旅人にとっての最良の友・干し飯
――戦国武将たちが何を食べ、何を思っていたのか。文献を徹底的に調べ尽くし、食材を求めて西へ東へ。準備が整ったら実際に料理し、実食し、「食レポ」する。そのリサーチ能力、行動力が何とも爽快な一冊です。……黒澤さんが手に持っておられる袋には、何が入っているのですか。
「干し飯」です。本編第4章でご紹介している食べものです。その名の通り、炊いたご飯を干したもの。歴史を扱った小説や漫画には、この「干し飯」がよく登場しますよね。
――たしかに、子どもの頃、忍者モノの物語で読んだ気がします。
「干し飯」は人々の傍らに常にあって、特に旅人にとっては最良の友だったそうです。古くは平安時代、在原業平の旅を描いた『伊勢物語』に登場しています。戦国時代では特に、戦略物資として重宝されました。
――日持ちしそうですもんね。
明智光秀が主君・織田信長を「本能寺の変」で討った後、京都の町衆に「明日、西国に出陣するので、お礼に参上を」とお触れを出したんですね。その際、京の町衆は、饅頭や菓子などをいそいそと用意したのですが、なかには異を唱え、「そういう品は世が鎮まってからにしよう、場所は鳥羽の野っ原だし、干し飯こそがふさわしい品だ!」と言って献上した、というエピソードが残っているんです。……どうですか、ちょっと召し上がってみてください。
――ありがとうございます。では数粒を。指で潰せないほど硬いですね。いただきます。(ガリッ)ムムム? これは……。
ある人が言っていました。「セーターの裾に付着したまま干からびたご飯つぶ」って。
――まさにそれです。カッチカチですね。噛めません。口に入れ続けていると、お米の味がしてくるような、してこないような。……あ、奥歯の隙間に挟まってしまった。
ずっと口のなかに入れ続けていられるから、戦場では特に重宝したのだと思います。当時、干し飯は戦場に向かう者への最大の手(た)向けでもあったようです。明智光秀たちのその後は、ご存知の通り悲劇を迎えてしまうわけですが。
――これは、ご自身で調理されたのですか。
じつはリベンジ作なんです。最初つくった時は、ものの見事に腐らせてしまい、失敗しました。「炊いた米をただ干せば良い」程度に考えていたんですね。でも、いろいろコツがいることを知りました。腐らせてダメにしてしまったことは、「米一粒に七つの神が宿る」と言われ育った「田舎者」の私としては、なかなかショックでした。戦国時代の奉公人だったら、殿様から薪ざっぽうで叩き殺されていたかも知れません。
原点は伝説の大河ドラマ「独眼竜政宗」の湯漬け
――黒澤さんは宮崎のご出身。2013年のデビュー以降、数々の歴史小説やコラムを発表されていますが、そもそも、歴史の分野に興味を持ったきっかけは。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」をご存知ですか。1987年に大ヒットしました。渡辺謙さん扮する伊達政宗が、お椀から「湯漬け」を豪快にかき込んでいたシーンを今でも思い起こします。
――平均視聴率が40%近くを記録した、伝説の大河ドラマ。黒澤さんは1979年のお生まれだから、ご覧になっていたのは8歳。小学校3年生ぐらい。
ちょうどその頃、学習研究社の「学研まんが人物日本史」シリーズを買ってもらいました。シリーズ物ですからどんどん欲しくなり、全巻揃えたくなりました。信長、秀吉、家康……。
――懐かしい。私も学校の図書室で読みました。
読み進めていくと、たとえば家康などは「独眼竜」のドラマで描かれる人物像と、本で描かれるのとでは、だいぶ違いがある。「なんでこんなに違うんだろう」。すると、どんどん知りたくなってくるんです。ドラマで描かれる家康は、まんま「タヌキ親父」、コミカルなんですよ。津川雅彦が演じていました。豊臣秀吉は勝新太郎。「学研まんが」シリーズには小さな豆知識が欄外に書かれていて、読みながら、どんどん歴史が好きになったんです。
――子どもの頃の強い思いが、著作にも活きていますね。とりわけ今回「食」に焦点をあてたのは。
「学研まんが」を揃えていた子どもの頃、隣の子のげんこつに脅える日々を過ごしたせいか、戦国時代の強い武将のお話がいちばん好きになったんですね。彼らが食べているものを食べてみれば、憧れの「強さ」を自分にも取り込める手段であるように思えたんです。
――「強くなりたい。ならば、名君が食したものをオレも食おう」と。
今から思うと滑稽なんですけど。ともかく、それで「独眼竜」に出てきた「湯漬け」を母親につくってもらいました。炊飯ジャーからご飯をよそい、お湯をぶっかけて食べてみたのですが、とにかく水っぽい。味が全然しない。母は苦笑していましたけど。時を経て、何を書くか考えていた時、歴史についての知識を得た今、改めて、戦国武将たちがどんなものを食べていたのか再現したらどうか、との考えに至ったんです。
深掘りできそうなもの、まずそうなものをチョイス
――そうして数ある「歴史メシ」のなかで、この本に挙げたのは九つの食材です。そのチョイスには、どんな思い入れがあるのですか。
いろいろ文献を調べていくなかで、まずは「あ、これ食べてみたい!」と思った食材を選びました。たとえば「粕取焼酎」は完全に僕の趣味。それから「牛肉」は、肉食の禁忌など、そのへんの歴史も含めて深掘りできる。あとは「本っ当に不味そうだな」と思うもの(笑)。そんなふうにして「赤米」「スギナ」「ほうとう」「味噌」などラインナップが出来上がりました。
――いざ、戦国のメシにまつわる旅へ出陣。この本の第一の魅力は、じつに緻密な調査研究にあります。どんどん沼にハマっていく。本を読みながら、てっきり「黒澤さんって、本業は研究者なのでは」と邪推したほどです。各章を書き進めるにあたり、どこからアプローチしていったのですか。
最初は、手当たり次第にネットや図書館で文献にあたりました。分からないことが出てきた場合には、図書館や博物館にレファレンスをお願いするんです。たとえば、安土桃山から江戸初期にかけての武将・真田信繁の好物だった「粕取焼酎」の項を書いた時は、1カ所に聞いたら「こういう研究機関に問い合わせれば良いよ」と数珠繋ぎのように、人から人を紹介してもらった。「こんな例があるよ」「こんな逸話があるよ」。そんなふうに話が膨らみ、調査がどんどん進んでいったんです。
それから「糠味噌汁」の章を書いた時は、徳川家の家臣で、美しい青年であったと称される井伊直政が、まだ万千代と呼ばれていた頃に食した時の面白いエピソードを知りました。様々な逸話やその経緯、当時の趨勢などをブラッシュアップし、考察を重ねていきました。
ある夜、井伊万千代は、大久保忠世から、若い衆がうち集まって旨い料理を食べているからいらっしゃいと招待を受けた。(中略)
若者たちは焚火に顔をあぶられつつ、生煮えの芋汁を食べている。皆、余計な口はきかない。ただ、汁のすする音、舌を打つ音だけが、騒がしい。三河ものらしい野卑な食べ方である。万千代にも碗にうずたかく芋を盛られたものが与えられた。こちらは碗を持つ手も典雅に、さらさらと口に流し入れるが、
「!」
まずい。とても食べられたものではない。万千代は黙って碗を下に置いた。 (本書「糠味噌汁」より、原典は『故老諸談』の著者意訳)
――そして、この本の第二の魅力は、黒澤さんが実際に食材を探し歩き、調理作業に入る時の、ビビットな筆致です。ちょっとYouTubeっぽいですよね。「〇〇を料理してみた!」的な。調理をしていく上で、驚いたこと、気づいたことはありましたか。
そうですね……、戦国武将の人たちって、胃腸がものすごく強い人たちだったんだな、と気づきました。あと、当時、料理を担った人たちは頭のほうの消化力もすごかった、と。
――頭のほうの消化力?
たとえば牛肉とか焼酎とか、新しい文化が入ってきた時に、これをどう調理すれば良いかの想像を瞬時に立てるんです。牛肉なら「葱やカブと一緒に煮込めば合う」とすぐ突き止める。ビックリしますね。「これは合う」というのがすぐピンと来たみたいなんです。
――五感というか、プリミティブな察知能力が、情報過多の現代より長けていた、ということですか。
そう思います。それから、好奇心がとにかく強い。牛肉はタブー視されていたはずなんですけど、「美味しそうだな」と思ったら食べちゃう。秀吉は特に酷いと思うんです。自分はモリモリ食べていたくせに、キリシタンに禁令を出すという。ともあれ、何でも挑戦して自分の生活に取り入れていくところが強いなあ、と思いますね。
つらかった赤米の精米作業
――調理していくうえで、特に大変だったものは何ですか。
とにもかくにも「赤米」の精米作業でした。あれはホントにつらかった。豊臣秀吉が朝鮮侵略戦争の時に食べていた米です。
人力精米をやってみることにした。『はだしのゲン』に載っていた、一升瓶に玄米を入れ、菜箸で搗くというやり方だ。今は令和なので少し進歩して、使うのは一升瓶ではなくペットボトルである。
しかし、これがまた大変だった。
とにかく単調でつまらない作業なのである。
自分ではもう一時間はたったかなと思って時計を見たら五分もたっていない。
どれくらい時間がかかるもんなんだろうかと調べたら、最低でも五時間は搗く必要があるようで、なかには一日三時間、一週間も搗き続けた人もいる。 (本書「赤米」より)
――肩に氷のうを当てて、タオルで縛って、股の間にペットボトルを挟んで精米した、と記されていますよね。その光景を想像すると、涙ぐましくも、ちょっと可笑しいです。
ホントにつらかったんですよ。
――そして、この本の第三の魅力が、その独特な匂いが立ち込めるような「食レポ」。紹介した食のうち、特に不味かったものは。
糠みそ汁が一番美味しくありませんでした。もう二度と作りたくない。口にしたくないです。
さてさて、お味は……。
彩りはしっかり味噌汁なのにまったく味がしない。
無言のまま、ざらざらした糠の舌触りだけが通り過ぎていく感じである。
やむを得ず、大豆味噌の大体三倍の分量の糠味噌をぶち込み、さらに煮込んでみた。
これでやっと味が出てきた。といっても、糠独特の酸味がするのみで、塩味とうまみはまったくしない。糠のにおいも生臭いし不愉快。(本書「糠味噌汁」より)
――何だか、すえた匂いが伝わってきます。私も絶対に食べたくない。
食べた後、急にのどが痛くなりました。具として入れたズイキと里芋の葉のせいでした。アク抜きを充分にしなかったせいです。そのことについても別の章「芋がら縄」で詳述しています。ズイキを乾燥させて作った芋がらを編んだものです。「芋がら縄」は担当編集者が実際に調理する場面を動画撮影してみたんですよ。
――歴史に興味の薄い人でも、このアプローチなら面白く読めるし、戦国の世と、先人たちに思いを馳せられそう。「私もつくってみよう、味わってみよう」と思う人だっているかも知れません。
「干し飯」「兵糧丸」という言葉にビビッとくる人だったら、間違いなく楽しく読んでもらえるはず。ただ、くれぐれも真似はしないで下さい。特に「芋がら縄」は、市販のものを買うか、しっかりアク抜きするかしないと、「毒殺か!」と思うほどに喉がやられますから。