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実業家・池田純さん ベイスターズ黒字化を決定付けた「イケてる空気」の作り方

文:井上良太(シーアール)、写真:小島加奈子(シーアール)

マーケティングの秘訣とベイスターズ成功の原点となった『空気の研究』

——今回、池田さんに挙げていただいた中で、最もお仕事に関連性があるのが『空気の研究』(山本七平・著)だと思います。1977年に発表されたこの本は、「空気を読め」といった言葉で使われる「空気」の存在について論じられています。

 私は大学卒業後に住友商事に入社させていただいたのですがマーケティングがやりたくて博報堂に転職しました。そこで後のメンターと呼ぶべき人に出会い、いただいたのがこの本です。その方からはいろんな本を読むように指導され当時は本当にあらゆる本を読みました。年の瀬の12月28日あたりに『イミダス』や『現代用語の基礎知識』などの分厚い本を渡されて「1月3日までに読んでこい」って……。「そんなに読めます?」と思いながらもとにかく読んで(笑)。

 マーケティングや経営などにおいて、世の中を楽しませたいブームを作りたいならば世の中のコンテクスト(文脈、背景など)を理解する必要がある。ヒットしている商品から政治世界の出来事まで、ありとあらゆることを頭に叩き込むように教えられたんです。だから『現代用語の基礎知識』もそうだしマーケティングやブランド、コピーワークの本も何でも読みました。そうしてたくさんの本を読んできて一番印象に残ったのが、この本なんです。

——どんなところが印象に残ったのでしょうか?

 経営において、「空気を作れば勝ちだ」ということを知りました。マーケティングやブランドというのは人によって定義も違うし、セオリーなんてありません。例えば、私が横浜DeNAベイスターズの球団社長に就任した時には横浜スタジアムはガラガラでした。マーケットは神奈川に住む約1000万人。でもお金を払って野球を見にきてくれる人は50万人ほどで、1000万人のわずか5%だったんです。

 そこで私は、1000万人が住む神奈川全体に「ベイスターズがおもしろい」、「ハマスタはイケてる」という「空気」を作ることにしたんです。そしてそれは必ずしも野球そのものでなくてもいいんだと。私たちは「野球」という武器を持っているけれど、お金を払ってもハマスタに来てくれる“野球好き”は5%しかいなくなってしまっていた。でも野球観戦には「ビール」や「イベント」や「グッズ」など人との接点がたくさんあります。そのため、ビールが好きな人やカッコいいTシャツが好きな人など、野球に興味がない95%の人のどこかに、それらが引っかかればよかったんです。そうして1000万人との接点を持って「ベイスターズってかっこよくて楽しい」という空気を横浜から神奈川中に蔓延させれば、たくさんの人がスタジアムに来てくれる。そういうことをこの本から学びました。

——野球そのものの魅力をアップさせるだけでなく、付加価値を付けていくということですね。

 そうです。ただその「空気」を作るのは大変で、世の中のコンテクストや競合も、わかってなければいけない、いろんな人たちの趣味趣向に、ひっかけるために私たちはいろんな引き出しを持っている必要がある。さらにその引き出しの中身をどう使えばベイスターズにマッチするかも考えなければなりません。

 例えば、ある年には富山県でダイオウイカが獲れてすごく話題になりましたよね?  ベイスターズは海の球団、港町横浜のアイデンティティを目指す、おらが町の球団なので海のイメージに近づけるのが理想。そこで富山近辺の水族館に交渉してダイオウイカの展示物を借りることにしました。そうしたら異常気象で、たいへんな目に遭うんですが……。別の年には気持ち悪い深海生物が話題になったのでオオグソクムシなどを借りてきて展示したり。要はハマスタに行けば野球も観られるし、子どもに話題の深海生物を見せる機会もある。そうした接点をたくさん作ると、野球に興味のない人でも球場に足を運んでくれるわけです。

——ちなみに池田さんにとって今、世の中を知るための情報ツールって何なんですか?

 全部です。朝起きたらインターネットのニュースをコメント欄も含めて目を通す。テレビをザッピングする。FacebookやTwitterでトピックをながめる。本屋さんに行けばどんな本が売れていて、雑誌では、どんな特集がされているのかを確認して。電車に乗ったら中吊り広告にも目を向けます。

——「マーケティングをやりたくて転職した」ということですが池田さんの仕事における欲求は何でしょうか?

 自分が手掛けた仕事が世の中でブームになった時や、お客さんが楽しんでいる顔を見て「これを裏で首謀しているのは俺だ」とファンタジー漫画に出てくるような秘密結社の棟梁のごとく、ニヤッと実感できた時が楽しいですね。

——子どもの頃から「ブームを作る」や「人を動かす」ことに興味はあったんですか?

 それがまったくなかったんです。自分が好きなもの、自分が勝てるものにしか興味がありませんでした。私はずっと競泳をやっていて、かなりのレベルまで行けましたが高校時代にケガでダメになりました。それで「もう社長になるしかない」と危機感を感じて経営に興味を持つようになりました。安直ですよね(笑)。

今、池田さんが探しているものは『星野道夫の旅』の中に

——2つ目に挙げていただいた『星野道夫の旅』は、写真家・星野道夫さんが亡くなられた後に開催された展覧会の図録ですね。アラスカを愛した星野さんの作品、約250点が収録されています。

 『星野道夫の旅』のような冒険モノや写真集が大好きなんです。本当は私は冒険家になりたかったのかもしれません。“冒険家”に勝る肩書きは、ないと思いませんか? 冒険って、人の見ていない未知の世界を自分で見て体感することが出来て、自分の好きなこと伝えたいことが明確だし、前人未踏の地へ足を踏み入れるイノベーターなわけです。

 それに星野さんは詩人でもあり、この本で書かれている星野さんの言葉がすごく大好きなんです。それが「短い一生で 心魅かれることに 多くは出合わない もし見つけたら 大切に……大切に……」という言葉。

 私はベイスターズの球団社長を経験させていただきました。すごく楽しい仕事でしたが、雇われ社長だったため終わりが訪れました。星野さんが書かれているように自分の好きなものを見つけたら一生それを続けていくのが今のような世の中だからこそ、大切なのではないでしょうか。それを見つけられずに文句を吐きながら辞めたくても辞められずに、なんとなく生きている人が多いように見えるんです。一方で自分の好きな仕事を見つけて大切にしている人は楽しそうで人生が豊かになる。

 私も雇われ社長という枠組みの中では一生懸命やり切ったので次のステージを見つけたい。それを探して今は浪人中です。球団社長を退いてから色々なものに関わらせていただきましたが、まだ本当に情熱を注げるものには出会えていませんね。

——昨年11月に池田さんは『横浜ストロングスタイル』という本を出されていて、そこには球団社長を退いてから、今までのことが書かれていますね。拝見したところ本当にいろんな経験をされているようで、漫画のようなありえないレベルの経験談も見受けられました(笑)。

 私の名刺みたいな本になっています。おっしゃるとおり、出版社の方から「マンガみたいなありえない話を、たくさん経験しているから、日本のスポーツが正しく発展するために書いて残しておかなくては日本のスポーツ界と日本社会のためにならない」と、お話をいただいたのがきっかけです。理不尽なこともたくさん経験しましたし、権力に屈して泣き寝入りさせられる社会ではなく、理不尽なことは正々堂々声にすべきですし、そういったことが正しく評価される日本社会に復活すれば、日本も正しく元気な空気に復活するでしょうしね(笑)。

 私が目指す次のステージとしては、やっぱりオーナーにならなくてはならないと考えています。そのために、ここ3年間で5社くらいの買収、オーナーシップの獲得に挑戦したんですが、どれもうまくいかなくて……。それで浪人中の身です(笑)。「すでに成功しているのになんで?」と言われることがありますが、ベイスターズでの成功は過去のこと。早く次の挑戦ができるよう頑張りたいですね。

——次はどんな挑戦がしたいと思っていますか?

 やっぱり一番はスポーツに関わる何かだと思います。スポーツは実際にプレイするのも好きですが、3年浪人して気づいたのは、スポーツで地域の人を熱狂させたり子供から年配の方まで老若男女さまざまな方々の楽しみを生み出したり、それが子供の教育やみなさんの健康に繋がったりといった、スポーツの持っている力に心惹かれるんだということです。そうであるならば、ベイスターズの時から私はそれを大切にしていたのですが、雇われ社長だったから終わってしまっただけ。だから今度は少しでもいいからオーナーシップをもって、オーナーとしてスポーツの魅力を使って何かができる立場になれればいいなと思うんです。

 勝手なイメージですが、星野さんも、別に何か一つの対象、例えばヒグマだけが好きだったわけでも、エゾシカだけが好きだったわけでもないのかなと。そうした動物たちが自由に生き、人の忖度や保身などとも関係ない、生命が正々堂々と力強く正しく厳しく生き抜いていくアラスカという雄大な自然と、そこに関わるすべてと、そこに身を置くことのできる自分が好きだったんじゃないのかと。それが写真に表れているように思えます。星野さんは自分が心惹かれるものを、ちゃんと自覚して大切にしてシャッターを切り続けたのではないでしょうか。

親が環境を用意し子どもが選ぶ『父と息子の教科書 男が男だけに伝える自然に生きる知恵』

 『父と息子の教科書 男が男だけに伝える自然に生きる知恵』(斉藤令介・著)はナイフの使い方やロープの結び方、応急処置の仕方など、タイトルの通り男として生きるための最低限が書かれた教科書です。サバイバル関連の本は元々好きでしたがこの本は息子が生まれてから読んだので、ここ5年くらいですね。

 もうすぐ6歳になる私の息子は、私のことをプロ野球選手だと勘違いしていたんです(笑)。ある日「プロ野球選手だったんでしょ?」と聞かれて「選手じゃなくて社長だよ」と言っても息子には社長が伝わらなくて。その時に私は子どもに何を教えればいいのかを、すごく考えさせられました。

 ただサバイバル技術だけを教えたいわけでは、ありません。家のどこでも音楽を聴ける環境にしてあるし、DVDや漫画もたくさんあります。インターネットも無闇に規制をかけることはせず、子供たちの判断に任せています。要は子どもたちに自分が好きなものを、ちゃんと見つけてもらいたいんです。今の教育のあるべき姿は、どれだけちゃんと環境を用意して正しく選択できる力を育ててあげられるかだと思います。それは仕事におけるマネジメントに通じているのではないでしょうか。

——球団社長時代で思い浮かぶことはありますか?

 当時、球団としてはレーダーなどの解析ツールを進化させてチームを強くすることも、地域とファンと世の中を楽しませ、球団とチームの人気アップに寄与するというある種、なんでもありでした。一方で先程もお話しましたが、ビール好きが夢中になるようなオリジナルビールを開発したり、海洋生物のような集客できるイベントを企画したりと、野球の会社なのに野球と関係ない魅力を生み出しても、よかったんです。

 経営者の役割は、そういった選択肢をたくさん用意することで、どれにチャレンジするかは社員が選択する。それぞれの給与やインセンティブや次のポストを提示し、野球へダイレクトに関わりたいという社員もいれば、難しいけれど給与が高く野球とは直接関わりのない魅力を生む事業を選択する社員もいる。そうした中で後者にチャレンジしたいという社員がたくさんいたからこそ、ベイスターズは魅力的な事業をたくさん生み出せたと思っていて、今度は私自身が、極論スポーツでもスポーツでなくてもなんでもいい、ビジネスオーナーとなって世の中に新たな「イケてる空気を」つくることを、しかけていきたいなと思っています。