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文月悠光さんが19歳のとき、禁断症状に陥るほど観た映画「害虫」 少女の言語化できない思い、胸に迫った

 「20歳までに出会った、大好きな作品について書いてもらえませんか」。そんな連載の依頼を受け、いざ書こうとして固まった。よりにもよって、第1回のテーマは「大好きだった映画」について。
 私の一番苦手な質問が「好きな映画は?」である。尋ねられると、反射的に目が泳ぐ。作品名でジャッジされる、というプレッシャーに耐え切れないのだ。「詩人の方って、どんな映画をご覧になるんですか? 知りたいです!」と変な期待をかけられる場合もあり、非常に苦悶する。
 「よく知らないので……」と逃げ出せば、すかさず「これを観てください!」と勧められ、心が閉じる。映画コンプレックスを克服すべく、TSUTAYAに出かけても、膨大なタイトル群に貧血を起こす始末だ。

 幼少期、映画とはほぼ無縁の生活を送っていた。ぼんやりと覚えているのは、母の留守中に家のビデオで観た「白雪姫」「ダンボ」「ピーター・パン」などの古いディズニーアニメ。何度も観返した「トイ・ストーリー」。それから、アニメ&車好きの兄と、セリフを暗記するまで観たジブリ作品。その8歳上の兄のコレクションで知った「ルパン三世」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「E.T.」などの娯楽作品だ。
 どれも楽しい思い出だが、いまいち乗り切れなかった。私は常に物語の傍観者で、キャラクターの輝かしい活躍を見せつけられるばかりだった。

 中学に入り、道徳の授業中、教室のテレビで流れたのは、感動作「盲導犬クイールの一生」。が、犬が苦手な私は、登場人物の誰にも感情移入できず、終始真顔で鑑賞。号泣する女子生徒たちとの心の溝がさらに深まることになった。時期を同じくして、「セカチュー」が大ヒット。「泣ける映画」と話題になった。でも「若くして難病を患う」ことの重さは、13歳の私には到底理解しえなかった。
 当時の私の映画体験は、「男の子の冒険に付き合わされる」ものか、「女の子の幸せはこれが正解だよ」と訴えかけてくるもの。もしくは、「難病や動物で『命の儚さ』や『生死を超えた絆』を訴え、感動の涙を誘発させるもの」。小説を読むのと違い、周りに観客がいて、周囲の反応が見えてしまうことも、より居心地を悪くさせた。

 転機は、18歳で上京して一人暮らしをはじめたタイミングで訪れた。通い始めた大学の近くに、「早稲田松竹」という映画館を見つけたのだ。地元のシネコンに2回出かけたのが唯一の映画館体験だった私には、一人客が多く、ポップコーンの匂いも大音量の予告も流れない早稲田松竹は居心地が良かった。驚いたのは、その料金システム。普通の映画館より安く、なのに2本立て。名画座の存在を知らなかった私は、軽いカルチャーショックを覚えたものだ。

 大学1年の12月、大学からの帰り道、早稲田松竹の上映スケジュールの看板に目がとまった。惹かれたのは、当時の大ヒット作「告白」のポスター。その二本立てに組まれていたのが、塩田明彦監督作の「害虫」だった。教室で笑顔を見せる女子生徒たちを背景に、主演の宮崎あおいはにこりともせず、ポスターの中からこちらを見据えている。主人公は美しい女の子、なのにタイトルは「害虫」。そのアンバランスさが、不思議な違和感を醸していた。蒼井優も親友役で出演しているらしい。その点に惹かれ、とてもミーハーな動機で映画館に入った。

 映画館を出たときの、血が騒ぐような興奮は忘れられない。ストーリーは不条理に次ぐ不条理。「この後どうなるの?」と感じる伏線もほとんど回収されない。宮崎あおい演じるサチ子はひたすら無口。彼女の感情は、抑制された表情と、突発的な行動で描かれる。だからこそ、私は言語化できない思いで、胸がはち切れそうになった。
 何よりも結末が衝撃だった。主人公の冷めたまなざしと素っ気ない一言。二度とない瞬間が切り取られたラストシーンに心震えた。「生きた人間が動いている」と初めて実感できた映画が「害虫」だった。
 これが映画なんだ、これが私の観たかったものだ。興奮で胸が湧き立った。ナンバーガールというバンドを知ったのも、この映画の主題歌がきっかけだった。退屈な現実よりも、あの衝動と雑音に満ちた世界に没入したい。19歳の私は「害虫」禁断症状に陥り、シーンを暗記するほど何度も観た。
 中学1年のサチ子は、小学生時代の担任・緒方と度々文通を交わす。この文通が唯一、彼女の心の声が響く場面だ。実際は、ナレーションもなく、真っ暗な画面にテロップが不穏に映されるだけなのだが。

「変な夢を見ました。
夜空には星も月も出ていなくて、
あたしのまわりはゴミだらけなの。」

「先生はどうして
自分を許すことができなかったの?」

 タイトルの「害虫」とは、次々に周囲へ不幸を運び込むサチ子自身を指すのだろう。しかしサチ子を〈害虫〉に貶めたのは、彼女を救おうとしない〈ゴミ〉のような大人たちではないだろうか?
 視点次第で、善悪の区別など簡単にひっくり返る。その危うさを少女の張りつめた瞳で問いかけ、突きつけてくる作品だ。

 あれから九年、たくさんの素晴らしい映画や、大好きな作品との出会いがあった。
 けれど、私の中の「映画」という価値観を揺さぶり、破壊し、激変させたのは、間違いなく「害虫」だと今も断言できる。