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「戦下の淡き光」 憎むべき母を思う少年期の追憶 朝日新聞書評から

評者: いとうせいこう / 朝⽇新聞掲載:2019年11月02日
戦下の淡き光 著者:マイケル・オンダーチェ 出版社:作品社 ジャンル:小説

ISBN: 9784861827709
発売⽇: 2019/09/13
サイズ: 20cm/294p

1945年、両親は犯罪者かもしれない男達に僕らをゆだねて姿を消した−。母の秘密を追い、政府機関の任務に就くナサニエル。母たちはどこで何をしていたのか。人生を賭して、彼は探…

戦下の淡き光 [著]マイケル・オンダーチェ

 きわめて高い評価を得た『イギリス人の患者』を含め、丁寧に作品を送り出し続けるマイケル・オンダーチェの最新作が訳出された。
 今回の語り手は少年時代の自分を思い出す男性だが、いきなり冒頭が「一九四五年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」とくる。これだけで読者の好奇心を一気にそそり、第2次大戦の余韻と共に、不安の色調を帯びた想像を強いる見事に簡略な一行だ。
 この文こそオンダーチェの物語る才能、そして余計なものを削ぎ落とす力を示してやまないが、長編小説ゆえに我々はこうしたきらめく叙述の惜しげもない連続に最後まで陶酔することになる。
 すでに右の一文にもその要素が潜んでいるが、スリランカ生まれで東洋と西洋の血を持つこの作家が書く作品には独特の感傷がある。今の言葉で言えば「エモい」というやつだ。したがって、親のいないまま少年時代を過ごす主人公は、すでに大人になった者の目で過去の自分を優しく包むように見つめ、同時に本当は憎むべきかもしれない親、特に母を愛し、許し、思い出し続ける。
 同様の構造で主人公の少年時代を追憶した作品に『名もなき人たちのテーブル』があり、こちらは旧セイロンからイギリスへと三週間の旅をする客船の中での、やはり親の保護のない状態での体験が語られる。まさに成功者とは限らない「名もなき人」たちが少年の周囲にいて、彼の成長に影響を与える様もまた非常に「エモい」。
 ちなみに今作の第一部タイトルが「見知らぬ人だらけのテーブル」で、その中心に〝犯罪者かもしれない男ふたり〟がいて、際立ったキャラクターのまま主人公とその姉を見守ることになるから、ふたつの長編はディテールこそ大幅に違えど、テーブルをめぐる姉妹作なのかもしれない。
 答えはともかく、オンダーチェ作品では出てくる人物がすべて細かく設定されているのは確かで、その丹念さは熟練のものである。
 そして解説にもあるように、小説内で主人公ナサニエルが母の生涯を想像していくシーンには「ダブル・ナレーション」という技法が使われ、つまり登場人物が他の登場人物を想像し、異なる物語が進行し始める。最も虚構の度合いが深いその場面が、むしろ全小説中で何より真実らしく思えてならないのも夢のような読書体験だ。
 最後に、ここにはほんわかした母子の関係しか書かなかったが、作者はこの手の作品にはあり得ないハードな戦争にまつわる舞台を用意している。凡百の作家なら簡単にバランスを崩してしまう世界をこんな風に書けることがあるなんて、それもまた夢のようだ。
    ◇
Michael Ondaatje 1943年生まれ。小説家、詩人。トロント在住。映画化された『イギリス人の患者』は英国ブッカー賞、ゴールデン・ブッカー賞受賞。『アニルの亡霊』はギラー賞やメディシス賞など受賞。

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