「建国神話の社会史」書評 押しつけられた教育現場の本音
ISBN: 9784121101020
発売⽇: 2020/01/20
サイズ: 20cm/262p
建国神話の社会史 史実と虚偽の境界 [著]古川隆久
天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)に降り(天孫降臨)、その曽孫である彦火火出見(ひこほほでみ)が紀元前660年に橿原宮で初代天皇(神武天皇)に即位した――『日本書紀』は以上のように建国の由来を語っている。王政復古の大号令から始まった明治政府、そして大日本帝国は『古事記』・『日本書紀』の建国神話を正統性の根拠とした。
もちろん天孫降臨うんぬんがあくまで神話であることは、当時の日本人も理解していた。神話を歴史の教科書に載せるべきではないという意見が教育現場で公然と語られた。神武天皇の即位年や欠史八代の天皇の異様な長寿は、中国の史書の記述や考古学・人類学の成果と矛盾すると説く本も公刊された。
しかし明治末年の南北朝正閏(せいじゅん)問題、大正期の社会主義思想の流入といった情勢の変化により、「国体観念を強烈に国民の頭に打ち込む事」が重視されるようになり、建国神話を歴史の授業で歴史的事実として教える方針が強化されていった。1935年の国体明徴声明、1937年の『国体の本義』刊行、そして1941年の国民学校制度と、国家主義・軍国主義の進展に伴って、この傾向に拍車がかかった。
これだけだとよくある戦前糾弾本だが、本書のユニークなところは、建国神話を押しつけられた国民の本音を赤裸々に描いた点にある。小学校教員は「天から降りるつて落つこちはしませんか」と茶々を入れる児童に苦悩し、神話を無理に事実と教えればかえって教育不信を招きかねないと訴える。また、建国神話に民主主義や国際親善の起源を見出す人や、オリンピック・万国博覧会誘致のために建国神話を利用する者もいた。
建国神話を史実と教える時代の再来はないだろう。だが「国史教育」は本質的に「国民」養成を目的としており、その意味では現代と戦前の間に大きな距離はないのである。
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ふるかわ・たかひさ 1962年生まれ。日本大教授(日本近現代史)。『昭和天皇』でサントリー学芸賞。