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ピーマンとフェミニズム 小池真理子

 東京の大学に入学後、独りでアパート暮らしをしていた時期がある。当時の学生の間では、今と違って「貧乏自慢」が流行していた。

 たとえ親からの仕送りが少なくても、食べていけないことはなかったのだから、「貧乏」などおこがましいにもほどがある。だが、どれだけ自分が貧しい生活をしているかを大仰に語り、仲間たちと競い合うのは面白かった。

 同級生の中に、三畳の部屋を借りて住んでいた女子学生がいた。私の部屋は四畳半だったから、「負けた」と思いつつ、見学に行った。押し入れもないため、畳んだ布団を置いただけで空間が半分になる。窓を開けたところに水道の蛇口があって、冬でもそこで歯を磨き、顔を洗う、と聞き、さらに「負けた」と思った。彼女はそこで恋人の男子学生と同棲(どうせい)していたのだから、いやはや「完敗」である。

 私の部屋には、一応、簡単な自炊ができる小さな流しとガス台がついていた。母が送ってくれる米を炊き、だしの素(もと)を使って味噌(みそ)汁を作り、たまに目玉焼きを焼くこともあったが、仲間たちと飲みに行く時以外、部屋での食事はごはんにお茶漬け海苔(のり)ですませてしまうことが多かった。

 休みに入って帰省するたびに、両親は「痩せたね」と言って眉をひそめた。娘が東京でよからぬ連中とよからぬことをしているのでは、と怪しんでいたらしい。

 学内で大きなイベントがあった時のこと。前日になって、仲間たちとそれぞれ、手製の弁当を持ち寄ろうという話になった。それぞれ……と言っても作るのは女子。そういう暗黙の決まり事が、堂々とまかり通っていた時代の話だ。フェミニズムはまだ空回りするばかりで浸透しておらず、軽々と男子を論破してしまうような優秀な女子とて例外ではなかった。

 翌日、私が持参したのはおにぎり。ありあわせのものを使ってできるのは、それくらいだった。海苔はあったが、梅干しもおかかもタラコもなかった。たまたまピーマンの残りがあったので、苦肉の策でそれを炒め、醤油(しょうゆ)で味付けしたものと共にごはんを握った。

 当日、女子たちが作ったものをみんなで食べていた時、誰かが「嘘(うそ)みたい! ピーマンが入ってる!」と大声をあげた。みんなが口々に「おにぎりにピーマン? 誰だ、こんなの作ったのは」と騒ぎだし、寄ってたかって私をからかい始めた。

 今しがたまで、銭湯に何日行かずにいられるか、競い合っていた連中から、どうしてピーマン入りおにぎりをこんなに馬鹿にされなくちゃいけないのか。私はかなり憮然(ぶぜん)としたが、それも今となっては懐かしい笑い話である。=朝日新聞2020年1月18日掲載