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「ヒエロニムス・ボス」書評 創造を促すY字の「自由意思」

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2020年01月25日
ヒエロニムス・ボス 奇想と驚異の図像学 著者:神原正明 出版社:勁草書房 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784326800612
発売⽇: 2019/11/22
サイズ: 22cm/558p

ネーデルランドに生まれた奇想の画家ヒエロニムス・ボス。その謎に満ちた造形を、従来の説を紹介しつつも、図像学を駆使して独自の解読に挑む。隠し込まれた幾何学的思考を文字と数字…

ヒエロニムス・ボス 奇想と驚異の図像学 [著]神原正明

 こんな絵を描く画家はヒエロニムス・ボス以外にいない。彼の絵は彼自身の死の記憶である。「死の記憶」というのは輪廻を超えて魂が経験した彼の前世の、かつて死んだことのある死後生の実相世界の記憶である。そんな死の記憶を彼の霊魂の働きによって、この現世に蘇らせたというのがボスの絵である。
 とは私の寝言として聞いてもらっていい。いきなり話を飛ばすが、ボスの絵の中に驚くほどY字が繰り返されて描かれていることに気づいていなかったというのは「Y字路」を主要なテーマにしている私としては不覚であったことを自覚したい。ボスはY字の「自由意思」を重要な表現のテーマと考えていた。Y字路は左右に分かれる岐路として「人間そのものを象徴」している。Y字路の分岐点に立つ時、人は左右の選択に迫られる。我々の日常は常にY字路に立たされている。
 図像学問的には右は正しく左が地獄に通じる。右が下り坂で、左が上り坂になっているのでその判別は逆かと思うがそうではない。Y字は古くからピタゴラスと関係してきたらしく、若者の道徳的瞬間を示すともいう。
 著者とボスの出会いはボスの画集から始まった。一般的に絵画を見る時、無意識に画面から立ち上がってくるアウラを感応する。一方、図像学は美術評論家や詩人の関心を促すと言うが画家はむしろ図像学を創造の対象とはしない。図像学は一種の理屈で、まるで探偵小説の暗号の解読に似ていて、時には画家の意図しない本意を見つけ出す。
 とはいうものの、私だって如何(いか)に描くかと同時に何を書くか知恵を絞る。そこに図像学の知識と教養を導入すれば、思わぬ創造の飛躍を体験することになる。本書との出合いが、私の創造の霊験の宝庫となるなら無関心ではおれないのが図像学ということになろうか。だが、尊重すべきはY字の「自由意思」である。
    ◇
 かんばら・まさあき 1952年生まれ。倉敷芸術科学大教授。著書に『ヒエロニムス・ボスの図像学』など。