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文月悠光さんが大学時代に夜な夜な見続けた「踊ってみた」動画 ダンスアイドルユニット「DANCEROID」の姿に熱中

 「踊ってみた」をご存知だろうか。近年もSNSで、ライトを用いた華やかなダンスパフォーマンス動画や、TikTokのダンス動画を目にする機会は多いだろう。
 「踊ってみた」の大きな特徴は、基本パフォーマーは曲の歌は歌わずに、あくまでもダンスで曲を表現すること。
 9年前、テレビも無い女子学生寮の一室で、私が心酔したのは、ハロプロでもAKBでもなく、ノートパソコンの画面内で踊りまくる「踊ってみた」の女の子たちであった。

 2000年代、誰もがネット上で表現活動ができるようになった。初期は掲示板や携帯小説、ブログなどテキストベースだったものが、技術発達でデータの重い音楽や動画を扱えるようになり、そこに登場したのがニコニコ動画だった。
 VOCALOIDを駆使した「ボカロ曲」がニコ動を席捲し、その流れを継ぐように生まれたカルチャーの一つが「踊ってみた」である(……と1991年生まれの私は認識している)。

 「踊ってみた」の原点であり、ブームのきっかけとされているのが、2009年にアップされた一本の動画「ルカルカ★ナイトフィーバーを踊ってみた」。当時17歳の女の子が自作の振り付け、自宅で撮影し投稿したこの動画は、現在YouTubeとニコニコ動画の合計再生数は約1800万回以上。投稿主の愛川こずえさんは、今や「踊ってみた」のレジェンドで、YouTubeチャンネル登録者数は15.7万人。世界中にファンを持つ踊り手で、あの指原莉乃さんから「私もずっと好きだったんです」とコメントされているほど。ネットカルチャーに親しんできた今の20代半ば~30代世代には、言わずと知れた存在である。

 紅白出演も果たした米津玄師、ヒャダインを筆頭に、ボカロクリエイターから音楽界にたくさんの人材が輩出されていることは周知の事実だが、私がボカロ曲の存在を知ったのは、「踊ってみた」の動画を通してだった。
 「リリリリ★バーニングナイト」「ハッピーシンセサイザ」「ストロボナイツ」「Sweetiex2」「チャイナサイバー@ウォーアイニー」などなど……独特のタイトルと歌詞のセンス、VOCALOIDの人工的な甲高い歌声。それまでのJ-POPや一般のアイドル曲とは、完全に一線を画していた。そんなボカロ曲を拝借し、実在の3次元の女の子が踊る。その新しさに人々が飛びついたのではないかと思う。

 私が中でも夢中で追っていたのが「DANCEROID」という、「踊ってみた」投稿者発のダンスアイドルユニットだ。初期は先述の愛川こずえ、いとくとらを中心に結成され、初期の3人組時代、2人組時代を経て、5人に増え、さらに7人増え……とメンバーの卒業や、オーディションの過程を見守るのは、完全にオタクの心境だった。
 画面越しに眺める彼女たちは、確かに可愛いけれど、メンバーの身長にもばらつきがあり、一部のメンバーを除いて、スタイルもごく平均的。なのに踊ると爆発的な可愛さとかっこよさを発揮した。
 シュールな笑える作品から、圧倒されるようなキレキレのパフォーマンス、二人組のコラボダンスでは、息のピッタリ合ったシンクロ率の高いパフォーマンス(&あざと可愛い百合感)まで画面越しに届けてくれる。

 そもそも私が「踊ってみた」にはまったのは、大学進学で上京した9年前の春頃だった。当時はまだ珍しかった電子書籍雑誌に寄稿することになり、その創刊記念パーティーに招かれた。18歳の私は華々しい空間と業界の大人たちの中、挙動不審丸出しで、来場客を観察していた。
 そこへ現れたのが一人の長身の美少女だった。色白の肌、モデルさんのように細く、ツヤツヤのロングヘアを揺らして、正にアニメから抜け出たような美少女だった。明らかに一般人ではない。その圧倒的な天使オーラに、私は話しかける勇気もなく、「何者なんだ……!?」と片隅で見つめるばかりだった。
 帰宅後、さっそく雑誌名で検索をかけると、一件のブログ記事にたどり着いた(今思うと相当に気持ち悪いが、それほど衝撃的な可愛さだった)。その記事により、例の「天使」が当時DANCEROIDのメンバーの「いとくとら」ちゃんであったと知る。えっ、あんな可愛い子がニコ動で踊ってるの!? それが、私にとって「踊ってみた」の入り口だった。

 スタートしたばかりの一人暮らし、誰にも気兼ねなく夜更かしできる環境下で、夜な夜な動画をチェックし、新しい作品がアップされれば歓喜して、またパソコンの画面に見入っていた(当時はスマホは持っていなかった)。
 キレキレダンスを披露するマスク姿の少女(2009~2010年頃まで、ネットで顔出しは基本タブーだった)をバックに、画面を流れるコメントや横断幕に熱狂した。「神」「覚醒」などの文字が踊った。
 斬新だったのは、その撮影場所。畳の自室、テレビや健康器具が所狭しと置かれたリビング、人の行き交う公園……など投稿主の生活感が伝わるものであったこと。メイド服や制服などのコスプレ衣装も、手作りや安く揃えたものが多かったのではないか(現在の「踊ってみた」は撮影機材の向上もあり、全体にレベルが高いが、私は畳時代が懐かしいのだ)。

 2年前、エッセイの連載企画で、初めてストリップ劇場に行ったときのこと。美しい踊り子さんたちのパフォーマンスを前に、思い出したのは、実は「踊ってみた」動画だった。選曲、衣装、演出の仕方、もちろんお客さんを楽しませるプロ意識も保ちつつ、踊り手としての自分をセルフプロデュースする様は(「脱ぐ」ことや舞台の直接性を除けば)、「踊ってみた」の精神とよく似ていたように思う。

 「踊ってみた」動画には謎の中毒性があり、何度も繰り返し同じ動画を再生した。私が特に好きだったのは、「イー・アル・カンフーで、ラップを踊ってみた」(曲は初期のヒャダインさん)、薙刀を用いた「HAKUMEI」、昭和アイドル風のしなやかな振り付けが「トゥインクル×トゥインクル」など……挙げはじめるときりがない。

 「踊ってみた」に熱中しながらも、私は「自分も踊ってみたい」と思うことは一ミリもなかった。そもそも壊滅的な運動音痴のため、一秒だって真似できるはずもなかった(中学時代、文化祭の簡単なダンスをやっと踊れるようになったら「文月さんだけ田舎の盆踊りみたい」と言われ、ガックリきた)。
 だからこそ、100%憧れや応援の気持ちで見守ることができたのだろう。推しの女の子がソロ動画をアップすると、コメントを投下して応援し、アンチコメントを見かければ憤慨し、必死に擁護した。
 そのハマりっぷりは、DANCEROIDが掲載された写真集を購入してしまうほど。が、オタク仲間がおらず、ライブに行く勇気がなかった。心底悔やまれるのは、なぜ解散前にライブに行かなかったのかということだ。
 一番熱中していた頃、池袋西口公園で無料パフォーマンスがあると知り、打ち合わせの後に行こうと、しっかり手帳に書き込んだが、結局足を運ぶことは無かった。なぜなら、その日は2011年3月11日だったから。
 震災をきっかけに……というわけでもないのだが、私のネットカルチャーへの熱は徐々に冷めていった。
 いつしかニコ動を開くこともめっきり減ってしまった。Youtubeを見ても、広告料稼ぎの無断転載か、YouTuberがぐいぐい喋り倒すハイコンテクストなコンテンツが目立つようになった。
 ただシンプルに「踊ってみた」。それだけといえば、それだけだが、「純粋に楽しんでます。全力でふざけたいんです。それを愛でてください」。そんな10年前の彼女たちのスタンスが、受け手側にも心地よかった。画面の中で踊りまくるツインテールの彼女たちは、本当に一生懸命で、輝いていて、眩しかった。

 改めてDANCEROIDのWikipediaを見てみると、主要メンバーは私と同い年や同世代。彼女たちも現在は、人生の岐路に立つアラサー世代なのだと実感する。実際、元メンバーの中には母親になった方もいるようだ。
 ただ私の好きだったメンバー(通称「こずこず」「いくらちゃん」「ゆずきんぐ」)は、今もYouTubeなどネット内外問わず露出を続けているようだ。動画を観返して、これからも陰ながら応援し続けたい。
 そう思った矢先……。元DANCEROIDメンバーの一部が所属するグループ「Q’ulle」が、本稿を書いている途中の10月22日に“解散”を発表した。

 アイドル界隈を観察していると、非常によくあることではあるが、儚いものだなあと思う。だから、どんな形でもメディアで活動が見えるのは嬉しい。応援するなら、今行こう、今声を上げよう。そんな反省を刻みつつ、この原稿を締め括ろうとしている。

 女の子たちが消費されていくスピードは、ときに絶句するほど速い。画面越しにアクセスするように、「いつでも会える」と思っていると、事務所のサイトからその子の名前が消え、SNSのアカウントも消され、静かに活動が終わっていた、なんてことはザラにある。
 けれど当然、彼女たちの存在が「消えた」わけではない。他の輝き方を模索するため、彼女たちは次の地へ旅立つのだ。勝手に見つけて、勝手に応援していた者の一人として、せめて彼女たちの今後を温かく見守ろうと思う。

 真面目な書評や文学論もよいけれど、たまにはこんな砕けた文章があってもいいか、とネットの片隅に「書いてみた」。今すぐではなくても、いつかの誰かが見つけて「私も好きだったよ」と声を上げてくれることを心から願っている。

 全4回の〈大好きだった〉連載は今回で最後。短い連載だったが、思いのほか長い旅だった。色んな過去の時間を経て、現在の28歳の私に戻ってきた不思議な実感がある。頼りない大人になった私には、未来のことは依然として見えないけれど。せめて「大好き」が増えていく生き方を、自らの手で選びとりたい。