェイの森』が最初です」
 何度となくインタビューで僕はそう答えている。姉が借りてきたのをまた借りして読んだのだった。それまでは当時はやっていたファンタジー小説や、学校の課題図書、教科書に載っている芥川龍之介の断片を読んだくらいだった。自分が作家になるのならこの本が属しているジャンルだろうなと思った。
 他の作品も読みたいなと思い、兄姉の本棚をあさると、当時文庫になっていたものはたいていがあった。手に取った順を厳密には覚えていないけれど、『ノルウェイの森』の次が『風の歌を聴け』だったような気がする。『ダンス・ダンス・ダンス』が特に記憶に残っている。中でも、その登場人物の一人、五反田君のことが。いつもの春樹作品のクールな語り手『僕』の中学時代の同級生である彼は、成績優秀、容姿端麗、人格も申し分ない、ハイスペックな男。劇中、30代で『僕』が再会する彼は俳優になっていて、当然のごとくに成功している。けれどもちっとも幸福ではなさそうだ。持って生まれた形質と、それが呼び込む周囲の期待に沿って生きることが習性になっている彼は、そんな借り物みたいな人生に虚無感を抱いている。もっと経費を使えと税理士に促されマセラティに乗っている。当時中学生だった僕は、マセラティの名前すら知らなかったけれど、とにかく高級な車なんだろうな、ということはわかった。

 「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。」(by羊男『ダンス・ダンス・ダンス』)

 外からはどれだけ恵まれ、満ち足りているように見えても、その人にはその人なりの地獄がある。
 地元にいたときは見かけた覚えはないけれど、東京の都心で働く今はマセラティの姿をたまにみかける。その度になんとなく五反田君のことや、その悲劇的な最後のことを思い出す。それから、遠い彼の絶望を想像していた自分のことも。