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呉勝浩さんが読んできた本たち 作家の読書道:第212回

小学生の時に出合ったミステリー

――一番古い読書の記憶を教えてください。

おそらくですね、小学校の低学年くらいの頃、学校の図書室で『三銃士』とかを拾い読みしてたんですよ。通読はできていないはずです。

――ああ、『ダルタニャン物語』は大長編ですよね。そのなかの一部が『三銃士』。

 たぶん、当時、NHKか何かで『三銃士』のアニメが放送されていたんです。それで読みたいなと思って、図書室で見つけたんですよね。字がみっちりしていたので大人向けのものだったのかもしれませんが、子どもでは全然太刀打ちできない。外国の名前を覚えるのもきつかった。ダルタニャンが三銃士の中のひとりだと思っていたら別の名前の3人が出てきてって混乱したし。

――ダルタニャンが出会うのが三銃士なんですよね。

 でも「なんとなく面白かったな」というのはあるんですよね。馬がね、「ドロ、ドロ、バーン」みたいな。それぐらいしかもう、憶えてないけれど、

――ドロ、ドロ、バーン......?

 なんとなくそんなアクションを想像してもらえれば(笑)。その後は子ども向けのミステリーっぽいものを読んでいたと思うんですけれど、一番印象が強いのは小学校4年生の時、姉が持っていた有栖川有栖さんの『月光ゲーム』ですね。日本のいわゆる一般小説をはじめて通読したのがたぶんそれです。

――いきなり本格を。

 ド本格ですよ。ただ、やっぱり子どもなので、何がすごいのかとか、何が伏線で何が回収されたのかは分かっていなかったと思うんですよ。ただ「おお」「へえ」みたいな感じで。謎があってそれを解くだけじゃなくて、火山が噴火してサスペンスもあったりしたので、それで最後までつっかからずに読めたんでしょう。その後すぐ、有栖川さんの『孤島パズル』を読みました。あそこらへんは姉の影響がだいぶありましたね。

――お姉さんはいくつ上なんですか。

 ええと、2個か3個のはずです。で、『孤島パズル』の時もね、『月光ゲーム』と同じように分からない感じはあったんだけれども、「暗号が進化していく」という記憶が強くて。パズルが平面から立体になっていくのが「うわあ、格好いいな」と思って、ミステリーって面白いんだと自覚した気がします。で、その流れで読んだアガサ・クリスティの『アクロイド殺し』でとどめを刺された。やっぱりあの「犯人は、あなたです」で「わあ、すげえ」ってなりましたよね。当時、そういう小説は他にも世の中にいっぱいあったんでしょうけど、僕自身はさすがに読めていないので、はじめてだったんですよね。「ミステリーすげえなあ」と思って、でもそこからなぜか大沢在昌さんの『新宿鮫』に行くんです。

――小学生で、ですか。

 いや、それは中学生になってからだと思うんですけれどね。たぶんテレビのゴールデン劇場みたいなので滝田洋二郎監督の映画を観たんです。主演の真田広之がやくざの車のフロントガラスを警防でバチコーンって割るのを観て、今考えたらあれって確実に何かの処分を受けるだろうけれど、僕は「いやあ、すげえ格好いい」となってカッパ・ノベルスで『新宿鮫』を買って、そこから『氷舞』までお小遣いでシリーズを買い続けました。その頃に『テロリストのパラソル』が出たんですよね。それも「格好いいー!」となって。

――藤原伊織さんの。のちに呉さんが受賞することになる江戸川乱歩賞受賞作品ですね。

 そう、いまだにその時に買った本を持っているんですけれど、帯がまだ江戸川乱歩賞の帯なんですよね。その後、あるタイミングで本屋に行ったら「直木賞受賞」の帯に変わっていて、当時は何が何やら分からなくて。「俺が持っているのは乱歩賞やけど、直木賞となっているのと同じ作品なん?」って。

頭の中で連載を抱える

――自分で物語を空想したり書いたりはしませんでしたか。

 空想してましたね。例えば原作・大沢在昌、作画・高橋ツトムで刑事の主人公をイメージして、頭の中でそれを動かすんです。登下校中とか、教室の掃除とかしながら。設定だけ借りパクして、こういう展開でこういうキャラが出てきて、こういうやりとりをしてみたいなものを、ずっと頭の中で進めていくということを、高校生くらいまでやっていたのかな。
 面白い話を頭のなかで、何本も何本も作っていたんですよ。この瞬間はこの話をやって、飽きたら次の話をやって、って。

――ふふ。何本も連載を抱えているようなものですね。

 そうそう。で、だいたい終わらないんですよ。完結しないで連載終了になっているんですよ。で、完結しないまま別の新しい話が始まり、みたいな。

――刑事とか警察の話が多かったんですか。

 基本はジャンプ系。『ドラゴンボール』がベースにあって、あとはスポーツもので野球、サッカー、バスケ、なんでもできましたね。でも、キャラクターは全パクしないんですよ。なんとなく変える。「明らかにこれ、あれやろ」みたいなものはあったけれどそれは目をつぶる感じで。

――書いてみることはしなかったんですか。

 小学校の頃は漫画とか描いていたんですけれど、定規を使うのが本当に嫌で。だから手書きでぐにゃぐにゃしたコマ割りしかできなかったんですよ。小学校3~4年生頃かな、「うさかめ物語」という漫画をずっと描いていました。ウサギとカメが出てくるだけの話なんですけれど、結構クラスの友達とかが読んでくれて「面白い」ってなってたんです。その後の、遺作となる『動物戦隊ネコマタン』という漫画は長大な長篇で。

――遺作って、最後の漫画作品ってことですね(笑)。

 これが傑作で、最終巻10巻までいったんですよ。でもこれも完結しなかったっていう。大学ノートに描いていて、最後の10巻目だけめっちゃ分厚い100枚くらいのノートを買って、表紙だけ描いて「もういいか」って止めちゃったんですよね。

――ちなみにそれはタイトルからして、動物たちの戦隊が活躍する話ですか。

 そうです。もうね、最後のほうは結構ハードボイルドな感じになっていましたね。世界を救う話になって、いろんな漫画のパクリキャラが勢ぞろいして。面白かったな。

――楽しそう。ところで呉さんは青森のお生まれですよね。どんな少年時代だったのかな、と。わんぱくなのか、それとも...。

 小学校の頃はわりと外でも遊んで、野球部にも入って、家に帰ったらゲームやったり漫画読んだり、映画を観たりしてました。だんだん外に出なくなっていくんですけれど、まあ、小学生の頃はいいバランスをとっていたと思います。

――その頃、将来なりたかったものは。

 おもちゃ屋さんです。おもちゃで遊べるからという、まあ一番オーソドックスですよね。

――作文などを書くのは好きでしたか。

 小学校5、6年と同じ担任の先生だったんですけれど、その先生が日記を書かせるのが趣味みたいな感じで、ずっと書かされていたんです、クラス全員。文章を書くようになっていくのは、それがベースにあるのかもしれません。毎日書くっていうのはね、すごく蓄積になったでしょうね。

あの作品で映画に目覚める

――中学に入ってからの読書は、『新宿鮫』シリーズや『テロリストのパラソル』以降、いかがでしたか。

 読書はそういうハードボイルド系な方向に趣味が行きました。ただ、それくらいのタイミングで、デヴィッド・フィンチャーの映画の『セブン』をね、劇場で観まして。あれがやっぱり衝撃的でしたね。まあ、人生を変えた作品のひとつだと思います。というのも、そこから僕は「映画やりたい」ってなったんです。「将来はおもちゃ屋さん」とか言っていたのが、「映画の世界に行きたい」となったきっかけが『セブン』だったんです。そこからもう、「将来は芸大に入る」というところまで考えるようになっていきました。

――なにがそこまで衝撃的でしたか。

 まあとにかく映像が格好よかったですよね。当時、あれだけ暗くてジメジメしていて影の濃い絵作りって新鮮で、「わああー」ってなりました。ブラッド・ピットも格好良かったし、モーガン・フリーマンも格好いいし、ゲヴィン・スペイシーも格好いいし。で、わりと残虐な事件が起こって、それもショッキングだった。何よりも最後ね。犯人が思い描いた犯罪の全貌がわっと明らかになるというね。あの構図にはちょっとやられてしまって。『アクロイド殺し』とかで感じた快感がそこにあったんですよね。もうすごいなと思って。
 その後『ファイト・クラブ』を観ても「すげえな」となるんだけれども、ファースト・インパクトは確実に『セブン』です。
 そこから興味が映画にいってしまって、小説はあまり読まなかった時期があります。それこそ国語の教科書に載っていて「面白そうだな」と思ったものをたまに図書室に行って拾い読みするとかくらい。当時でいったら辻仁成さんの『海峡の光』とか。姉の影響でエルキュール・ポアロとかはその頃も読んでいたかな。

――お姉さん、相当なミステリー好きなんですか。

 ガチですよ、ガチ。お陰様で、あの人に部屋に入ると何かあるんですよ。それを引っこ抜いて読んでいました。今振り返ると、あの人がベーシックなところを揃えてくれていたので、すごく助かりました。いや、助かったのかどうかよく分からないですけれど、助かったことにしておきましょう。
 たしかその頃、『新宿鮫』をパクったような警察小説を書こうとして、3行くらいしか書けなかった。「刑事が街を歩いている」みたいな描写を書こうとしても、歩道の脇にある植木とかガードレールとか、アスファルトの道の質感といった描写が何ひとつ浮かばなくて。まず、名詞を知らなかった。街の風景は浮かんでも、それらの名詞が分からない。「こういうのを頑張って書くくらいだったら、RECボタン押して映像で撮ったほうが早いんじゃないか」ということもあって、映画のほうにいったんですよね。

――本はあまり読まなかったけれど、映画は相当観ていたんですね

 観はじめましたね。特に高校生になってお小遣をもらえるようになるとレンタルビデオも借りやすくなって。僕らの頃は、タランティーノが『パルプ・フィクション』でバチコンいったり、岩井俊二がいたり、黒沢清が出てきたり、北野武がいたりして、僕の記憶の中では、わりと映画がスリリングな時期だったんですね。技術はそこまで成熟してなくて模索中な部分があったけれど、そういうのが結構楽しかった。今ほど洗練はされていないんだけれども、映画とミュージックビデオとかの融合が盛んに行われ始めて、あまり普通に考えたら出てこない種類の作品を観る機会が多かったんじゃないかなと勝手に思っています。
 ただ、やっぱり普通に『ダイ・ハード』だったり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だったりがぶっちぎりで面白かったですけれどね(笑)。『バッファロー'66』とかは今観ればすごく面白いんだろうけれど、当時は分かったふりばかりしてました。「こういうのを観て面白いって言わなきゃ駄目なんだろうなあ」っていう意識がありました。

――情報はどのようにして得ていましたか。

 青森とかに住んでいて知識を得る機会がない人間でも、本屋に行けば『キネマ旬報』とか『ロードショー』とか、当時は『ビデオでーた』があったし。やっぱり『ビデオでーた』が情報量が多かった。100本以上の作品がちっちゃな写真でばーっと載っているような雑誌だったから。

――映画監督になりたいと思ったのですか。

 そうですね。その当時は映画のどの部分を誰がやっているかも全然知らないから、監督という存在も脚本家っていう存在もカメラ回している人のこともよく分かってなかったけれど、高校生の頃はなんとなく監督か、それか、シナリオだなと思いましたね。

――シナリオは書きましたか。

 高校生になってようやくワープロを買ってもらって、書くようになったんですよ。最初にめちゃめちゃ長いシナリオを書いたんです。サイコサスペンスでしたね。サスペンス好きだからというのもあるけれど、その頃野島伸司さんのドラマがあったり、飯田譲治さんの『佐粧妙子―最後の事件―』といった系統があったり、自分と歳が近い酒鬼薔薇聖斗の事件とかがあったので、学園を舞台にしたサイコサスペンスを書きました。あれはわりといい出来だった気がするんですよ。

――もう残ってないんですか。

 感熱紙だったんですよ。

――ああー。文字が消えちゃいますよね。

 もったいないことしました。高校の時に長篇のシナリオを3~4本書いているんですよ。新聞記者が出てきて、フェイクニュースみたいなのに巻き込まれて、とか、結構ジャーナリズムの話とかもあったんです。拙いのは当然なんですけれど、発想がわりと面白いものがあったと思うので、今、パクりたいんですけれどね。

――過去の自作のことをパクるって言うんでしょうか(笑)。高校生時代、撮影はしなかったのですか。

 やろうとしたこともあったけれど、いかんせんあれは機材がちゃんとそろっていないとすごく大変なんですよね。無理やりお金を作って編集機も買ったんですけれど、見事に何の意味もなかった。今ならパソコンでやれるけれど、当時はビデオカメラとビデオデッキを繋いで、映像をここからここまで録画してキュキュキュとやって、次にここからここまでを録画してキュキュキュ、ということをやらなくてはいけなくて。そんなんだから全然駄目で。映像も、近頃はスマホでもそれなりの絵が撮れちゃいますけれど、当時持っていたのはおじいちゃんの形見のカメラで、画質も粗いし、不便だし、いろいろ大変でした。それがあって、大学は芸大の映画系で、なるべく実践できるところに行こうと思いました。それで、大阪芸大が割と実践的に映画を撮ることを教えているというのを知ってね。

――それで、進学で青森から大阪に行ったわけですね。また相当文化が違ったと思いますが。

 いや、芸大は南河内にあって、大阪の天王寺から近鉄電車で30分弱かかって、駅からさらに10分とか15分とか山のほうへ入っていくところなんですよ。もう、景色なんてなんだったら自分が住んでいた青森に近いんじゃないかっていう感じでした。たまに天王寺とか難波に行ったりもしたけれど頻繁ではないし、大都市に出てきたみたいなことを意識することもなくだんだん慣れていって、カルチャーショックを受け損ねました。

メフィスト賞に傾倒する

――映画の話ができて、実践的なこともできて、楽しかったのでは。

 はい、やっぱり大学の頃は楽しい日々ではありましたね。そこでまたちょっとだけ、本に戻りましたね。もちろんやりたいのは映画なのでそこまで大量に読むという感じではなかったけれど、学校の近くの古本屋さんで読み逃していた本をちょいちょい買って読んだりしていました。
 今でもつきあいのある友達が、わりと尖がった系の本を読んでいたんです。それこそ舞城王太郎さんとかが好きだって奴がいて、そいつが映画もかなり観ているので話をする機会が多くて。その流れで森博嗣さんの「S&Mシリーズ」を読むようになったんです。『有限と微小のパン』まで出ていたから、学校の購買部で月1冊ペースで買って読んで、そこで森さんのデビューのきっかけとなったメフィスト賞という存在を知るんです。友達からも、「西尾維新の『クビキリサイクル』を読め」とか言われたりして。それも「ああー面白いな」と思いながら読んだので、当時はメフィストメフィスト言ってましたね。でも、その頃一番衝撃的だったのは山口雅也さんの『奇偶』だったんですけれど。あれはもう、「こんな本があっていいのか」って。

――その頃は、どんなシナリオを書いていましたか。

 自分で撮ることを前提に書いているから、撮れない絵は書かないという、ちょっと良くないスパイラルに入っちゃって。警察ものにすると美術のハードルが一気に高くなるし、年配の役者さんを連れてくるのって大変だし。田舎だから交通費を出すだけでも結構なお金を払わなきゃいけないし。そもそも周りに何もないし。となると、「自分の手元にあるものでできる範囲のシナリオを書こう」となる。だから、ここでね、僕は物語の喜びを1回捨てているんですよね。あれは良くなかった。この時期が一番良くなかったかもしれない。

――卒業してからはどうされたのですか。

 今振り返っても悲しくなるような出来の卒業制作を一本撮り、でもなんとなく「いけるやろ」みたいな感じで就活も一切せずに、南河内から東大阪のほうに移ってウサギ小屋みたいなところで一人暮らしを始めて。あの部屋には7年くらい暮らしたのかな。途中、空白の3年みたいなのがあるんです。本当に何をしていたか憶えていない3年なんですよ。犯罪はしてないはずなんですけれど。
 その後は派遣の仕事をしたりして。でも仕事中に焼肉食いに行ったのがバレて、しらばっくれて「俺が食いに行った証拠でもあるんですか」って言ったら「見たんだよ」って言われて(笑)。それでクビになって失業して2か月後くらいに、先輩に「もう使わないからあげるよ」って言われてパソコンをもらうんです。それではじめて小説を書くんですよね。だいたい1か月弱くらいで、原稿用紙7~800枚くらい書いたのかな。

――え、そんなに!

 その時はもう、小説を書いていないとお金が無いことしか頭に浮かばないから。もう書くしかない。逃避ですよ、完全なる逃避。それがはじめて完成させた小説ですね。一応ミステリーで、館もので、不可能犯罪が起きて、主人公がワトソン役で、主人公の彼女が超能力者で、探偵も出てきてっていう。話も構造もとことんメタで、その主人公が作者になるっていう話なんですよね。完全にメフィスト系の話で、実際にメフィストに送ったんですよね。

――『新宿鮫』をパクろうとして3行も書けなかった人が、なにがどうして7~800枚も書けたんですか。

 一人称にしたからだと思います。そのおかげで、すべてが自由になった感じがしました。それで、なんか書けちゃったんですよね。さすがに語彙も増えていたはずですから。
 そのあたりから本格的にもう一回読書をするようになりました。その頃は営業の仕事が多かったんで、現地で結果を出した後でファミレス行って夕方まで読書をしてました。4~5時間働いて、4~5時間ファミレスでした。そのあたりで三大奇書を読んだりしましたね。小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』、夢野久作の『ドグラ・マグラ』。それと竹本健治さんの『匣の中の失楽』とか、レジェントたちの本を読み始めるんですよ。京極夏彦さんとか伊坂幸太郎さんも読みはじめて。ずっと読書するようになって、それで「小説、いいなあ」というふうにはなっていたんですよね。
 映画は自分の資質とか、いろんな事情でちょっと無理だなというのはなんとなく分かっていて、でも就職したいという気持ちもなく、そこで小説を見つけてしまったのでね。「ああ、これかあ」と完全なる勘違いをして、読書と並行して書く、というのを7年くらい続けたのかな。

自分の人生を変えたミステリー

――小説を読みながら、学ぶところもありましたか。

 具体的なテクニックというより、構造的に見ることが多かったですね。メタな構造とか、そういうところですね。あとは、ミステリーの文脈のなかでどういう位置づけを狙った作品なんだろうとか、どういう常識を覆そうとした作品なんだろうとか、若干批評よりの見方で読むことが多かったですね。

――ミステリーの文脈とか、どの先行作品を読んでおくべきかって、どうやって学んだんですか。

 基本は大学を卒業したくらいから『メフィスト』を買っていたので。古野まほろさんが『天帝のはしたなき果実』でデビューされたあたりからですね。要は、自分で応募するようになったからなんですけれど。『メフィスト』誌を読んでいると、わりと情報が断片的にでも入ってくるんですよ。「あの作品はあの影響を受けている」とか書いてあったりするから。それとやっぱり、有栖川有栖さんと綾辻行人さんの「ミステリ・ジョッキー」というコーナーですよね。これはもう傑作コーナーだと思うんですけれど、短篇小説をまるまる一本収録して、ネタバレありで2人が語り合うんですよ。あれが最高で。「やっぱりミステリーはネタバレできないからね、じゃあ載せちゃおうぜ」ってことで、読者は絶対に読んでいるという前提でネタバレありの講評をやっている。お互いにいい作品ばかり出してくるので褒め大会みたいにはなっちゃうんだけれど、それにしてもすごい面白くて。
 そういう対談形式のものは参考になりました。島田荘司さんと綾辻行人さんの『本格ミステリー館』とかも読むと、だいたい古典の「あれを読まねばならん」とか「これを読んでおいたほうがいい」みたいなものが出てくるんですよね。やっぱり飢えているんで、気になる本は選んで読んでいました。

――そのなかで、やっぱり名作だと思ったのはどれになりますか。

 面白いものはたくさんあるんですけれど、今考えると、『テロリストのパラソル』以降で挙げるとすると東野圭吾さんの『白夜行』で、もっと言うならやっぱり竹本さんの『匣の中の失楽』はすごいなと思う。でも、理解できている自信はない(笑)。伊坂幸太郎さんのデビュー作の『オーデュボンの祈り』はヤバかった。あの発想力はすげえと思いました。
 それと、僕がデビューする前に最後に衝撃を受けたのは横山秀夫さんの『64(ロクヨン)』なんですよね。たとえば京極夏彦さんの『魍魎の匣』とか、すごい作品は他にもたくさんあるんですけれど、でも自分の人生に影響を与えたという意味ではやっぱり『64』なんですね。なにがすごいって、そこまでトリッキーなことをしていないのに、あんなに面白い小説が書けるんだっていうのが。僕はメフィスト系の弊害で(笑)、「トリッキーじゃないと面白くない」みたいな、ちょっと訳の分からない概念を持っていたんですけれど、でも『64』は、現実で起こりうる範囲のことしか起こっていないわけですよ。それを最大限面白く膨らませると、あんなすごい小説になるんだっていうのが衝撃的で。
 そのタイミングで、職場のかなり年上の同僚で今でも付き合いのある方が、僕が小説を書いているというのを知って、「君は面白いから、もしかしたらどうにかなるよ」と言ってくれて。そこでハタと「この人に俺が書いているメフィストっぽいものを読んでもらったら面白いと言ってくれるんだろうか」と疑問に感じたんです。「一回この人に『面白い』って言わせたいな」と思ったんですよね。それではじめて地に足がついた系の小説を書いたんです。

――ああ、『64』がきっかけで作風が変わったわけですね。

 それで書いたものを、乱歩賞はものの見事に駄目だったんですが、ちょっと手直しをして『このミステリーがすごい!大賞』に応募したんです。その時に当時は膳所善造さんと名乗っていたミステリー書評家の川出正樹さんが一次審査で取り上げてくれて。「これは文句なく一次通過だ」みたいなことを書いてくれて、すげえ嬉しかった。はじめて世の中に、顔も知らない第三者に公の場所で褒めてもらえたという経験で、めちゃくちゃ嬉しかったんですよね。「うわ、もしかしたらこの路線であってるんじゃないかな」と思って。翌年乱歩賞は最終選考まで残り、その翌年、受賞する流れになるんですよね。
 だから、『64』はそういう意味で自分の人生に影響を与えているんですよ。もし『64』を読んでなかったら、「地に足がついた話を書いても面白くなる気がしない」とか思ったかもしれない。でも『64』があったから「頑張って書いてこんな小説になったらすげえいいじゃん」って思えたんですよね。もちろんそう思ってすぐできるなら苦労しないんだけれど。でも、ひとつの指針、目標になったんです。

――『64』って警察小説であり、組織内の軋轢に悩む男の話でもありますよね。

 そうそうそう。お仕事小説の面もあってね。で、生き方の問題みたいなところがあって。事件については、意外にトリッキーなんだけれども。

――先ほど挙がった、『白夜行』をすごいと思ったポイントは。あれも人間ドラマの部分が面白いですよね。

 あれはその人間ドラマを、当事者二人を最後まで会わせずにやるっていうのが構造的にもすごかったし、その上でガチで人間ドラマとかも上手いから。ただ、最初に読んだのは東野さんがえらい人気になっていた高校生の時で、当時は正直、100%はそのすごさを理解できていなかったと思う。
 だから、『64』はタイミングもありましたよね。自分がわりと経験を積んだ後で、いいタイミングで出合えたから、そのすごさが肌で感じられました。

――そこから現実社会を舞台にした作品を書くようになって。

 でもトリッキーな謎であるとか構造みたいなものは、やっぱり捨てきれなくて。だからデビューしたての頃はよく、「どんな作家を目指しますか」って訊かれたらだいたい「麻耶雄嵩のプロットを横山秀夫が書く。そういうことができたら一番いいっすね」みたいなことを言っていました。

――めっちゃトリッキーでめっちゃ人間ドラマっていう。

 そんなのが書けたら、何か自分がやりたいことが見えてくるのかなと思っていましたね。いまだにちょっと変わった構造の話だという惹句があると手に取りたくなりますよね。やっぱり「驚きたい」という欲求はまだ残っていますからね。

メフィスト出身かそうじゃないか

――ご自身が書くものは、読者を驚かせはしても、それがメインではないですよね。新作『スワン』も、浮かび上がってくる人の感情が突き刺さる話ですし。

 メインではなくなってきましたね。そこは毎回毎回、バランスを考えながら。でも近い将来、驚きをメインにした作品を書きたいというのもある。最近ね、『十角館の殺人』を再読して、やっぱりすげえな、って。これはやってみたくなるよなって思ったんですよ。「十角館」がすごいのは、最後に驚きの一文みたいなのがあって、その後にほとんど説明がない。謎を解く分量がね、少ないんです。だらだらだらだら「これはああであれはああだったからこうなったんだ」みたいな説明を書かないと成立しない作品も多いんですけれど、やっぱりね、「十角館」がすごいところはそこだな、って僕は個人的には思うんです。途中も面白いですしね。ほとんど最後の驚きのところしか記憶になかったけれど、読み返したら随所に工夫があって、超面白くて。やっぱりすごい作品なんだなと改めて思いました。あの切れ味はちょっとやってみたいなって思っちゃいますよね。できるかどうかはともかく。
 毎作毎作自分なりにコンセプトを作りながら書いているので、必ずしも人間ドラマを書きたいとか、社会が云々、とかだけではないんですけれど。ただ、それをまったく書かないってところまで振り切れるかというと、難しいね。

――同時代、同世代の作家の作品はよく読みますか。

 これはまず、あのですね、辻村深月という人がいらっしゃいましてですね。

――もちろん存じ上げております(笑)。

 この方が若くしてメフィストでデビューされて、しかも僕のほぼ同世代だということをある時知るんです。その頃にはもういろんな作品をお出しになっていたんですけれど、僕は後追いで知るわけです。で、結構衝撃を受けるわけですよ。たとえば朝井リョウさんのような、僕より年下ではやくデビューされて大ヒット飛ばしているような人でも、メフィスト賞出身ではない。そこはわりと重要で(笑)。メフィストじゃないんだったら全然いい。何も思わん。でも、メフィストでやられちゃうと悔しいなあと思うんですね。

――辻村さんはメフィスト賞出身ですものね。

 その上、いわゆる一般文芸的な質も高い。たとえばメフィスト賞出身でも、西尾維新さんくらいの作風だと、さすがに自分と違いすぎてて何も思わないんだけれど、辻村さんって微妙じゃないですか。あの方は絶妙なポジションだから。それでね、僕がうだうだうだうだしているタイミングで直木賞もお獲りになって、「うわあああ」となって、たぶんそのあたりで、同世代に対するルサンチマンはだいぶ、ぐうーみたいなのが(笑)。
 他には、芦沢央もそうだし、葉真中顕もそうだし、下村敦史というのもいるわけだけど。そのあたりの人っていうのは自分と選ぶ題材が近かったりするので、無視できないですよね。やっぱりいい作品を書かれると悔しいと思うんだけれど、みんないい作品書くから困っちゃうなと思って。

――その方々が新作を出すと必ず読みますか。

 だいたい読みますね。葉真中さんとかはね、本当に悔しいから読まなかった時期とかあるんですけれど、今はもう読むようになりましたね。普通に面白いし、勉強という意味合いもあるのかもしれないけれど、まあ、敵情視察みたいな感じですよ(笑)。題材が被ったら恥ずかしいし。

――ああ、呉さんの新作『スワン』では無差別殺人事件で生き残った少女がバレエを習っていますが、芦沢央さんの新作『カインは言わなかった』がダンスカンパニーの話だと聞いて、被っていると思って焦ったそうですね。

 そう、本当にびっくりしましたよ。あの時はまだ芦沢さんとは一回しか面識なかったからセーフって思ったけれど。下村敦史と被ったら「お前らちょっと気持ち悪いわ」と言われそうで、それだけは気を付けようと思って。

――下村さんとはそんなに仲が良いのですか。

 仲がいいか分からないですけれど、結構頻繁に。同業者で一番会うのは下村さんかな。乱歩賞繋がりだし、同じ関西だし。

――他に新作が出たら読む作家は。

 まずはもちろん有栖川さん。たぶんほとんどの著作を持っているはずです。あと、やっぱり横山秀夫さん。たくさん出さない人ですけれど、出たら買いますよね。東野さんも買っちゃうな。加賀恭一郎ものとか、湯川ものとか。東野さんの小説って、僕の中では、すごくベーシックとして優れているというか。自分が長篇を書いて最後のゲラ直ししている時に、並行して読んだりするんです。東野さんの装飾のない文章の感じをなんとなく取り込んで自分のゲラを読むと、「ああ、自分はここはやりすぎてるな」みたいなものが見えてきたりする。こねくり回したくなる気持ちを抑制してくれるんです。だから、東野さんの小説は僕にとってすげえ便利なんです(笑)。メトロノームみたいな使い方であれですけれど。もちろん作品も面白いんですけれど、そういうところでちょっと基準にしているところがあります。『白い衝動』を書いていた時には『無幻花』を並行して読んでいたし、今回『スワン』を書いた時は『希望の糸』を並行して読んだりして。でも『スワン』の時は、『NARUTO』も並行して読んでたので、ちょっと『NARUTO』感も出ちゃったかな。

――あはは。漫画もよく読みますか。

 暇なときとか、ちょっと行き詰っている時とか、わりと漫画を読んで逃避していますね。漫画を読むためにiPad買いましたからね。やっぱり面白いし、漫画の中に思わぬ発想とかもありますからね。ギャグ漫画とかも読むし、医療ものとか、自分とは縁がないものをたくさん読んだりするかな。最近は草水敏さんと恵三朗さんの『フラジャイル』とか読んでたし、押切蓮介さんの『ハイスコアガール』のようなポップなものも読むし。

ミステリー以外の読書

――その後、映画はご覧になっていますか。

 それこそ大学を卒業して小説を書き始めてから、まったく見ていない10年くらいがあるんです。家にね、そういう設備がなかったんです。DVDプレイヤーを買うにも金がなくて、パソコンもそんなに優れてなかったのでなかなか観られなかったりとかで。ようやく最近、デビューしてから人並みの設備が整い、まとめて30本くらいを1か月とか2か月で観たりして、追いつこうとしています。最新作を劇場で観たりもします。やっぱり最近では「ジョーカー」が面白かったですよね。デビューしてから劇場で観た作品のなかで一番よかったかなあ。格好よかったから。ああいう問答無用に格好いいというのは、小説でどうやったらいいんだろうとか考えちゃいますよね。もちろん同じ文法ではないから。

――格好いいというのは、映画全体がですか。ホアキン・フェニックスが、ですか。

 映画全体も格好いいけれど、ホアキンもやっぱり格好いいですよね。やっぱりあの有名な階段のシーンを観た時に、もう物語がどうとか関係なしに体感として「格好いい」ってなるわけじゃないですか。あの問答無用な感じが小説でできたらそれこそ本望だなあと思いますよね。まあかなり難しいというか、ほぼ不可能じゃないかと思うけど。

――読書や映画鑑賞の記録はつけていますか。

 一時期やろうとしたんですけれど、続かなくて。一応、備忘録みたいな、「これを読んだ」というのは今年から付けるようにしています。でも年間100冊いかないですね。5~60冊くらいなのかな。皆さんの本を読むだけで「楽しいな」って言っていられたらいいけれど、やっぱりなかなかそうもいかないからなあ。

――お話うかがっていると、読書は国内のミステリー作家がやっぱり多いでしょうか。

 だいたい日本の作家ですね。ちょっと毛色の違う人でいうと、大学の頃に読んだ川上弘美さんの『溺レる』に入っている「さやさや」って短篇があるんですよ。あれがすげえ好きで。友達に薦められて読んだんですけれど、もう、すごく良かったですよね。女の人が主人公で、メザキさんという男の人に食事に誘われて蝦蛄を食べに行って。蝦蛄を食べながら、幼少期のちょっと駄目な叔父さんのことを回想する。帰る時に雨が降っていて、「わたし、おしっこしたくなっちゃった」って叢でおしっこしながら「なんか寂しいね」みたいなこを言うシーンが、素晴らしいんですよ。うわーっとなりました。そういうのにたまに出合いますね。
 プロになってからでいうと、乙川優三郎さんの『ロゴスの市』とか。徳間書店の担当さんが「ぜひ読んでくださいよ」と言ってきたんだけれど、どう考えても俺が読むようなタイプの本じゃない。なんだけれど、すげえ良かったんですよね。もう、文章が良いって感じで。だから、普段自分では読まないようなものを読んで衝撃を受けたりすることはあるから、読書の幅を狭めるのは良くないなと思うんですけれど。まあでも、9割はミステリー系です。

――ノンフィクションは読みますか。

 あ、たまに読みますね。この間も『殺しの柳川 日韓戦後秘史』っていう、大阪の在日のやくざのノンフィクションがあって、読んだらやっぱり面白い。僕も在日なんですけれど、韓国に対する思い入れが無さ過ぎて歴史とかも全然知らないんですよ。それを読んで「へえー」と思うことがたくさんあって。韓国に軍事政権があったとか、なんで軍事政権になったのかという一般常識レベルの歴史も知らなかったから「おー、勉強になるなあ」と思いながら読みました。あとはまあ、清水潔さんの『殺人犯はそこにいる』はやっぱり傑作でしかないですよね。なんだか読むノンフィクション、ちょっと人殺しに偏ってますね(笑)。

2本の映画がきっかけの新作

――プロ作家になってからの、日々のリズムというのは。

 ないですね。起きたくなったら起き、寝たくなったら寝ます。本当に駄目な生活をしているんです。でも、ほぼ年2作のペースをギリギリ保てているうちは、それでやってみるか、という感じですね。
 最近引っ越したんですけれど、家の前が幼稚園で、真後ろが小学校なんですよ。お昼になると奴ら全力で歌とか歌い始めるんで、さすがにそれを聞きながら「密室殺人が」とかできんなと思ってね。だから夜中に書くことが多いですね。

――新作の『スワン』はショッピングモールで大量殺人事件が起きた後日、生き残った数人が謎の人物にお茶会に招待される。その一人、女子高生のいずみを視点人物として、あの日何があったのかが少しずつ明らかになっていく。この話の出発点というのは。

 2本の映画でしたね。『静かなる叫び』と『マンチェスター・バイ・ザ・シー』。この2本でほぼ外郭というか、なんとなく、その後というイメージができあがっていって。

――『マンチェスター・バイ・ザ・シー』から『スワン』......。意外です。

 僕、結構いろんな作品とかいろんな映画とか漫画とかの影響を簡単に受けるし、それをペラペラ喋っちゃうんだけど、でも出力した時にはほぼ原形が無くなっている自信だけはあるんですよ。さっきの東野さんの話もそうですけれど、出てくるものは同じにできないし、なる訳がないって思っているんで、平気で影響を受け入れちゃうんですよね。僕としては『スワン』は『マンチェスター・バイ・ザ・シー』をパクッてるなあくらいの感覚でいるんだけれど(笑)。

――大きな理不尽な出来事があって、その後の話という共通点はありますよね。ただ、『スワン』はショッピングモールの無差別殺人事件を決めて、その後の展開はノープランだったそうですね。あんなにスリリングで、あんなに読み手を打ちのめすような真実にたどり着くのに、びっくりです。

 最初はショッピングモールの場面しかなかったんですよね。いずみという女の子を主人公に選んだあたりから、「なんとかなるかな」みたいな感じになり、その子が最後にいたのがスカイラウンジということになったあたりから「これは物語になるな」みたいな感じになり。でもそこから本当に苦しんだからね。2回目のお茶会になるまで本当に苦しくて、夜、散歩しながら「明日こそ編集者に電話して"もうやめたい"って言おう」って考えていて。ずーっとそんなんだったもん。でも、まあだいたいどの作品もそうですけれど、とりあえず書いて、書いて、書いて、ってやっているうちに、主人公やメインの敵キャラがどうしたいのかが見えてくるんですけれど。
 今回でいうと2回目のお茶会でいずみが「ここまでは大体予定通りだ」みたいなことを心の声で言う。あのあたりで「ああ、そうか」って。この主人公はこの物語の中でこういうことがしたいんだよなってことが分かってくる。そこからもちろん、過去に戻って書き直したりもするんですけれど。

――最後に浮かびあがる心理というか感情が書きたくてそこに向かって書いていたのかと思っていました。やっぱりあれば胸に迫るから。

 なるほど(笑)。一応ね、理想というか作品のコンセプトとして、悲劇を向き合う時にどうするかというのはもちろんあったので、最終的にあれが書きたかったかどうかと問われると、書きたかったはず。ただ、なんでそういうシーンになるかはすっぱり抜け落ちているので、そこをどう埋めていくかっている作業でしたね。そこはひたすら「どうしたら面白くなるか」っていうことを考えて書く。わりと難しいのは情報をどう読ませるか。それこそ横山秀夫さんの『ノースライト』なんかは、建築とかの豆知識みたいな部分もすげえ面白いんですよ。それはやっぱり文章力だと思うし、その物事に対する横山さんの視点の取り方とか、いろんな要素があるにはあるんだけれど。僕が書いたら情報でしかないものをちゃんと小説にしている。宮部みゆきさんの『名もなき毒』なんかも、冒頭の、おじいちゃんが歩いて死ぬだけの場面がすげえ面白いんですよ。なんでだろうって不思議でしょうがないの。そういうのに少しでも迫りたいって気持ちがあります。展開だけで面白さを作ろうとしても、どうしても説明せざるをえないところとか、落ち着いてじっくり書くほうがいい時もあって、そういうのをなんとか退屈せずに読んでもらえないかっていうのは結構考えながら書く。『スワン』に関しては、過去の反省も踏まえて、自分の中ではかなり頑張ったんじゃないかという気がしています。

――その結果、評判となり、発売前に重版もかかって。ただ、次の作品への期待が高まって、ハードルがまた高くなりましたね。

 実際困っています。なかなかやっぱり、走り出すまでが大変ですね。まだちょっと見えてこないなあという感じです。やっぱり書かないと分からないので。一応、はやければ来年の夏に出すのが理想なんですけれど、もうちょっと時間がかかりそうな作品なんだよな......。

――お待ちしてますね(笑)